文/河北省の大法弟子
【明慧日本2021年3月31日】法輪大法を学ぶ前、私は両足が腫れ上がり、歩く力がなく、背中の痛みで、夜に1時間ほどしか横になれませんでした。眠りにつく前に背中の痛みで起きてしまうからです。長期的な睡眠不足で、ますます短気になっていました。ある日の夜中、私はなかなか眠れず、気分がむしゃくしゃして、夫と息子がぐっすり眠っているのを見て腹が立ち、大声で叫びました。しかし、夫と息子は全然目覚めず、眠り続けていました。それで頭に血が上って、水を汲んできて、夫と息子にかけ、布団までびしょぬれになりました。その後も、このようなことを数回やってしまったのです。
夫と息子は私のことを怖がり、ひどいことをされても、私に逆らうことをしませんでした。騒いだ後、すごく後悔するのですが、この恨みをどうすればいいのか分からず、出口が見つかりませんでした。私の嫉妬心と怨恨は本当にひどいものでした。それに伴い、病気もますます悪化していきました。
1996年末、私はある法輪功学習者に出会いました。彼女は私の顔色が悪いとみて、法輪大法を紹介してくれました。
その翌日、私は法輪大法の煉功点へ行きました。功法を煉っている時、背中が暖かくて、心地よく、何とも言えない良い気分でした。目を少し開けてみると、空が橙色に染まっているのが見え、周囲もこのような色になっていました。煉功してから、全身が軽くなり、痛みも緩和されました。この感覚は生まれてから経験したことのないものでした。そして、私はすぐに大法の書籍を買いました。その後、地元にも法輪大法を学ぶ人が増えてきて、我が家もグループ学法の場所になり、私はみんなと一緒に学法と煉功をしました。
法輪大法を学んでから、私は大法の教えに従って良い人になるように己を律しました。内向的だった私は明るくなり、笑顔が出てきて、知らないうちに歯痛、遺伝性鼻炎などの病気が消えました。夫と息子が私の変化をみて、法輪大法の修煉を支持してくれました。私と家族は法輪大法の恩恵を受けました。法輪大法が私の住む地域にも広がったおかげで、本当に多くの人が法輪大法の恩恵を受けることができたのです。
一、師父が私に目を与えてくださった
1998年ある日の朝、左目が酷く痒くて、目玉が突き出ていて、目のあたりが卵大まで腫れ上がっていました。それで、夫に病院での検査を強制されました。数人の有名な専門家の診断を受けると「虹彩炎です。眼底がすでに腐りただれています。すぐに入院して、左目の眼球の摘出手術を受けてください。神経を切断すれば、右目を保護できます」と勧めてくれました。
それを聞いて、私は頭が真っ白になり、少し経ってから、慌てて医者に「これから本を読むことはできますか」と聞いてみました。医者は厳しい表情で首を横に振って「手術が成功しても、右目はわずかな光しか見えません。今後はこの光を頼って生活するしかないでしょう。本を読むことは不可能だと思います。手術が失敗すれば、両目とも失明してしまう可能性があります」と言いました。
それから、夫が私の入院の手続きのため、列に並び、私はその横の椅子に座ってイライラしながら「もうすぐ目を失うだろう…」と怖がっていた時、突然「すぐに病院を出ろ!」と、何かの力が働きました。私はすぐに立ち上がり、左手で目を覆い、右手で人混みを押し切り、素早く病院から出て、タクシーを呼んで家に帰りました。 夫もすぐに追いかけてきて、手術を受けさせるため私を病院へ連れて行こうとしました。私は「死んでも病院へは行かない!」と夫に言いました。
夫は電話で私の実家の親戚と、夫の実家の親戚20人以上を呼んできて、私を説得しました。親戚たちが私の目を見て、病院の診断書を読んで、驚きました。みんなが同情して泣きながら「病院に行って手術をしなさいよ」と勧めました。「病院では私の目は治らない。師父と大法を頼るしかない。他の選択肢がない」と私にはわかっていました。私はみんなに医者の言葉を話し、家族や友人、親戚を説得しました。それで手術を強いられなくなりました。私は「家で学法と煉功をすれば、目はきっと治る」と言いました。
しかし、夫はその後の数日間、病院へ行って手術をするようにと主張しました。ある日、義姉は夫に「今日は日曜日だから、病院には良い医者が出勤しない日だよ。しかも、目がこんなになっているので、手術が成功しても失明と変わらないじゃない! そんなに騒いでも意味がないでしょう。妹は病院には行かないと決めているし、目には穏やかで落ち着く環境が良いのよ」と言いました。「これは師父が義姉の口を借りて、夫を説得しているのだ」と私は認識し「修煉から言えば、私のこの病気は業力を滅していることです。師父が私の体を浄化してくださっているのです。私に2日間の時間をください。私は学法、煉功をする。もし、火曜日に私の目が好転すれば、もう病院には行かない。悪化すれば、手術しに行くわ」と夫に言いました。夫は「煉功で治るのなら、私も法輪大法を学ぶよ」と仕方なく同意してくれました。
私は落ち着いて『轉法輪』を持って読もうとしましたが、左目を開けられず、しかも涙が絶えず流れ、右目だけで読むのが辛かったので、姪に読んでもらいました。姪は読んだり、泣いたりしたため、姪に「私のために応援してくれるのなら、こんなふうに読んではいけないよ。師父を信じて、大法を信じれば奇跡が起きるよ。この本は真の佛法だから、よく読んでね」と言いました。
