心を静めて学法し 法に溶け込む
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年4月21日】私は1997年に法輪大法の修煉を始めました。当時14歳でした。今まですでに20年以上修煉しました。私は天目が開いた状態で法輪大法を修めています。

 2019年、私は半年近く学法を怠り、三つのことをしっかり行うことができませんでした。10月に、私は続けて2回夢の中で部屋のドアと屋根がふるいのようになって光が漏れているのを見ました。目覚めた後、私は急いで内に向けて探したところ、自分に漏れがあることを意識できました。

 改めて学法を始めた時、以前のように普通に学法することが出来ませんでした。私は一段落ずつゆっくり読みました。知らないうちに、少しよくなりました。しかし心の中の雑念が依然として非常に多かったのです。私は集中して、心を静めて学法できるように引き続き絶えず雑念を排除しました。

 2時間続けて学法しましたが、自分のどこに問題があったか認識できませんでした。心の負担も重くなりはじめ、さらにいらいらして、どうすればよいのか分からなくなりました。なんと言っても、このような状況は今までなかったからです。私は非常に焦り出しました。慌てて自分に忠告しました。

「こうしてはならない。自然にまかせるべきだ。一時的に見つからなくても、問題を探し出そうとする執着も放下しよう。心を静めて学法しよう! 如何なる執着心もすべてあってはならない」と。

 私は手元のすべての仕事を止め、暇な時間をすべて学法に使いました。毎日『轉法輪』を1、2講学ぶ以外、各地での説法も最初から学び始めました。毎日4、5時間学法しました。妨害があまりにも大きく、学法の質を上げるため、1講を学ぶのに4時間もかかりました。

 29日間続けた時、多くの執着心が見つかり、心が静かになりましたが、やはり根本的な問題は見つかっていませんでした。

 31日目の午後、私はひとりの同修と交流しました。私は無意識のうちに一言言いましたが、突然師父の法身が隣りで厳しい表情で自分を見つめているのを目にしました。私は猛然と自分が言ったその言葉に問題があると意識できました。急いで自分が何を言ったのか真剣に思い出しました。そこでやっと、私がその言葉を口にしていた時、自分が非常にえらいと思っていたことに気づきました。私は驚きました。これはほかでもなく独りよがりではないでしょうか。しかもこれほど強烈な独りよがりでした。どうして今まで自分にこの心があることに気付かなかったのでしょうか。

 自分の漏れの原因が見つかってから、私は随分落ち着きました。師父は悟らせてくださり、この心はやっと私に掴み出されました。以後、私はさらに注意し、排斥しました。学法を怠る勇気がなくなりました。続いて、脳裏に自分を顕示したい、或いは独りよがりの考えが浮かんでくると、それを排斥し、反省しました。

 しかし独りよがりの心を見つけてから、2、3日後、私の脳裏にはまた嫉妬心、是非を論じる心、独りよがり、挑発、顕示などの非常に汚い汚れた考えが浮かんで来て、私の行動と意識を支配しようとしました。私が同修と交流した時、これは思想業だと言いましたが、私はそうだと決めつけられませんでした。なぜならこの強烈な思想は今まで私が体験した思想業とは異なり、しかもこれらの良くない考えは私の身体の深い所から発せられて来たからです。

 思想業であろうと何であろうと、良くない考えが浮かんだら、私はそれを排斥し、否定しました。かつ絶えず自分の主意識を強めました。

 4日後、私はバスに乗った途端、また非常に悪くて汚れた考えが生じました。この考えは私の非常に深い所にあるある層の身体から光ってきました。当時私は歩いていましたが、その考えにより私の身体は一瞬として凍り付いたように突然停止しました。それはなんと私の行為を制御したのです。ただ一瞬でしたが、私は直ちに警戒しました。「違う、これは絶対簡単な思想業力ではない。これは非常に良くない一層での身体だ」

 これは一層の身体であると気付きましたが、その出所を知りませんでした。なぜなら私の身体がなんと一瞬にして制御されたからです。そして心の底から陣陣たる不安が生じました。私は自分に「怖がらないで、心を静めて学法して、主意識をもう少し強くして! 絶対に解決方法がある」と忠告しました。

 その夜、突然停電になりました。時間通りに学法するため、私はろうそくに火をつけました。近所の人がろうそくを借りに来ました。私はその近所の人に真相を伝え、彼女を見送りました。その後、部屋に戻り引き続き学法しました。学法して間もない時、またしばらく嫉妬、是非、独りよがりなどの汚い考えが襲って来ました。私が無理やりそれらを排斥した後、驚きの一幕が現れました。

