執着心を取り除き、妻の態度が変わる
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年2月3日】去年の8月10日前後から、協調人の意見により、毎晩9時から9時半までの間、本地域における他空間の邪悪な要素に向けて発正念することになりました。ある日、別の部屋に行き、ベッドに座って発正念しようとしたとき、妻が突然部屋に入ってきて、「何してるの?!」と怒り気味で、妻は僕を突き飛ばして「いい加減に寝なさい! 発正念が何だっていうのよ?!」と怒鳴り始め、僕は口をはさむこともできず、「あなたが出かける度に(グループ学法に行って学法すること)、帰ってくるとじっとしていられないんだから!」と妻は2回も同じことを繰り返し、そして、「もう行かないでよね! 今度また行ったら許さないから!」と怒鳴り散らしていました。妻のその憎しみで歪んだ顔を見て驚きました。

 師父は「煉功の時にあれこれと妨害が現われてきた場合、まず自分自身から原因を捜し、まだ何か捨てなければならないものがあるのではないかと考えるべきです」[1]と説かれました。問題はきっと自分にあると悟り、心を静めて内に向けて自分を探しました。すると、自分は小さいころから気が強く、負けず嫌いであることに気づきました。妻は小学3年生ぐらいまでの教育しか受けておらず、僕は普段、妻のことをあまり気にかけていません。自分は妻を見下しているのではないでしょうか。しかし、よく考えてみると、そうではありません。なぜなら、この心理にはすでに気づいており、以前に取り除いたのです。

 妻と結婚してから、妻は自分の母親と仲が悪く、よく喧嘩していました。その後、妻はいつも僕に八つ当たりし、しばらくの間、僕のことを無視していました。では、妻に対して怨恨が生まれたのでしょうか。しかし、これも違うと思います。なぜなら、以前、このことに関して妻とじっくり話し合って、真剣に妻に謝り、僕も妻も怨恨を取り除いたので、この問題はすでに解決しました。それでは、一体何が原因でしょうか。

 この時、僕は、何が何でも探し出して、取り除くという念を入れました。すると、普段あまり気にしていなかった妻に愚痴を言われた時の言葉を思い出したのです。「あなたは自分のことしか考えていない」「他人のことなど全く考えていない」など。この時、僕はハッとしました。「自我」という2文字が頭の中に浮かび上がりました。そうです。多くの執着心の背後には「自我」が隠れていたのです。やっとわかりました。長い間、頭の中に「僕は学法する」「僕は煉功する」「僕は発正念する」「僕は真相資料を配りに行く」「僕は真相を伝えに行く」など、全て「僕は」から始まっていました。これにより、妻は何度も怒り出しましたが、僕は全くこの点に気づきませんでした。たとえ妻に「人を救う、救うっていうけど、あなたは他の人を救えても私を救えないわ!」と言われても、自分を探そうとせず、却って妻の言葉に呆れて、離れよう、逃れようと妻を避けるようになったのです。

 今思えば、自分の行いが恥ずかしくてたまりません。僕と50年以上暮らしてきた妻は大法弟子の家族であり、僕と最も縁があって、最初に救われるべきです。しかし、大法弟子として僕は妻を救うどころか、危うく妻を逆の方向に押し離すところでした。ここまで悟って、涙が溢れました。「僕が悪かった。ごめんよ。必ず直すからどうか信じてくれ。師父と大法の導きで、きっと『自我』を放下するから。人心を取り除いて師父と帰るから」と内心から妻に謝りました。ここまで言うと、心が晴れ晴れとして楽になりました。「自我」という根本的な執着を少し放下できたのです。師父が悪い物質を取り除いてくださったのです。

 そして、グループ学法に行く日がやってきました。僕は妻の態度を心配せず、いつも通りに、お昼ご飯を食べて、片づけも終わらせました。しばらくして、妻は「お金足りる?」と笑顔で聞いてきました。「うん」と答えると妻は、僕が少し前に他人から借りた真相紙幣を返すようにと財布から200元を出し、それから、もう200元出して、真相紙幣と交換するようにと渡してくれました。その時、妻の表情は非常に穏やかで、慈悲さえ感じられました。先日のあの恐ろしい形相はどこにもなく、まるで別人のようでした。

 態度ががらりと変わった妻を見て、僕は一瞬どうしていいかわかりませんでした。渡された400元をもって、「大丈夫?  お金足りる?」と聞くと、「大丈夫よ」と妻は財布の中を見せてくれました。中には300元しか残っていなくて、「少ないじゃないか。真相紙幣に変えたら返すよ」と言うと、妻は「大丈夫よ。誰が持ってても同じことよ」と答えました。つまり、僕が使っても、妻が使っても衆生を救うことに変わりはないという意味です。

 妻の変化により、僕も今まで以上に気が楽になり、心がすっかり晴れました。「自我」を放下したことで、妻が変わったと悟りました。着実に修煉すれば、周りの状況も環境も良い方向に変わっていくのです。今回のことを通じて、修煉の素晴らしさを体験することができ、そして、大法を信じれば、不可能はないという自信も増しました。修煉の道で出会った様々なことは、自分の修煉によって絶えず変化していくのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/4/415972.html)
 
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