道具に頼ることへの悟り
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文/中国の大法弟子

  【明慧日本2021年4月28日】師父は「実は超能力は開発するものではなく、それはほかならぬ人間の本能です。しかし人類社会の発展につれて、人間はますますこの物質空間の有形のものを重視し、ますます現代化された道具に依存するようになりました。ですから人類の本能は退化する一方で、最後にはこの本能が完全に消えてしまったのです。」[1] と説かれました。このことについて、私が悟ったことについて話します。

 表面的には現代の道具は人間に大きな便利をもたらしてくれました。古代の道具は見た目は素朴で雑に見えます。何かをするにしても、例えば道路を補修するには大きな労力が要ります。しかし、これはまさに神が按排されたのです。その目的は業を滅し、人の欲望を抑えることです。このようにして人々は徳が高く、悟性も良く、神への信念も強いのです。しかし、現代科学がもたらした現代化の道具は、大幅に人の能力と体力の消耗を減らし、人間の全体的な業がますます多くなり、欲望も増える一方です。このようにして人々はますます神を信じなくなります。そのため、科学とその発展過程は旧勢力が入念に按排した人類を滅ぼす計画における非常に重要な一部です。

 昔の人は徳が高く、功能も強いのです。当時は道具が少なくても、人々は幸せでした。人間と神が同時に存在する時代であり、人々はよく功能を使っていました。商と周の時代になって、道具が少し現れましたが、人の本性はまだよい状態で、道理がわかっていました。

 庄子の『天地』によると、子貢は老人が水を汲むのに苦労しているのを見て、機械を使うことを勧めたところ、老人は「機械があればそれを使うことが増え、使えば『機心』が生じてしまいます。『機心』が生じてしまえば、心が純粋ではなくなります。心が純粋でなくなれば、精神が安らかにならず、道(どう)も影響されてしまいます。自分は使うことを知らないのではなく、使いたくないのです」と答えました。

 元々私はこの話がどうしても理解できませんでしたが、今ではわかるようになりました。道具が増えれば増えるほど、人の先天的な本能が退化してしまいます。現代科学が現れるまで、このような退化は緩やかな下降線を辿っていましたが、現代科学の出現に伴って、退化も加速してしまいました。今ではほぼどん底についてしまっています。今は人が道具を使っているように見えるかもしれませんが、実際には道具が人を操っており、道具がなければ人は何もできなくなってしまったのです。

 物事は発展して頂点に達すると必ず反対の方向に転じてしまいます。未来の人類は新たな文明における道具がありますが、依存するのではなく、人とモノの間に良性的な関係が保たれれば、人の先天的な本能が蘇るのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/1/422767.html)
 
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