 部屋の中が非常に暗かったですが、私の心臓の外延の位置を始めとして、心臓から6、7センチ離れた所に一本の光の帯が光り、身体の内部の輪郭を一回りした後、最初のところに繋がりました。私の身体の範囲内に隠されているこの身体は、深夜にLEDライトを取り付けられた公告ボードのように、少しも隠れることなく私の目の前に現れました。数秒後、直ちに消えました。

图:我仿照当时的情况,做了这张图片。希望大家能更直观的理解。

図:当時の状況を元に、この図を描きました。みなさんが更に理解できることを望みます

 私は頭を下げ、ぼーっとしてこの明るくなった身体を見つめていました。私はやっとそれをはっきりと見ました。この層の身体の本質は私(し)で、「独り善がり」で、私(し)のための身体の一部分でした。私がこの「独り善がり」の心を取り除こうとした時、身体の中に隠れていたこの層の身体を掘り出したのです。最近現れたこれらの良くない考えの根元は、すべて私(し)を元とするこの層の身体から来ていました。私はいつの間にこれほどの強い私心ができたのでしょうか。驚きのあまり、何が何だか分からなくなりました。

 この日から、私はこの層の身体が絶えず身体の表面に押し出されているのが明らかに感じ取れました。毎日それが1~2センチずつ外へと拡大してくることを感じました。それが絶えず外へ拡大されて来るにつれ、嫉妬、是非、独りよがりの心、挑発、顕示心等々様々な良くない考えが、更に強烈に私の考えのなかに現れて来て、真の自分の考えを区別することが更に難しくなりました。しかし、私は、これらの考えが自分ではないことをはっきりと知っていました。

 それと同時に、私はさらに緩めず学法しました。これらの外来の考えに対して、私は自分の最大の能力を尽くして排斥し、消滅しました。しかし、私は知っていました。この層の身体が一旦表面に押し出されたら、自分が更に多く耐えなければならず、しかもさらにそれに影響され、動かされ易くなるということを知っていました。その間、私はたくさんの方法でそれを抑制しようとしましたが、効果は微々たるものでした。

 「いずれにせよ必ず主意識を強くもって絶対それに制御されてはならない。法があるので、絶対問題は起きない」と私は自分を励ましました。3日後、この層の身体は私の最も表面の身体に押し出されてきました。それと同時に、嫉妬、是非、独り善がり、挑発など各種の考えが溢れ出て、何ら憚ることなく私の思想と行為を制御しようとしました。

 しかも、それが一番表層まで来た時、私のすべての考え方がこの層の身体を通じて伝え出されました。ですから、私のほとんどの考えも不純になりました。例えば、私が友人と一緒に寿司を食べに行った時のことです。一つの皿に寿司が二本ありましたが、一本がもう一本よりトウモロコシが2粒多かったのです。その時、私の最初の考えはなんと「私はこの2粒多い寿司を食べたい」という願望でした。この考えが現れた途端、私は何も考えず箸でそのトウモロコシが2粒多い寿司を挟んで口のなかに入れました。口の中にまで入れた時、やっと猛然と自分がこの良くない心に従ってやったと意識できました。

 また例えば、帰宅後、客間で靴を履き替える時、廊下から歩く音が聞こえて来ました。普段であれば、私はまったく気にしません。しかし、この層の私(し)の身体があったので、なんと無意識的にのぞき穴に目を付けて、廊下にいる人を見ました。「誰かのしっぽをつかめることができるかも」と思っていました。この行為と考えは、私が理知であるかどうかに関わらず普段は絶対あり得ないことです。

 この2つの例は、言い出すと大変可笑しなことですが、私の身に発生しました。私は実に非常に驚きました。数々の現れは、それが絶対私ではないということを証明しました。私の生命の本性に、これほど汚れた考えがあったことはありません。しかし私の身に現れた以上、必ずとも私と関係があります。必ずこの層の身体の出所を探し出さなければなりません。

 この2回の思わぬ体験は、さらに私に警鐘を鳴らしました。後になって、如何なる良くない考えが飛び出すと、私はさらに強い主意識の下、正念を持って対応しました。例えば、それが私に何かをさせようとすると、私はすべて法の基準ではかり、理性的に自分がやるべき行動を取りました。また、これらの考え方を笑い話として周囲の同修や友人に伝えました。

