脱退ストーリー6篇
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文/李青

 明慧日本2021年4月14日】

 「ネット封鎖を突破する技術を『北大荒』にいた仲間たちに教えたい」

 上海の屈滬東さんは2020年3月に発表した脱退声明の中で、このように書いた。「上山下郷運動の当時、『北大荒』(黒龍江省一帯)に派遣され、多くの苦しみを味わいました。その後の数十年間、徐々に中国共産党(以下、中共)の本質を認識することができ、その後、ネット封鎖を破る方法を学び、YouTubeを見ることができました。年をとってから初めて、中共が自分や周りの一般国民に対して大きな罪を犯していることを理解しました。このネット封鎖を突破する技術を昔の『北大荒』にいた仲間たちや、一緒に安徽省の中小都市で教師になった上海の人たちに教えてあげたいのです」

 屈滬東さんは、「今回の疫病による数々の現象を通して、中共の素顔をより深く知ることができました。自分自身が共産党の組織から脱退するだけでなく、自分の子孫を中共に加入させてはならないと思います」

 海外の大紀元サイトで「三退」の声明を発表した人の中には、同様に考えさせられるメッセージが多くあり、彼らが少しずつ理解していく過程が見える。

 長年の考えは壁を乗り越えた後に確認された

 「信則強」という仮名の男性は、2019年11月23日、長年にわたって真実を追い求めてきた実体験を語った。

 「私は30年以上の中共党員と軍の経験を持つ退役軍人であり、軍事学校で中共の歴史、中国革命の歴史、マルクス主義理論をすべて体系的に学んできたので、徹底的な中共信徒のはずです。幸いなことに、両親は私に独立して考える大脳と、率直な性格を与えてくれました」

 「私の考えが変わったのは、2002年の第16回全国代表大会で『国有企業改革の深化』が提案された時です。 多くの国有企業が民間企業に売却されました。共産主義は私有制度をなくすことではありませんか? 私有制度はあらゆる悪の根源だと言われているのではありませんか? なぜ国有企業は経営できなくなり、市場経済に加入しなければならないのでしょうか? 公有制度が間違っているのでしょうか? なぜ欧米の先進国はすべて私有制度なのでしょうか?」

 「そこで、私は本屋を走り回って、立憲に関する本をたくさん買い、自由、民主主義、立憲政治、ルソー、シャーロック、モンテスキュー、ホッブズ、トクヴィル、アダム・スミスなどを勉強し始めました。特に、ハイエクの自由哲学論文集から大きな啓発を受けました。また、辞書、中国百科事典、軍事辞書、および学生時代のマルクス主義理論の教科書などを全て出しました。そして、私の考え方は少しずつ変わりました。それは理性からの根本的な変化でした」

 「2005年のある日、洋服屋さんで洋服を見ていた時、年配のおばさんが私に封筒をさっと手渡し、振り返らずに立ち去っていきました。その時から、私は本当に変わりました」

 「開けてみると、大小2枚のDVDが入っていて、大きい方は神韻公演の内容ですが、小さい方は動態ネットのインストールディスクでした。家に帰ってから、すぐパソコンに入れました。それ以来、私はほぼ毎日大紀元と新唐人を見るようになり、中共の邪悪な本質をよりはっきりと認識することができました。同時に、自分の能力範囲内で中共を暴露し、自由、民主、法治の普遍的な価値観を広め、中華民族の未来のために、家族、親戚、友人、同級生など周りの人に真実の情報を提供し、中国の未来のために自分の役割を果たすため一生懸命働きました。私はここで厳粛に党員を脱退する声明を発表します。永遠に取り消すことはしません」

 ある年配者の自覚

 2020年5月8日、北京の年配者・張愛縁さんは、「私は80代ですが、中共の党員になってから間もなく70年になります。今、孫に手伝ってもらってネットの壁を突破し、脱退します」と声明を発表した。

 「子供の頃、私は日本人が嫌いなのではなく、ロシア人が一番嫌いでした。多くのロシア人がよく村に来て女性を探し、私たちはこのような恐怖の中で育ちました。家が貧しいので、女の子も早く働きに出て生活費を稼いでいました。中共が政権を立てて間もなく、私は東北局に就職し、共産党員になり、当時の『進歩青年』になりました。実は、私にとっての最大の希望は、お腹がいっぱいになることでした」

