魔難の中で師父を思い出す
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年4月22日】最近ある同修と会ったとき、同修は「この前、2人の同修が強制連行されましたが、私たちにとって、それはまるで生死を放下するための試練のようでしたが、乗り越えることができました。あなたは忘れたかもしれませんが、2カ月前あなたと会ったとき、あなたは『私たちには師父がおられる!』と言いました。この言葉を頼りに、私は乗り越えることができました」と話しました。

 実はその時、何を気にかけてその言葉を言ったか覚えていませんでした。しかし、この言葉は同修の心を強く動かし、師と法を強く信じる信念を持たせ、強い決意で今日まで歩むことができたのです。

 2021年3月の初旬、2人の同修が相次いで警察に強制連行されました。その後いろんな情報を聞いて、同修たちはとても大きな圧力を感じていました。私も落ち着かず、暫くの間、家を離れてアパートを借りました。毎日、強制連行された同修のために発正念をしていました。自分には恐れる心が現れたのが分かっていたので、自分のその心を取り除く発正念もしていましたが、心は落ち着きませんでした。

 難の中で、心に師と法があり、師と法を信じた話の例は山ほどあります。同修一人一人が魔難の中で、切実な思いを経験していると思います。私は魔難から逃れるために、アパートを借りましたが同修と比べて、あまりにもかけ離れていました。

 最近、強制連行された同修のために発正念をしています。毎回の発正念の際、意念の中で同修と一緒に、師父の詩の『哀しまないで』、『正念正行』、『恐れ無し』、『真性が顕れる』などを読み返しています。そして、師父の『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」の末尾の説法も読み返してみました。師父はこのように説いておられます。「質問は全部答えました。私がいくらたくさん話しても、修煉の道は皆さん自身で歩まなければなりません。どのようにしてしっかりとこの道を歩み、最後まで歩むのか、このことこそ、最も素晴らしいのです。なぜなら、この道を歩む過程に困難があり、各種の試練、思いもよらない魔難と様々な執着及び情による妨害があるからです。この妨害は家庭、社会、親族友人、ひいては修煉者同士から来ており、さらに人類社会の情勢による妨害もあります。この全ての全てはあなたを常人に引っ張り戻すことができます。この全てを突破することができれば、あなたは神に向かっていくことができます。ですから、一人の修煉者にとって、自らを堅め、如何なることがあっても動揺しないという確固たる正念があれば、これこそ素晴らしいのです。金剛のように、磐石のごとく確固としていれば、誰もあなたを揺るがすことができません。邪悪はあなたを見て恐れてしまいます。もし困難の前で、念が非常に正しければ、邪悪の迫害や妨害を前にするとき、あなたが言った、正念の強い一言は邪悪を直ちに解体することができ、(拍手)邪悪に利用された人はすぐに逃げてしまい、邪悪のあなたに対する迫害はすぐ消え、邪悪のあなたに対する妨害を即刻になくすことができます。正しい信念というこの一念だけですが、この正念を守りきることができる人は、最後まで歩むことができ、大法によって造られた偉大な神になるのです。(長時間の拍手)」

 魔難の中にいる同修が、師父を思い出し、師父のこれらの説法を思い出し、正々堂々と魔難から乗り越えるよう願っています。同時に自分の励みとして精進できるようにと思っています。

 あの日の同修の言葉は、私の心に深く残りました。同じ師父の弟子であり、同じ法を学んでいますが、同修はできているのに、なぜ私はできないのでしょうか? これは師と法を信じる根本的な問題ではありませんか? この根本的な問題を解決できていないのに、修煉と言えますか? 圓満成就も語れなくなります! 私は同修の言葉から同修とのギャップを感じ、私のさらなる精進する原動力となりました。

 わずかな認識であり、間違いがあれば慈悲を以てご指摘ください。

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/19/422214.html)
 
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