 同時に、この私(し)の身体は、全力を尽くして私がこれらの汚れた考えを皆に伝えることを阻止しようとしました。それが現れた状態は、非常に私の執着心に似ていて、それは私を制御し、私が他の心を取り除くようにそれを切り捨てることを阻止しようとしました。

 これはさらに、それが私ではないことを確信させました。

 しかし場合によって、私はそれが一体自分であるかどうかを見分けることができませんでした。なぜならこの層の身体は私と完全に同様な大脳構造を持っていたからです。それが悪念を発した時、簡単に私の大脳と重なることができ、しかも絶えず私の考えを主導しようとしました。「違う! でも否定しよう。これほど良くない観念は明らかに私ではない」私は絶えず自分に忠告し、警鐘を鳴らしました。排斥しながら、学法しました。一講学ぶのに、4時間かかりました。非常に疲れました。しかし、それでも堅持し、緩める勇気はありませんでした。

 学法する時、私は突然このような一念を動かしました。「この関を乗り越えることは非常に奇特だ。整理して、明慧ネットに投稿すべきだ」。その時、その層の身体は私の身体の中で恐れて震えました。緊張して独り言を言いました。「うわー、彼女が本当に明慧ネットに投稿したら、みな私が人を害したと知ってしまうのではないか?」と。

 当時私は学法に専念していたため、すぐに反応できませんでした。また一段落を学んだ時、猛然と意識出来ました。「それはなぜこう言ったのか? それは暴露されるのを怖がっている? なぜなら他の人をも害しているかもしれないからだ。もしかして私のこの問題は普遍的なのかもしれない、この体験を書いて明慧ネットに投稿し、さらに多くの同修が参考にして、警鐘を鳴らすべきだ。私がこう言い出すと、それはさらに怖がり、私の体内で気が漏れたボールのようになり、迅速に縮まり、元のサイズに戻り、私にそれほど強烈に邪魔しなくなりました。

 それから2日間は静かでした。3日目になると、この層の身体はまたもや私を制御しようと試みました。私は心の中で師父に「弟子はどうしたのでしょうか? これほど努力して旧勢力を排斥しているのに、どうして排斥し切れないのでしょうか?」とお聞きました。その時、私は書籍の中の一つ一つの文字がすべて師父の法身であることが見えてきました。師父の法身は書籍の中の文字を見ては、また私を見ました。師父の法身は私にそれを認識させようとしているのだと私は悟りました。

 私はぼーっとしました。それを認識するとはどういうことでしょうか? この数日間、私が少しも緩めず学法して来たのは、自分が少しでも緩めると、それが自分と同様に大脳構造を持っているため、自分を制御するのが容易いと知っていたからです。しかも私を制御して悪いことをやらせます。私は師父に話しました。「師父、弟子がそれを認識できた後、万が一問題が起きたらどうしますか? 弟子は怖いです」。その時、書籍の右下の文から「法輪大法」という四文字が強烈な金色の光を放ちました。一瞬にして私の目に飛んで入りました。

 私はぼーっとしてから、突然意識がはっきりしました。「そうだ、師父は私に我々の法はこれほど大きいのだから、恐ろしいことはないと教えようとしてくださっている」と悟りました。

 師父はこう説かれました。「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後何かを行い、何かを口にするときにも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです!」

 私は悟りました。旧宇宙の生命はみな自らのため、私(し)のためであり、我々の身体の一部分でもあります。それには非常に多くの執着心が含まれているのです。私たちは修煉の過程でそれを取り除き、無視無我の新しい宇宙の生命の基準に達することができるのです。しかし、私(し)も生命のあるもので、かつ私の身体の一層にもなっています。私がそれを修めようとする時、それは消滅されたくないため、狂ったように私を妨害し、制御しようとするのです。この数日間の私の非正常な挙動は、それが消滅されたくたいため、反撃しに来たためなのです。

 この層の身体を強烈に排斥する心を放下してから、私は再び学法を続けました。絶えず自分に「法は非常に大きい! 私は恐れない! 私は恐れない!」と言い聞かせました。こう思っている時、私の心は突然静かになりました。その前までは自分に問題が起こることを恐れていて、結局恐怖の中で逆に知らないうちに他の空間にあるその層の身体の周りにそれを保護する塀を作っていました。この時、恐怖を放下する中、この塀も消えて行きました。

 続けて法を読み上げると、法の中からひとしきりの暖かい慈悲で強大な力量が放されて来ました。非常に自分を忘れて、その中に溶け込みたいと思いました。塀が徹底的になくなるにつれて、私はやっとすべての心の負担を放下できるようになりました。

