文/海外の大法弟子
【明慧日本2021年2月8日】私は10年近く海外に住んでいるにもかかわらず、まだ中国共産党文化よりの考え方や行動が、完全に取り除かれていないことに気づきました。
私は最近、二つの夢を見ました。一つは、人々を救うために私たちの使命を果たしていないことを思い出させるものであり、他は自分の悪い習慣の一つを直す必要があることに気づきました。
最初の夢では、私はバスの乗客でした。誰かが外を見るように私に向かって叫んでいました。私は外を見て唖然としました。 黒い液体がすぐそこまで来て全てを飲み込んでいました。表面は泡立ち、この液体は広がりながら、土地や家を飲み込み、私たちのバスを追いかけていました。私は恐れていましたが、バスと液体の間に十分距離があることに気付きました。
大淘汰が始まったかのような悲しさに圧倒されました。
バスを降りると、浅い水の中に人が倒れているのが見えました。私は水の中に入って行き彼の頭を持ち上げました。すると、彼は水を吐き出し始めました。彼がまだ生きていることに感激しました。
私は、長年大紀元の仕事に携わってきましたが、それは簡単なことばかりではありませんでした。人を救うために十分な活動をしていなかったことを心の底では知っていました。例えば、中国領事館の前で法輪大法の功法を紹介する時、私は同修のように立ち寄った観光客に立ち止まって話しかけることはしていませんでした。夢の中で終末の時、私は絶望していました。人々を救おうとする試みは、どんなに小さなことであっても、意義があり、十分に報われることを知っていたので、それで安心していました。
二つ目の夢は、より明確なものでした。誰かが私を何処かに連れて行ってくれていました。彼は均等なペースで歩き方を教えてくれて、急がないようにと言ってくれました。私は戸惑っていました。なぜ彼は私が早歩きしていることを知っていたのでしょうか? それは師父が歩き方を教えてくださっているのだと思いました。その時、その男性は振り返り、私に微笑みながら消えました。
長くなりますが、私は学生時代は優秀な学生で、中国の名門大学を卒業しました。省内でもトップクラスの高校に通いながら、山ほどの宿題や試験などがあるため、急いで歩く習慣がありました。しかし、その習慣は中国を出てからもずっと残っていました。職場の同僚や上司にもよく言われたことがありましたが、私は気にしていませんでした。中国では、時間を節約するために早く歩くことは美徳とされていたので、私が気にする限りでは問題ありませんでした。
ある修煉者が私に話してくれました。それは、私が修煉体験を語るために意気込んで壇上に上がるとき、彼の隣の修煉者が私を見て「この人も強い女性だ」と否定的な発言をしているのを聞いたそうです。その時はあまり気にしていませんでしたが、私にとって早歩きは気にすることではなかったからです。
ある日、仲良くしていた上司のテーブルの前を通ったとき、上司は「やめろ、ゆっくり歩け」と厳しく言いました。私は、自分の歩き方に問題があることに気づきました。それまでの上司は、私のような設計技術者には不慣れなプロジェクト管理のコツを教えてくれながら、辛抱強く接してくれていたのですが、その優しい上司の急な口調の変化に、驚きと警戒感を覚えました。後日、彼はまた私に「そんな風に歩いてはいけません」と言ってくれました。私は、彼がある種の礼儀や社交上のエチケットを身につけるよう期待していることを理解し始めました。
私は歩く速さのペースを落とし始めましたが、古い習慣はなかなか消えませんでした。新しい仕事では、私のフレンドリーな間柄のマネージャーは時々、私の歩き方について冗談を言っていましたが、再び、私はそれについてあまり考えていませんでした。
夢を見たことで、自分の歩き方の速さについて改めて考えさせられました。学校で習ったことや中国での生き方は、中国の外では受け入れられないことも、中国では美徳だと信じていましたが、自分が馴染んで行くためには、自分のやり方を変えなければならないと悟りました。
師父は説法の中で何度もこの問題に触れ、中国国外で生活をする中国人修煉者に党文化から脱却するように注意を促しています。私は、早歩きも党文化の表れであることに気付きました。中国の教育制度から出てきた高学歴の中国人は、技術的には優れていますが、文明社会では当たり前の社会的なスキルを持っていないことが多いのです。このような受け入れがたい行動は中国ではごく普通のことなので、ほとんどの場合、私たちは問題に気がついていません。私たちは大きな問題に注目し、小さな問題は無視すべきだと考えていました。
しかし、1人の些細な異常行動が、人々はあなたから距離を置くようにしているのであれば、それは決して小さな問題ではありません。仕事をうまくこなして、効果的に真実を明らかにするための信頼性を築きたいのであれば、優れた技術力だけでなく、欧米社会全般に受け入れられる優れた社会性も必要です。
私は二つの夢に啓発され、私の経験が、同じような問題に直面している同修たちに少しでも役に立てればと思っています。