文/黒竜江の大法弟子
【明慧日本2021年2月28日】私は1998年末に法を得た大法弟子です。やっと30歳になったばかりでした。毎日大法の佛の洪恩に浸って、大法が私の心身に与えてくださった素晴らしさや、殊勝な恩に感謝していました。暫くすると、江グループは法輪功への迫害を始めました。師父の潔白を取り戻し、大法の為に公平を求めて私は天安門広場へ行きました。
2001年、同修と私は北京の天安門広場へ行きました。そのため不当に1年間労働教養をさせられました。家に帰った後、また法を実証し、衆生を救い済度する大きな流れの中へ、積極的に身を投じていきました。それからの十数年の間には何度か連行されたり、労働教養、判決を下されたり、合わせて7年間監禁されました。2019年の初めに、やっと魔窟から抜け出しました。
魔窟から抜け出し、また巨難に遭う
魔窟から抜け出て直ぐ、私は体に異常が現れたことに気づきました。お腹に拳ぐらいのできものができていました。
娘は大学を既に卒業していましたが、県都で仕事をすることになったので、ついでに我が家も引っ越しすることにしました。そのため、私はそれまでの同修たちとの集団修煉の環境が無くなってしまいました。長年迫害されている間、学法をせず、強大な正念も無くなっていました。私は家族に連れられて、ガン専門病院に行って検査することにしました。すると、直ぐに入院して手術をするように言われました。
この時、私は頭がはっきりしていました。「これは邪悪による『再度の迫害』ではないだろうか」と私は心を決めて家に帰ろうとしました。その時夫は怒りを爆発させたので、私と大喧嘩になってしまいました。そこで私は、心を穏やかにし気持ちを平静に保ち、夫に「あなたも見た通り、この体で二つの検査を続けて受けただけで、私は気を失いそうになり、続けて化学療法や手術で苦しめられたら、私は本当に帰れなくなるかもしれません」と釈明しました。
私の説得によって、夫はしまいには私の決断に同意してくれたので家に帰りました。60kg以上あった体重は、50kgもない状態になっていました。
同修を探し、法の中に溶け込む
旧勢力の按排を認めず、この関を乗り越えましたが、私の体はまだ正常ではありませんでした。長い間学法と煉功をしなかったので、これからの道が非常に難しいと自分でもよく分かっていました。私は師父に、「同修に逢わせてください」とお願いしました。すると直ぐに同修に逢うことができたと同時に、ある同修の家に住むことにもなったのです。
この同修は、多くの同修を家に呼んで学法していました。同修は、法に基づいて切磋して交流し、私に内に向けて探すように励まし、私が速く向上し、正念が強まるようにしました。しかし、邪悪の要素は、私への「再度の迫害」を一刻も緩めませんでした。そのカチカチになった私の硬い腫瘍は、圧迫して座ることができず、ある時は痛くて気絶したり、正気づいたりしました。この時、同修達は私を囲んで発正念をし、私は座れないときは跪いたり、腹ばいになったりして、常に汗と涙を伴いましたが、しかし諦めようとはしませんでした。知らず知らずのうちに、何時からか分からないうちに、痛みが消えていました。私は師父が私を助けてくださり、痛いその部分の神経に錠をかけてくださったことが分かりました。
誓いを忘れず、使命を果たす
また一つの難を乗り越え、私は自信が倍増しました。私は、同修にとても大きな不便をもたらしており、同修が人を救う使命に影響を与えてしまうので、自分のことだけを考えてはいけないと思い、家に帰ることを決めました。
家に帰った後、師父は現地の同修に、私と連絡を取るように按排してくださいました。とりわけ疫病の期間中助け手のない私に、師父は同修の李さんを私の近くに按排されました。同じ居住地区に住んでいたので、彼女との学法、交流で、私の頼りない気持ちが無くなりました。私達は法を正す時期の大法弟子として、師父と一緒に、また法と一緒にいます。師父が認められないことは、私達も認めません。
この期間中、私は頑張り抜いて『轉法輪』を2回覚え、今また3回目を始めています。そして各地の説法を系統的に一通り学びました。魔難の中でも、自分の使命を忘れません。一息つくと、大きいスカートをはいてちょっと覆い隠すと、直ぐに急いで出かけて人を救いました。
生死を放下し、大法は奇跡を現す
私は学法、煉功をしっかりして時々刻々と心を修めていましたが、一方邪悪も、虎視眈々と緩めようとしませんでした。邪悪による「再度の迫害」が強まってきました。私の腹部の腫瘍はわずか20カ月も経たないうちに「鍋」のように大きくなって、まるで妊婦のようになってしまいました。それがとても大きくて硬く圧迫され、大小便が上手くできなくなってしまいました。
ある夜、お腹、腰、背中が一つに繋がって痛くなりましたが、そのうち感覚もなくなっていきました。ぼんやりしている中で、死神が近づいて来ていると感じ、ゆっくりそれらを見ていると、私が空中で大声で「自分の死期」を宣告していました。私はとても驚いて目を覚ましました。これは「私を騙し、私に正念を放下させ、私に修煉を放下させる邪悪の騙しの手口だ」と認識しました。私はすぐ起き上がって、立掌して「旧勢力の按排を否定し、私は師父にだけ従い、師父にだけ属する」と正念を発しました。
しかし、体の状態はますます悪くなっていきました。大便は10日も20日もかかっても出ませんでした。小便は更に詰まってしまい正に窒息しそうでした。仕方なく、やむを得ず消極的な方法である開塞露(便秘薬の一種)、尿道カテーテル等々を使用しました。しかし、いじくり回すほど悪化しました。家族は実に見ていられず、病院に行って相談しましたが、医者は手術する以外、解決方法がないと言いました。家族もこれ以上手術できないことを知っており、焦っても方法がありませんでした。