私と姪は落ち着きました。姪が法を読んでいるのを聞いていると、目玉が回っていると感じ、目の違和感がなくなりました。
夜になって、多くの話を師父に話したいと思って『轉法輪』を机に置き、跪いて「師父、私を救ってください。私を救ってください。私に両目を与えてください。私はまだ43歳です。これから、修煉の道のりが長いとわかっていますが、私は修煉を続けていきたいです…」と師父にお願いし、たくさん話しました。そして、私は座禅して、辛くなった時に「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]と暗唱しました。
翌日、目が覚めたとき、頭がはっきりしていて、左目を少し開けることができ、涙も出なくなりました。そして、私は煉功点へ行って、みんなと一緒に煉功をしました。功法の第一式の「羅漢が山を背負う」のとき、体が浮き上がっていると感じ、目を開けてみると、自分が一尺くらい浮き上がり、同修たちの頭頂が整然と並んでいるのが見えました。第二式の功法の「頭の両側で法輪を抱える」を煉るとき、誰かが動作を直してくれているのを感じ「師父が励ましてくださった」と思いました。
学法を通じて「病気」は自分自身の業力によってもたらしたもので、苦を嘗めれば業力を滅することができ、自ら心性を絶えず向上しなければならないと明確にわかりました。
そして、半月後、私の目は回復しました。家族や友人みんなが大法の奇跡を目の当たりにしました。それで、多くの人が『轉法輪』を読み始め、大法修煉の道に入ったのです。
その二十数日後、左目が再発して赤く腫れた状態が10日ほど続きました。その後も何度か繰り返し、夫は依然として病院で手術をさせようとしました。
私は絶えず内に向けて探しました。私は夫のことをよく考えたことがあったでしょうか? 頑固な私はいつも、何でもかんでも自分の言いなりにさせて、自分が間違っていても夫に非を認めさせていました。そして「失わなければ得られない」という法理がわかりました。その後、夫は二度と病院で手術することを言わなくなったのです。そして目の病業が再発することもありませんでした。私は二十年以上修煉してきて、一度も入院したことがなく、医療費も一銭も使っていません。
偉大で慈悲なる師父が私に目を与えてくださり、健康な体も与えてくださいました。師父に感謝いたします。
二、修煉を支持してくれている夫も報われた
私が修煉してから、夫は各方面から支持してくれました。1999年7.20から、江沢民グループが権力を利用し、法輪功迫害を開始しました。私と同修は、法輪功の陳情をするために北京へ行きました。夫がその費用を2万元(約34万円)出してくれました。我が家に学法グループがあり、大小の交流会も開きましたが、その時、夫はいつも外で私たちの警備をしてくれました。放浪生活をしている同修が我が家へ来ると、夫は利害損得を考えずに温かくお迎えしました。
夫は腰痛を患って、発病したときは十数分しか立てず、多くの治療を受けても効果はありませんでした。2010年、病院で「腰部脊柱管狭窄症」と診断され、医者に手術を勧められました。手術の専門医を息子が北京から招きました。夫は手術を受けようとし、入院するため、私に着替えと日用品を用意させました。
私は「医者が手術の成功を保証すると言いましたか?」と聞くと、夫は「誰も保証してくれないよ」と返事をしました。「大法は保証できます。あなたも私の身に起きた奇跡を見てきたでしょう」と言うと、夫は機嫌が悪くなり「お前は、私の世話をしたくないのだろう。なら、お手伝いさんを探すから」と言って、入院に必要な品を入れたカバンを持って行ってしまいました。
そして、私はすぐに師父に夫を救って下さるようお願いし、手術を受けないよう発正念をしました。約2時間後、夫はカバンを持って帰ってきて、私の顔を見て「私に正念を発したのか?」と聞き、「専門家が、腰の手術は精度の要求が高く、成功しなければ、寝たきりになる可能性があり、保守治療のほうが良いと言われた」と夫は言いました。私は「結局、手術は受けない事になったのね。学法して煉功したらどう?」と言いました。夫もそうするしかないとわかったようでした。
それから、夫は毎日『轉法輪』の一講を読み、他の時間は法輪大法の真相資料を読み、時々、功法を煉りました。2週間ほどで、夫の腰痛は完治し、ほかの病気も消えました。
夫は今も元気でいますが、残念なことに中国共産党当局の迫害を恐れて、正式に大法の修煉をしていません。
三、師父が息子の命を救ってくださった
息子はある日、泳ぎに行き、警告標識のあるエリアを超え、前方へ泳ぎ続けていると、体が下に沈んでいくのを感じ、泳げば泳ぐほど沈んでいくのを感じ、何度か水を飲んでしまったのです。「もう終わりだ!」と思った息子は「ママ! ママ!」と叫びましたが、体が沈んでいきました。危機の中、ふと普段私が言っている「誠心誠意に『法輪大法は素晴らしい』と念じれば、危難が来るとき、命が救われる」を思い出し、師父と大法のことを思い出し「法輪大法は素晴らしい!」と繰り返し念じました。そして、体が浮き上がっていくのを感じ、素早く岸辺まで泳ぎ、欄干を掴み「師父、救ってくださって、ありがとうございます」と何度も言いました。
このようなことが何度かありました。師父、息子を救ってくださって心から感謝いたします!
