重要なのは人心を正すこと
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2021年3月10日】明慧ネットに同修の交流文章『正法の終わる時間についての考えと預言』が掲載された後、私の地域の同修の間でずっと議論をしています。認める人もいるし、認めない人もいます。さらに同修の間でも口論が起きました。

 もともと普通の一篇の交流文章にすぎませんが、どうしてこんなに大きな反応を起こしたのでしょうか。

 私は次の二点に気づきました。一つは、この文章に書かれた内容は、天目が開いた同修が見たもので、すでに発生したことが予言で当たったことです。「百聞は一見に如かず」ーー見えることは信じることだという観念を持っている人たちによって、標準だと見なされます。もう一つは、未来に対する予測は、私たちの想像または観念と大きくかけ離れています。師父の説法にも合わないところがありますが、それも含めてこの文章を読んだ後、私は法を正す進展への理解に大きな差異があると感じました。つまり、自分の願っていることとこの文章に書かれた内容とは、大きな対照が強く感じられたということです。

 落ち着いて内に向けて探してみると、この文章の発表は、絶対に偶然ではないと感じました。長期的に中国で迫害されている環境の中において、私たちにはまだ果たしていない使命と責任があると知っていても、多かれ少なかれ早く苦難から抜け出し、迫害の終わりを願う人心があると思います。特に最近、メディアやセルフメディアの番組の中では、中国共産党と疫病に関する予言が多く掲載されたり、興味本位の噂話もたくさん耳にしたため、法を正す終了時間への執着が生じてしまったかもしれません。また天目に対する執着心もあり、まさに善悪を測る基準にしてしまったのです。(もしこの記事が小同修の天目で見たものではなく、同修が悟ったものであれば気にしなかったと思います)

 これらの人心が見つかった後、「文章の現れは、我々の同修が見た未来像に執着させることではなく、人心を暴露させるためだということ。自分が法に従っていない部分を正すべきで、すべての執着は三つのことを行うことの妨害になってしまうのだ」と急に分かりました。トランプ氏がいつになったら大統領に当選するのか、共産党はいつになったら滅亡するのか、台湾は武力で統一されるのかどうかなどなど、皆私たちが執着するべきものではありません。法を正す未来はどうなるのか、法を正す者ーー私たちの偉大な師父以外に、誰が知り得るのでしょうか。同修が見たものは、その境地での悟りにすぎません。もし私たち全体に何かの執着があったり、あるいは小同修及び周りの同修に執着があれば、旧勢力がその隙に乗じて小同修に偽のイメージを見せて、大法弟子へのいわゆる試練として利用されてしまうかもしれません。もし本当にそうであれば、大法弟子の執着心を取り除くためには、師父はそれを逆手に取っておられるかもしれません。

 従って、すべての大法弟子が皆真剣に内に向けて、法に従っていないどのような観念や人心があるのかを探し出して、直ちに正すことが良いでしょう。何かの予言やレベルが高い人の認識などに執着せず、師父の按排されたことが最善だと信じて、たとえ明日正法が終わっても執着せず、いつでも、どんな状況にあっても、「いかなる心も放棄し、何も考えず、ただ大法弟子として行なうべき全てを行なえば、全ては既にその中にあります」[1]との師父の要求に達することが最良なことでしょう。

 これはあくまでも私個人の悟りです。不適切なところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/4/421573.html)
 
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