嫉妬心を取り除く
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文/山東省の大法弟子  

 【明慧日本2021年2月6日】私は1999年3月に法輪大法を修煉し始めました。私は大法を表面的に理解していて、自分は人の中ではあらゆる面で優れていると思っていたので、いい気になっていました。 以前、同修たちとの交流があった時に、「嫉妬する心や利益に対する心はあまりない」と恥ずかしげもなく大言を吐いたことがあったのですが、その時に身の程知らずに言ってしまったことがどれだけ恥ずかしいことだったか、今思うと分かります。大法の深い意味合いを理解せずに、生かじりで自分の修煉を断言したことは、当時の自分の傲慢さと、自分の心性を十分に説明しています。

 中国共産党(以下、中共)による迫害がエスカレートする中、私は高校の校長職を解任され、他校に副校長として転任しました。当時の私は、喜びも悲しみもありました。汚い官職の道や、暗闘する泥沼を見なくて済み、解放されるという喜びと、官職と権力がなければ、見下されて頭が上がらなくなる悲しみ、人生の喪失感を感じていました。

 新しい学校の校長は副校長の役職から昇格したばかりで、私ほど年配ではなく、私ほど能力があるわけではなく、泥臭く話し、物事を躊躇し、こんな人がリーダーであることが本当に悔しくて、不快になっていました。

 師父は『嫉妬心』の中で「ところで彼のグループにあるいは同じ事務室に、何をやっても駄目で、何の取り柄もない人がいたのですが、ある日のこと、彼ではなく、その駄目な人が抜擢されて、しかも彼の上司になってしまいました。彼は心のバランスがとれなくなり、あちこちで不満を訴え、心中穏やかでなく、この上なく嫉妬するのです」[1]と説かれたことに本当に似ていました。当時、私は「何もできない人だな」と思っていました。そのため、仕事で彼と意見が合わないことが多く、仕事に積極的に協力することはほとんどなく、彼のミスを見つけようとすることもありました。

 この状態がずっと続いて、これは修煉者の状態ではないとわかっていながら、どうしても修正できませんでした。自分は名声や富を求めず、正しいとか間違っているとか、高低を争っているわけでもないのですが、どうしてうまくできないのだろうと、心の中ではとても苦しく、疲れてしまいました。

 ある日、学校のオフィスで師父の『嫉妬心』の法を勉強していた時、突然、本の中の一行が明るく輝き、銀白色の光を放って目に飛び込んできました。「闘争心を無くさなければ、嫉妬心が生じやすいのです」[1]という師父の言葉は、私の従順でない心、非協力的な心、戦う心、その根本原因が嫉妬であるという事実を瞬時に目覚めさせてくださいました。自分がやっていたことは他人への嫉妬であり、自分より劣っていると思っていたことは嫉妬であり、自分の方が優れていると思っていたことは嫉妬であり、協調性のない行動を見せることは嫉妬であり、意見を述べることは嫉妬であり、彼を圧倒しようとすることは嫉妬であり、これらはすべて嫉妬の結果であったと思いました。

 師父の法の一節で、自分を認識することができました。私は心の中で一念を発しました。「嫉妬心よ、あなたはずっと私を揺さぶってきたが、今日ようやくあなたを認識した。あなたは私ではない。私の本性は、他人が良い時は他人のために喜び、人のミスや間違いなどを見ません。彼がリーダーになるのも簡単なことではなく、私は彼の仕事に協力するべきで、彼の足をすくうべきではありません」

 大法は道理を理解させ、大法は方向性を認識させ、大法は私の執着を取り除きました。理解したのであれば、しっかり仕事をしなければならないと思い、今までの常識外れのやり方を改め、謙虚に協力し、率先して仕事を提案し、自分の担当する仕事もよく行いました。そうすることで、お互いの職場の雰囲気が一新されました。

 私の変化は彼に変化をもたらし、関係が良くなるにつれ、私は大法の真実を彼に伝え、彼が真実を理解した後、共産党組織から脱退し、その命が救われました。そして、その後、学校の集会や会議がどうであろうと、法輪功について一言も触れず、上からどう命令されようとも彼は一切執行しませんでした。

 今考えてみると、もし私の嫉妬心が消えずに彼と闘っていたら、彼は大法の素晴らしさを感じず、大法に救われなかったでしょう。私が大法弟子のように行わなかったら、彼が救われる機会を奪ってしまったかもしれません。そう考えて心を痛めました。師父の教えのおかげで私は目が覚めました。師父の慈悲深い救済に感謝しています。

 同時に、修煉を始めた当初、自分には嫉妬心や利益に対する執着心が非常に弱いと思い違いをしたことを反省しています。この心性の試練を経験してから、自分の嫉妬心に気づき、独善と傲慢と無知に覆われていたことに気がつきました。

 師父は「今日、わたしは煉功者に向かって話していますが、頑迷に固執して悟らないようではいけません。あなたが達成しようと思う目的はより高い次元へ修煉することですので、嫉妬心は必ず無くさなければなりません」 [1]と説かれました。

 『嫉妬心』の一節を学ぶことで、嫉妬を取り除くための修煉の重要性も理解できました。今、私は多くの人が嫉妬心を持っていることを実感していますが、個人的な利益には触れていないので、それ自体が表に出てこないのです。一度自分の利益に触れてしまうと、それが飛び出してきて干渉してきますが、嫉妬心の強い人もいれば弱い人もいます。

 上記の交流で適当でないところがあれば、同修のご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/2/419043.html)
 
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