私は既にこうなってしまったので、それはそれで相手にせず、認めず、騙されてはいけないと思いました。大便が出なければ出さず、小便がしたくなれば思い切って横になり、自分でカチカチに硬い「鍋」の周りを触りながら、膀胱を探し、力を入れて下へ押し、下へ押し出しました。このようにしていましたが、次第に自分で押し出す力さえ無くなって、心不全の症状まで現れてしまいました。家族が私を助けて押し出しましたが、このようにしてもほんの少ししか押し出すことができませんでした。
最後は、五臓六腑まで全部働いていないように感じ、膀胱さえ潰されて粉々になったようで私は探すことさえできず、耐えることができなくなりました。次第に、食事もできなくなりました。一つはその悪者が既に胸まで至っていたことと、もう一つは2カ月間大便がなかったことです。本当に果てまで着いたように感じました。
同修は、私のこの状況を見て私と学法し交流しました。同修は、「師父は『轉法輪』の中で、『もしあなたが病気のことばかり考えるその心を捨てられないのなら、われわれは何もしてあげられないし、どうすることもできないということを強調しておきます』とおっしゃっています。師父はあなたに対して何もされませんでしたか? あなたに対して無力でしたか? 師父はあなたの代わりにたくさん耐えられましたが、あなた自身も『その痛みの神経まで取り除かれた』と言いましたね。食事ができないくらいでしたら、それは辟穀だと思いましょう。そして、あなたは自分でまだ何を放下していなかったかを探してみてください」と言いました。
私は「本当に分かりません。どこにまだ漏れがあるのか分かりません。しかし、私はただ大小便が 出ません、どうすれば良いでしょう?」と言いました。同修は「ほら、これが正に『放下できない』のではありませんか? あなたも師父は全能であると知っていますよね。しかし師父は修煉者、覚者を済度されます。あなたがこのようだったら、師父はどのようにあなたを助けられますか?」と話しました。
私は泣きながら、終に自分の最も放下できない執着を話し出しました。「私はずっと死ぬのが怖くて、死にたくありませんでした。なぜなら自分は転がりながら、20年間様々な世の辛酸、試煉を経て、師父について最後の最後まで歩んで来たからです。これで、体を放下するなんて、本当に甘んじたくありません」と話しました。同修も私と一緒に泣きました。同時に、私を慰め、「あなたは死んでも本当に死んだのではなく、この皮を捨てただけで、師父はあなたに更に良いものをくださるでしょう」と話しました。
いくつかの交流を通じて、私はずいぶん気が楽になったように感じました。自分は既に準備が終わったので、「まだはっきりしている間におじと姪にも言っておくべきだ」と思い出しました。時間を見つけて、私は夫と娘に「今後私に何が起こっても、あなた達は決して私の師父、大法に恨みを持ってはなりません。すべて私の足りなさと、すべては邪悪の迫害なのです」と言いました。親戚達も知らせを聞いて次々と他の地域からも駆けつけて来ました。私は彼らにも「必ず法輪大法は素晴らしいと覚えるように」と伝えました。
正に私が準備し終えて、このように静かに逝こうとした時、突然、奇跡が現れました。もう一度尿を出そうとした時、いつもと同じように、私は力を入れてその「鍋」を持ち上げ、できるだけ両側に隙をつくりました。なぜなら、膀胱が潰されて粉々になったようなので、娘は両側に沿って下へ押し、夫は下で真ん中に向けて集めながら、下へ押し出しました。このように、数回下へ押し出していると、プッと腸から多くのモノが排出されたのを感じました。一気に、体がすぐに身軽になってまるで浮かび上がるように感じ、お腹がすぐに平らになっていくのを見ました。その後、下を見ると、排出されたのは濃い液体にゼリーのようなモノが混じっており、たっぷり2~2.5kgはあり、あちこちに散っていました。同時に、我が家族みんなは感激が止まらず、師父の救いのご恩に大変感謝しました。
同修達が続々と私を見に来ました。息も絶え絶えであった私が、生き生きと彼女達の前に立っており、お腹の上にあった「鍋」が無くなったことを、みな不思議に思い、師父がどのように死神の手から私を奪い返されたかを分かち合いました。
結び
この事は既に1カ月以上経ちましたが、私はある時はまだ不思議な状態にいます。理解できず、元々お腹にあったものなのに、どうして腸から排出できたのでしょうか? 自分でも笑ってしまい、また人の思考で神のことを考えていました。更にこの奇跡が本当に自分の身に起こったことだと思うことができず、この20カ月の死神との戦いがあまりにも肝に銘じられたからです。
実は師父はずっと、私を加持してくださっており、私を保護してくださり、また師父の写真の佛壇から、華やかな佛光が映し出され私を励ましてくださいました。ただ弟子が愚昧で、執着を必死に抱いて放下しなかったのです。今になってやっと「忍の中には捨があり、捨て尽くすことこそ、漏らすことの無いさらに高い法理なのです」[1]という法理の一層の意味を悟るようになりました。同時に、師父を堅く信じ、大法を堅く信じ、生死を怖がらない正念の下で、やっと最後まで歩むことができる、ということもはっきり悟りました。
師父が私の為に耐えられ、私の為になさったことは、本当に言葉では表現できません。私は師父が私に延長してくださった生命の中で、怠らず努めて自分をよく修め、師父について家に帰ります。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「圓容」