文/山東省の大法弟子
【明慧日本2021年2月27日】私は1996年に修煉を始め、当初、とてもうれしくて毎朝4時半に起きて、4時50分に近くの煉功点に行き、皆と煉功しました。春夏秋冬、いかなる天候でも毎日欠かさず向かいました。長年、慢性の胆嚢炎や胃腸炎、副鼻腔炎、胃潰瘍など様々な病に苦しめられてきましたが、修煉してわずか2カ月ほどで全癒しました。それ以来、身体が軽やかになり、毎日愉快な気持ちでいられてとても幸せでした。
1999年の「7.20」から江沢民による法輪功への弾圧が開始され、多くの修煉者が迫害されました。迫害や脅迫に抵抗してきたため、何回も不当に拘禁、労働教養、家財を差し押さえられ、監禁されました。厳しい迫害により、私の家族や生活、身体、そして、子供たちにまで影響を及ぼしました。法輪功の修煉を諦めなかったため、家族や親戚、友人たちからも圧力を受け、ついに精神的に耐えられなくなりました。
表面上、まだ修煉しているように見えますが、しかし、2006年後半から1年近くの間、全く真相を伝えず、学法や煉功、発正念も形式だけで心が法にありませんでした。毎日適当に過ごして、仕事を終えて家に帰ると、テレビをつけてドラマを見始め、心性が下がったことにも気づきませんでした。学法するとき、あれこれ考えてなかなか静かになれないため、法理も現れず、修煉していると言えない状態でした。
ある日、ある若い同修が訪ねてきました。交流を通じて、彼女は私の思想状態と身体の状態がおかしいことに気づいたのです。彼女は私の家から遠いところに住んでおり、なかなか会えませんが、それでも、お互い親しく感じました。まだ若い彼女は私のことをとても尊敬していましたが、その日の彼女の口調はとても厳粛なもので、私のことをとても心配しているとその言動や表情から一目で分かりました。「おばさん、私も修煉し始めた時、全く精進していませんでした。しかし、ある日、おばさんがこの世で生きていて、大法がなければ何の意味もないと言ってくれました。この言葉を聞いて精進できました。けれど、今日おばさんに会って、正直に言って、おばさんの修煉状態は以前と比べ物にならないくらい、次元が下がりました。師父は私たち大法弟子に内に向けて探すよう要求されています。おばさんも内に向けて自分を探したほうがいいと思います」と真剣に言われました。はじめは彼女の言葉を受け入れず、口では何も言い返しませんでしたが、あなたより私の方がよっぽど多くのことを経験してきたわと心の中で思っていました。しかし、彼女の言葉が善に満ちていたので、その内、受け入れるようになり、そして、交流を続けていくことで、良くない考えも消えていきました。
彼女との交流を通じて、外に出ると捕まえられる、また迫害されるなどという恐怖心が見つかりました。彼女の前でこの恐怖心を暴露し、怖ければ怖いほど精進できず、怠れば怠るほど正念も弱くなっていき、結局旧勢力に隙を乗じられたことに気づきました。
精進しない根源を見つけ出したので、それ以来、意識的にそれを抑制し、抑制し始めました。師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]と説かれました。あの頃、仕事が忙しく、家に帰るとできるだけ時間を作って学法、煉功、発正念をしました。段々と恐怖心がなくなり、外に出て真相を伝えることもできるようになりました。
私は田舎に住んでおり、市内で仕事をしているため、周りの環境を熟知しています。まずは自分の家で資料拠点を立ち上げました。夜や週末などを利用して同修と一緒に各家を周り、法輪功の資料を配りに行きます。1人1回につき100部の資料を作ることができ、中共ウイルスが蔓延する前までずっと続けていました。結婚式や葬式など人が集まるようなイベントにはできるだけ参加して、人々に真相を伝えました。そして、ここ何年もの間、ずっと真相紙幣を使ってきました。
師父は「最後まで歩んだからこそ、行なうべきことにさらにしっかり取り組まなければなりません。なぜなら、最後になればなるほど肝心だからです」[2]と説かれました。共産党が武漢市での疫病の状況を隠蔽したため、全国各地で時々村や道路が封鎖されました。できるだけ面と向かって真相を伝えるようにしているので、いつも資料やお守り、真相シールなどを持ち歩くようにし、機会があれば真相を伝え、「三退」を勧めます。普段は孫の通学の送り迎えしかしないので、大法の項目は毎日できます。
近年、共産党は国民を監視するため、街のあちこちに監視カメラを設置しました。大法弟子は法を勉強し、正念を持ち、そして、法を信じ、師を信じていれば、師父は常に私たちのそばにいてくださり、見守ってくださるのです。時々、真相シールを貼り、資料も置き終えて、パッと頭を上げるとようやく隠れたところに監視カメラがあることに気づきます。これは師父が様々なことを借りて私に恐怖心を取り除かせて下さっていると悟ったので、監視カメラに映らないようにシールを貼り直したり、資料の置き場所を変えたりします。
十数年間が過ぎました。今日まで歩んでこられたのは、同修の助けや、同修たちとの交流は欠かせません。同修間の協力が大きな力を発揮することをこの身をもって体験しました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[2] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』