 続いて発生したことを、私は一生忘れられません。

 私は明らかに座って学法していましたが、自分が突然ひとすじの金色の光に化けて、何の束縛もない状態で金色に光っている本の中に飛び込みました。私の身体、思想などすべてのすべてが金色の法の中に溶け込みました。溶け込んでから、身体のすべての細胞が法によって熔煉され、正されて行きました。私はまるで消失したようでした。自分の身体がどこに行ったのかはっきり分かりませんでした。しかし自分が法の中で熔煉されていることだけははっきり知っていました。その時、私は法の中の一つの粒子となっていて、法によって熔煉される感覚はそれほど明らかで、生々しく、比類なく美しいものでした。

 このような学法の状態はしばらく続き、それから私が化けた一筋の金色の光が本の中から出てきて、現実の中の肉身に戻りました。私は驚きながら自分の腕を触って見ました。なるほど、これこそ法に溶け込むということなのか、私は学法し続けました。

 また不思議で神聖な一幕が現れました。あっという間に私はなんと、軽やかに果てしない宇宙の中で漂っていました。深碧の天空では星の光が輝いていました。私はぼーっとして、錯覚だと思いました。慌てて自分の状態を調整しようとしました。すると、また現実の肉身に戻ってきました。しかし集中して学法を始めるや否や、私は再び果てしない宇宙に入りました。

 素晴らしく、珍しいことでした。私は直ちに「何が発生しても心を動じることなく、引き続き静かに学法しよう」と自分に忠告しました。

 法を読み上げるにつれて、一つ一つの文字が金色に輝き、宇宙の中に浮かんできました。私の目の前で、輝く金色のフォントが深碧の天空を背景にしていて、比類なく人を震撼させませました。この状態はしばらく続きました。

 私は再び現実の中に戻ってきました。その時、本の中で本来平だった文字が立体世界に変わり、立体で真実の映像がそのままに現れてきました。それから2人の正神が現れました。1人は道家の身なりで、もう1人は佛家の身なりでした。2人は私に声を掛けましたが、彼らが言っていたのが法に則っていなかったため、私は警戒しました。私は「あなたたちが言っているのは正しくない。師父の法に符合していない」と言いました。私の話が口から出るや否や、2人は互いにちらっと見ては、大笑いしながら、満足したように私に向けてうなずきました。

 私はひそかに考えました。「私は以前、目に見えたことを本当のことだと思ってしまう問題がありました。法は私に何が見えても、法をもってはかるように注意を促しているのだ」と。

 また5、6行を読むと、かつて幼い時に悟っていた人としての道理が私の空間場から飛び出し、本の中で金色に輝く法理を遮りました。そして法の中の内涵が一部遮られました。私はぼーっとしました。自分が悟っていた法理が師父の法を遮っている? どうして? そして「そうだ、一部のことにおいて、私は自分のこの悟りで指導してきた。しかし私は大法弟子だ、法を師とすべきだ。どうして自分のものに執着できるだろうか?」と意識できました。この点が分かってから、私が悟ったその人としての道理が法理の上から消えていき、遮られた法が再び現れてきました。

 この私心を掘り出してから、それは再び私を強烈に妨害しなくなりました。しかし、時には法に符合しない考えが浮かんできて、私が学法することを妨害しました。しかし、それが浮かんで来ると、私は即時にそれを掴んで取り除きました。なぜなら、私はそれが自分の身体にまだ存在しているを知っていたので、学法や日常生活の中で、自分の言動や考えの中に私(し)のものがあるかどうか特別に注意していたからです。

 今回の体験を通して、すべての妨害は縁もゆかりのないものではないことを意識できました。やたらに外に向けて探し、否定し、排斥しても、根本的な問題を解決することができません。妨害に遭遇したら、必ず真剣に自分を探し、どうして妨害されたのか、探すべきです。その背後には必ず気づいていない執着心があるのです。

 独りよがりの心に気付いてなかった時、私は執着心を取り除く過程において、私(し)に触れることなく、その存在にも気づきませんでした。それを発見し、それを取り除こうとした時、それは消滅されることを恐れ、飛び出して私に対して猛烈な妨害をし始めました。私が学法を堅持し、執着心を取り除く過程において、法は絶えずそれを弱めました。同時に、それが浮かんできたら、私は直ちにそれを掴んで、自らそれを取り除きました。心を静めて学法し、法に溶け込めば、すべての問題が解決できます。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/18/413877.html)
 
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