中共の人員が家に来て何度も私と家族に嫌がらせをしましたが、息子は親孝行な子で、私に対して一言も文句を言ったことはありません。息子はいつも私を励まし、時々、大法の本を読み、大法の法理もある程度わかっていますが、夫と同じように、当局を恐れて大法修煉の道に入っていません。
四、母が何度も危機から安泰に
母は62歳のとき、胆石手術に失敗しました。母は何も食べられない状態になり、生命の危険に陥り、医者はお手上げでした。その後、病院側が私たち家族に母の死後の準備を勧め、母を退院させました。絶望の中、私は師父に母を救って下さるようにお願いし、師父の説法の録音を母に聞かせました。
その日の夜、母は水を飲めました。翌日、ご飯も食べられるようになりました。数日後、体が徐々に回復し、この大難から救われました。
母は元々大法を信じていました。2001年、私は実家から警官に不当連行されたとき、母がその場で警官らに「うちの娘を連れて行かないでください。娘は良い人になるよう法輪功を学んでいます。どの法律も犯していません。法輪功の人は銃や爆弾を持っていません。持っているなら、あなたたちも恐れて、鎮圧しなくなるでしょう」と言いました。つまり、警官が何の武器も持っていない大人しい人、良い人ばかりを捕まえているのだと、母は言いたかったのです。
ある日、甥が大法の真相が書かれた紙をナイフで切り取っているところを母親が見つけ、母は彼を厳しく叱責しました。2004~2006年、母は数回も入院しました。医者が数回も危篤通知を下しましたが、毎回、私は母に師父の説法を聞かせ「法輪大法は素晴らしい」と念じさせて、回復できました。母は法輪大法を学んでいませんが、師父と大法を信じていました。母は88歳で穏やかに死去しました。
五、大法を信じている妹家族の身に起きた奇跡的な出来事
妹一家はみんな大法の書籍を読んだことがあります。妹は時々、私と一緒に大法の資料を配りに行きます。江沢民グループが法輪功迫害を開始してから、私は数回、中共当局に迫害されましたが、私の持っている大法の書籍や真相資料、大法の資料を作成する用品を妹が保護してくれました。
2011年の秋、姪(妹の娘)は屋根の上でトウモロコシを干していたところ、誤って4、5メートルの高さの屋根からコンクリートの床に落ちました。姪が「ママ!」と叫ぶ声が聞こえ、家族みんなが駆け付け、姪の姿を見て唖然としました。しかし、妹はすぐに「法輪大法は素晴らしい!」と念じ、姪にも念じるように教え、家族全員にも念じるように言ったのです。妹は姪に「あなたの叔母は法輪大法を学んでいるので、あなたも大法を信じているから、きっと大丈夫よ」と話しかけました。そして、姪はゆっくりと地面から起き上がり、どこも負傷していませんでした。
2011年ある日の夜、義弟(ぎてい:妹の夫)は背中がひどく痛み、病院へ行きました。病院で検査を受けたところ「バイパス手術が必要」と診断されました。 症状の深刻さから、医者は北京の病院で治療することを勧めました。北京に向かう途中、義弟は「法輪大法は素晴らしい」と念じ続け、病院に到着しても念じ続けました。それを聞いた医者は「苦痛を減軽するなら、念じてください」と言いました。
主治医は家族に15万元(約、252万円)を用意するように言い「主任のサインをもらったら早速手術をするから」と言いました。主任はその日、病院にいなかったのです。妹は電話で私に事情を説明しました。私は「早く『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を念じて。3日後には帰宅できるよ」と言いました。
ちょうど3日目、主任が出勤しました。主任は義弟を診察して「病状が重いため手術をすれば、手術台から降りられない可能性がある」と、保守的治療を勧めました。そして義弟は数日間観察入院することにしました。
義弟は妹から私の話を聞き、大法に救われると信じ、退院を希望しました。帰宅した義弟はすぐに法を勉強し、煉功し始めました。二十数日後、重い心臓病が治りました。もう数年が経ちましたが、一度も再発したことはありません。しかし、残念なことに、義弟も中共当局の大法弟子に対する迫害を恐れ、大法の道に入ってきていません。
私の家族や親戚たちは大法の恩恵を受けた例がたくさんあります。
ここで、弟子の私と家族は、慈悲深く救い済度して下さった師父に感謝いたします! 合掌!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』