心の中に大法があれば、何事も難しくない
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本網2021年4月25日】私は1996年に法を得た古い弟子で、今年77歳です。1976年から腰椎間板ヘルニア、圧迫性骨折など多種類の難病を患って、半年入院したことがあります。3回腰椎の牽引手術を受け、毎回ベッドで3週間じっと横になっていて、2人の幼い子供は親戚の家に預けて、それでも治愈しませんでした。

 1985年、胃がんも診断され、診断書を手にした時、あまりのショックで夫は泣きました。青島の病院に半年胃の治療をして好転したところ、頭痛が出てきて、視力が0.1まで落ちて、記憶力も後退しました。調べたらなんと重度な脳萎縮で、もうすぐ認知症にまで発展するそうです。絶望した私は遺書まで書いて自殺を図ったのですが、子供のために我慢して生きることを選びました。

 子供たちが少し大きくなってから、私は治療に専念しました。漢方医、西洋医、秘伝の処方、マッサージ、理学療法、薬、すべての手段を使ったが治りません。それからランニング、太極拳、気功をやって、あれこれ20種類以上の気功を習って、修了証書はたくさん取ったのですが、病気は一向に治っていません。

 1992年、ある居士に有名な五台山に道教に帰依することを勧められましたが、私は行きませんでした。1996年、法輪功に出会いました。24年間の修煉を経て、心の中に大法があって、本当に自分を修煉者と見なすなら、どんな魔難に遭ってもきっと乗り越えられることを悟りました。ここでいくつかのことを書き出して皆さんと交流したいと思います。

 1、執着を捨てると、何も失わない

 2000年1月、私は法輪功の無実を訴えるため北京に陳情に行き、地元の公安局に連れ帰られて拘束されました。ある日、公安局長と政治保安課長が私に話をしにきて、その中の一言がこう言いました。「あなたは国営企業の幹部で、共産党員でもある。法輪功を止める保証書を書かないと次のステップでは給料を停止される」。私は、「給料のことはあなたには決められない。すべてを決めているのは我々の師父だ」と答えました。2人はお手上げ状態で、「この人はどうしようもない」と言いました。

 その後、私は不当な強制労働教養をさせられて、労働教養所の中で同室の人から「給料は止められているのか」と聞かれて、私は「知らない」と答えました。本当に知らないし、家族に一度も聞いたことがありません。その後、家族が面会に来て、聞いてみたら給料は今まで通りに支給されていることが分かりました。私が知っている限りでは、強制労働教養を言い渡された人は給料を止められるはずです。労働教養所に拘束された地元の法輪功学習者はみな給料を止められたそうです。ふと公安局長と政治保安課長に言われたことを思い出しました。あの時、自分は執着心を放下できて大法の基準に達したため、師父は守って下さったのです。

 師父が私たちに教えてくれたように、「修は己にありて、功は師にあり」[1]。 師父はまた「しかし、真の向上は放棄することであって、得ることではありません」[2] と説かれています。

 2、そのような執着心がなければ、そのような難にも見舞われない

 2000年7月、現地の多くの大法弟子が北京に陳情に行きました。私は皆より早い時期に北京に行っき、帰って来て同修たちと交流して、陳情に行くべきだと言ったことがあります。7月当時、私はまだ地元の洗脳クラスに不当に拘禁されていました。

 ある日、警察が文書を持ってきて、私に「サインしてくれ。サインしたらこの案件のけりはつけられるのだ」と言いました。私はびっくりして、自分がサインしないとけりをつけられない案件というのは、いったいどんな案件だろうかと思いました。文書を見たら失笑しました。17人の大法弟子は私が彼らに北京に陳情に行くように促したことを証言したという文書です。私はその警官に「あなたは私を買いかぶり過ぎています。修煉は自分を修めて内に向けて探すもので、外へ向けて探すものではないのです。あなたに尋ねますが、もし私が法輪功のために北京に陳情に行きなさいと言ったら、あなたは行きますか」と言うと、彼は「行かない」と。「あなた自身に行く意思がないと、私に唆されても行かないでしょう」。これを聞いて警察は何も言わずに書類を持って去りました。

 2008年北京オリンピックを前にして、全国範囲で大法弟子に対する監視と逮捕はエスカレートして、私の地元では100人余りの大法弟子が逮捕されました。数多くの弟子は拷問に耐えきれず、私に話しました。師父の慈悲なるご加護で私はずっと無事でした。自分は念を正しくして迫害を恐れる心がないため、師父が守って下さったと思います。

