私達の考えは法に基づいているのか? 
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文/ハルビンの大法弟子  

 【明慧日本2021年2月15日】この数カ月間、アメリカの選挙を通して、私は自分自身の問題に気付きました。実はそれは過去20年以上の修煉の中でずっと持っていた問題であり、他の修煉者にもあるかもしれません。それは物事を考えるとき、自分の考えは個人的な観念や好みの中にあることが多いのです。

 これは無視しやすいことであり、表面上は非常に精進しているように見え、三つのことをしっかり行っているかもしれません。しかし振り返ってみると、自分の考えは個人的な観念や好みの中にあることが多く、法に基づいていないことに気づきました。

 生々世々の輪廻する中で、一部の人は修煉に賛同し、修煉を好んできたのかもしれません。それによって一種の観念が生じてしまい、つまり修煉に賛同することの背後には、個人的な好みに満足しているような観念が隠されていたのです。その観念では、修煉のためなら自分の命を含めて何でも犠牲にすることができたのです。しかし、それは真の修煉とは異なり、個人的な好みに基づくものです。

 このような観念は、人類にとっては高尚なものですが、そこには私利私欲や情が潜んでいるのではないでしょうか。それは修煉と一致していることが表れ、犠牲を伴うこともあるため、見分けがつきにくいのです。そのため、精進と勘違いして、人を欺くことにもなりかねません。

 アメリカの選挙以来、私の心はそれに揺らぎ、状況に応じて喜びと落胆の間で揺れ動いていました。落胆するのは大法に対する信仰の欠如であり、これではいけないと思っていました。私は自分の心は常に法に基づくべきで、周囲の環境が複雑であればあるほど、私たちは大法を固く信じなければなりません。なぜなら私たちは大法に属しているからです。そして、私たちの大法と師父への信頼は無条件です。

 そのように考えて、私の心は落ち着きました。何が起ころうとも、私はただ自分が行うべきことに集中しています。今では、心が乱れるどころか、大法と師に対する深い信頼を持つようになりました。

 過去を振り返ってみると、私の心が動じていたのは、人間的な観念や個人的な好みのせいでした。無意識のうちに、物事はこうあるべきだとか、そうするべきだと思っていました。これは実はとても深刻なことなのです。私たちは師を助け法を正していますが、師父は私たちを新しい宇宙を創造するように導いてくださいます。その過程で、人間的な観念や個人的な好みは非常に危険であり、許されません。

 このことから、私は法を正す時間についても理解が深まってきました。また、私たちの中には、そのことに関して人間的な観念や個人的な好みが入り混じっている人もいます。私たちは故意にか知らずにか、堅実に修煉して人々を救うために時間を有効に使うのではなく、自分の好みに合わせて早く法を正すことが終わることを望んでいます。終わったと思うとすぐに好む心が高まってきました。私たちはこのような執着を持って成就することができるのでしょうか? 法を正す中でこのような執着心があれば、良くない要素をついてくる悪に利用されて悪いことをもたらすでしょう。

 悪魔と旧勢力は、私たちの人間的な概念と個人的な好みを利用して、私たちを簡単に操ることができます。私達の心より偽りの現象が生じ、執着すればするほど、偽りの現象はリアルに見えるのです。私たちはそれらの偽りの現象を信じ込んでいたとき、それは私たちを危険な道に導くのではないでしょうか?

 法を正す中では、どのような生命も、どんなに次元が高くても、師父が本当に望んでおられることを知ることができないのです。法を正す間のことは、誰もそれが起こる前にそれを知ることができません。だから、私たちは人間的な観念や個人的な好みで決めてはいけません。私たちはただ大法と師父を信頼し、修煉と人を救うための堅実な努力をしなければなりません。

 個人的な認識ですが、適当でない所があれば、ご指摘お願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/17/418657.html)
 
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