 「最も記憶に残っているのは、前回の庚子年(1960年)の飢饉です。今見れば、実際には毛沢東が作り出した飢饉で、食料を買うために列に並んでいるとき、ひもじさで気を失い、危うく命を落としそうになりました。それは都会での話であって、田舎ではもっとひどく、多くの人が餓死しました。その後、北京に転勤しましたが、文化大革命が始まると、私の家族は西北五七幹部学校に派遣され、『地球を修復する作業』と呼ばれました。西北部での生活は、私の人生の苦い思い出となり、それ以来二度と北西部に行きませんでした」

 「私が経験した2回目の庚子年に、疫病が発生しました。このコロナ感染症を通して、私は、国民に不幸をもたらすだけの中共の醜い顔を徹底的に見極めました。中共は今や全世界に不幸をもたらしています。私はここで、中共の党・団・隊からの脱退を声明します。これは年配の自分の自覚であり、子供や孫が期待通りの人生を送り、中共がない中国になり、人為的な災難が減ることを願っています」

 大学教員の選択

 2020年7月29日、中国国内の小軍さんは「三退」声明の中で次のように書いた。「私は国内の大学教師です。大紀元と新唐人の番組を見ています。若い頃、大飢饉や文化大革命などの中共が引き起こした災害を上の世代から教わり、その時の恐ろしさを感じました。叔母は1960年に餓死し、祖父は知識人であったため文化大革命で拷問や批判を受け、50代で亡くなりました。その時、私は僅か数歳でした」

 「私は比較的安定した時代に育ちましたが、中共の本質は『虚偽』の二文字であることをよく知っています。みんなが言っていることは心の中で思っていることと矛盾しており、宣伝していることは実際にやっていることと矛盾しています。官僚たちは子供や親戚を海外に移住させ外国人になっているのに、国内では愛国心を持つよう国民を洗脳していますが、悲しいことに、多くの人は『国』とは何か、誰が『中国』を代表しているかさえ分からないのです」

 「大学院時代に、党員になったのですが、今思えば、人生で一番後悔すべきことだったと思っています。家族のため、生活のため、脳梗塞の父親のために、実名で脱退することができなかったことをお許しください。ここで、邪悪な共産党から脱退を表明し、自分の魂と心が自由になれるようにしたいと思います。全世界の善良で正義のある人々が力を合わせて、71年間にわたって中華民族を毒殺し、傷つけてきたこの中共組織を打倒し、中華民族にきれいな土地が還るよう願っています」

 密かに足の指で地面に「No」と書く

 2020年7月28日、ペンネーム「磨刀客」さんはこのように書いた。「私は中国国内の末端組織の公務員です。権力もなく、海外資産もなく親族もおらず、国外に出たこともなく、国外に出るつもりもありません」

 「私は子供の頃から洗脳教育を受けてきたので、かなりの被害を受けました。幸いなのは、伝統的な家庭教育を受けたことで、人間の基本的な誠実さと正義感が多少残っています」

 「1995年末、私は入党申請書を書かずに共産党に加入させられました。そのため、『三反五反』の時代に巻き込まれ、ひどく批判された父親は今でも反対しています」

 「正直に言うと、当時の私は、仕事の能力と忍耐力を持った幹部であり、まさに共産党が必要としている一生懸命に働く「牛」のような人でした。年と経験の積みにつれ、独立して考えるようになり、次第に中共の本質を認識し、この腐敗した邪悪な組織にいることはとても恥であると思いました。2011年以降、私は党員を辞めようと申し出たことがありますが、党によくない影響を与えるという理由で却下されました。それ以来、『党への誓いの言葉』を読み上げる儀式に出席するたびに、密かに足の指で地面に『No』と書きました」

 

 2018年1月に「壁を乗り越える』ことを学び、外の世界と接触したことで、中共の『私たちは思いつかないことがあるだけで、それができないことはない』という本質をよりはっきりと認識できました。それ以来、私はいつも中国国外の真実の情報を周囲の人々に伝えています」

 「もう本当に我慢できない!」

 2019年7月25日、河南省周口市の趙崇深さんは、「私は華東地区の某役場の幹部で、中共が嘘を言っていることを知っていますが、内心では嫌がりながら自分を守るため、黙ってずっと容認していました。しかし、ここ数年、過去とは異なり、日々の仕事に加えて、夜には政治的な学習をやらなければなりません。私は本当に我慢できなくなりました。無力な人々を見るたびに、共産党のバッジをゴミ箱に捨てて、携帯電話から政治学習のアプリを削除したくなりました。しかし、共産党は入ることはできても出ることはできない政党であり、今ではさらに監視が厳しくなりました。ここで『三退』ができると親友から聞いたので、早速、声明を出しました」というメッセージを送ってきた。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/8/422829.html)
 
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