執着心を見つけるーー誤った状態の修正
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文/内モンゴルの大法弟子  

 【明慧日本2021年2月20日】私は1996年7月に法輪大法と出会いました。この20年間の修煉の中で、私は多くの感動的な奇跡を経験してきましたが、それは決して忘れることができない出来事でした。

  2003年12月のある日、朝起きてベッドから降りると、足の調子が悪く、靴が履けない状態になっていましたが、痛みはなかったのであまり気にしていませんでした。ストーブをつけようとした夫が来て、私の目と口が歪んでいるのに気づいて驚きました。私が鏡を見ると、とても怖い顔になっていて、どうしてこんなことになってしまったのかと思いました。その時、私はあまり考えず、恐れることもなかったのです。そして、娘は「お母さん、病院に行きましょう」と言い、夫も病院に行くことに同意してくれたのですが、私は「いや、これは病気ではなく業ですから、病院に行ったら治りません。怖がらないで、法を勉強して煉功すれば、必ず回復できます」と言いました。そうやって2人を納得させました。

 朝食後、夫と『轉法輪』を一緒に読んでいた時に、初めて私は、はっきりとした声が出せず、2ページも読んでいないのに、首を絞めつけられているような感じがして読めませんでした。やむを得ず学法をやめて、法の書き写しをしようと思いました。2行くらい文字を書き終えたあと、よく見ると、何を書いていたのか全くわからなかったのです。そのとき私は、はっきり喋れないだけでなく、手もよく動かないことに気づき、いわゆる半身不随ではないかと思いました。

  その時は、内に向かって探すことに気づかなかったのですが、心の中では、自分のどこをよく修めていなかったのか、自分でわかっていたので反省しました。午前中は法の勉強と煉功を行い、午後からは外出して「ねずみ講」をするという忙しい毎日でした。家族を養うために小遣いを稼ぎたいと思い、海外ではマルチ商法と呼ばれ、中国では「ねずみ講」と呼ばれています。

 師父は「マルチ商法をやってはならず、このようにした人は間違っています。中国大陸の大法弟子の中で、マルチ商法をやっている人はつまり、大法弟子の修煉形式を破壊しており、将来この全てに対して責任を取らなければなりません」[1]と説かれました。私は真の修煉者として、名声や富を手放さなければならないと気づきました。特に、利益(富)に対しての執着心により心が揺さぶられた人は、騙されやすく、詐欺にひっかかりやすく、手遅れになる前に、危険を悟って止めることが大切です。

 私は修煉の道でもう一度、しっかり精進していこうと決意しました。次の日には声が良くなり、3日目には口と目が基本的に元の位置に戻り、5、6日目には足腰が良くなり、街に出かけられるようになりました。普通に話せるまでに約2カ月かかりました。このことは、大法の奇跡と不思議さを体験しました。  

 また端午の節句の日に、数人の同修と一緒に自転車で法輪功迫害の実態を伝え、三退を勧めようと橋の上まで行って、ある木造住宅の横に自転車を置いたのですが、そのとき私は、自転車の鍵を失くしたことに気づきました。Bさんは「失くなった物は仕方がありません」と言いました。この日で人通りの多い日でしたが、昼頃には人がいなくなり、物を売っている人たちだけになっていました。その日は、30人以上三退を勧めることが出来ました。そして、自転車を置いた場所に戻ると、自転車の鍵を失くしていたことを思い出しました。私は思わず、Aさんに「あなたの鍵を貸してください」と言って、借りた鍵でカチャカチャッと私の自転車の鍵が開いたことに、皆は不思議に思いました。そしてある日、久しぶりに履いたズボンのポケットに自転車の鍵が入っていました。

 私は何年も毎日外に出て、一日に数十人も三退することができ、自分の目標人数に達するまで家に帰れないと、いつも思っていました。きょう出掛けなければ、今日救われるべき人は救われず、明日出掛けるのは明日、救われるべき人なのです。従って、特別な事情がある場合を除いては、毎日外に出なければなりません。

 個人的な経験ですが、法に基づいていないところがあれば、同修のご指摘をお願いします。師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/8/419679.html)
 
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