 3、常人の念と神の念は紙一重

 2000年7月、私は警察に洗脳クラスから田舎のあるホテルに連行され、5日間鉄製の椅子に手錠をかけられ、全身が動けなくて、食も水も取っていません。

 彼らに真相を伝えても誰も聞いてくれません。時はちょうど夏場で、暑いほか虫にも刺されて、乾燥で唇の表面は裂けてしまいました。5日目に小便をしたいが許可をもらえませんでした。公安局長に会いたいと言うと、暫くして局長が本当に来て、「法輪功を止めるか」と聞いたので、私は「最後まで修煉を続けていく」と答えました。彼は怒って「この人を死ぬまで殴れ!」と命令しました。私の心は非常に穏やかで、「修煉の意思を絶対動揺せず、あとは私を殴るか殺すか、好きにしなさい」と言いました。そう言った時、師父がそばにいて下さると感じ、私の心は空っぽになり、すべてを放下しました。そして、局長は外に出て私の勤め先に連絡を入れて、私を連れて帰ることを依頼したようです。常人の念と神の念は紙一重で、師父は私に確固たる修煉の意思だけを求めておられるのです。

 4、迫害を加担した人々を救い済度する

 ~2005年、「610弁公室」、国保大隊、派出所、私の勤め先の責任者が相次いで私の家を訪ねてきた。かつて自分に迫害を加担した人たちに対して私は恨みもなく、恐れもなく、彼らを肉親と思って救いたい一心でした。

 まず法輪功が病気を取り除き健康を保つ効果からの話題を切り開いて、自分の病気が煉功して治ったことを彼らに教えました。また、中国には「一滴の水の恩義を受けた人は、湧き水をもって恩義を必ず返す」という諺があって、師父は私たちから何ももらわず、私たちの善に向かう心だけに期待しておられることを語って、そして70年間の人生で経験した中国共産党の邪悪さ、『九評』の内容なども語りました。2時間近く話して、彼らはじっと真剣に聞いていました。私は時々反応を聞いて、彼らは「そうだ、そうだ」と相槌を打ちました。

 また、「610弁公室」は法輪功を迫害するために設立された組織で、生活のためそこに勤めるのは仕方がないことだが、仕事をどのようにするかは自分の良心で判断するものだ。上の命令を執行する時でも、善良な選択をすることもできる。善悪にも因果応報があるのは天理だと言いました。

 「今日は各部門の責任者も集まったので、皆さんは答えてください、私は法輪功を続けていくべきか」と聞いて、彼らは口をそろって、「続けていくべきだ」と言いました。それから十数年が経って、私は二度と妨害を受けたことがなく。修煉環境はますます良くなっています。

 私は「610弁公室」の主任2人に転職するように説得しました。もう1人の主任の妻が子宮筋腫切除手術をしたことがあって、私はその妻に真相を伝えて、その後彼女も『轉法輪』を読むようになって、体が回復して、私と友達になりました。

 5、心願成就

 2004年、師父の新経文『人心を放下し、世の人々を救い済度する』が発表され、私は何度も何度も学んで、法を正す進展は新たな段階に入ったと悟って、多くの同修にも新経文を読んでほしいと思いました。当時、地元にはまだ資料拠点が一つも設立していないため、私はコピーできるところを探しました。5、6軒コピー機を置いた店を回って、怖くてコピーさせないところもあれば、私を罵って通報すると脅かすところもあり、最後に繁華街から少し離れた店で店主に法輪功の良さを伝えて、40部コピーさせてもらいました。

 その頃グループ学法の環境がなくなったため、同修たちにほとんど会えません。翌日、師父にご加持を願ってから私は市場に行って、目的は、同修を探して経文を渡したいことです。ふだん会えない同修はその日になぜか次々と市場に来たので、顔を合わしたら「新経文が出たけど、ほしい?」と聞くと、「ほしい!」。このようにして午前だけで35部の経文を同修に渡しました。師父のご加持のおかげで、翌日も何人かの同修に会って、残りの経文を渡しました。どんなことに遭っても心の中に大法があって正しく行えば、何事も難しくなくなることを悟りました。「あなた自身はそういう願望を抱いて、そう思うだけで、実際のことは師がやってくれるのです」[1]の通りです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『転法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』(二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/12/415705.html)
 
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