精進したければ、朝の煉功から始めよう
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文/中国の大法弟子   

 【明慧日本2021年4月30日】同修と交流しているとき、彼らの素晴らしい修煉体験にいつも感動させられます。例えば、朝の煉功は私にとって一番難しいことなのです。朝の煉功を続けられる人を尊敬しています。ある時、私は年配の同修に「あなたは朝何時に起きるのですか?」と聞いてみました。同修は「私は3時過ぎに起きて、2時間半ほど煉功をして、6時に正念を発します。その後、1時間ほど法を学んで、朝食を作ります」と言いました。私は感動して「本当に精進していますね」と言いました。同修は「最初は大変だけど、慣れてくるとやっぱり起きないと逆に辛く感じます。やはり『精進したければ、朝の煉功から始める』でしょうね」と話してくれました。

 「精進したければ、朝の煉功から始める」という言葉は、私の心に響き、納得しました。朝、目を開けると「朝の煉功」が最初の課題です。朝起きられない私に、師父は何度も啓発してくださいました。夢の中で猫と一緒に寝ていたり、水辺で寝てしまい、なかなか起きられない夢など、怠けている夢ばかりです。二度寝するのは当たり前で、それは「怠け者」の魔を元気にすることだと思うと、できない自分に腹が立つこともあります。「睡眠時間を短くすると死ぬのか? そうだ挑戦してみよう! 起きよう! 」と、しかし、数日経っても、やはり習慣化できません。 毎日の煉功は欠かさなかったとはいえ、規則正しい生活ではありませんでした。 実際、法を学び、正念を発し、人々を救うには、根気と忍耐が必要であり、修煉者の原動力は大法からきているのです。精神的に決心したときにだけ、その行動に従うことができるのです。

 以前「師恩を讃える」を聴いていたとき、ある同修が「その日、講習会が終わったあと、空中に2人の菩薩が見えました。1人の菩薩が『この人たちは皆、歴刧(長期に亘る修煉)の過程を経て来ています。本当に素晴らしいです』と言っていました。もう1人の菩薩は『確かに、稀に見る素晴らしさです。100万に一つという位得難いですね』と言っていました」と振り返りながら話しました。それを聞いて私は少し悲しくなりました。「歴劫」とは何を意味するのでしょうか? また、「100万に一つ」とはどういうことでしょうか?

 当初、私たちは師父について一層一層と三界まで下りてきた時、怠けたことがありますか? 手を抜いたことがありますか? それは、法を正すことを成し遂げなければ、ここで死ぬ! という命がけのものでした。 20年以上にわたる圧迫と嵐の中で、着実に歩み続けることは容易ではありません。朝の煉功は、根基がよく悟性の優れた人にとっては、そんなに難しいことではないかもしれませんが、悟性が少し後れている人は三日坊主です。また数日に一度しか煉功をしていなかったりしても「煉功を少なくしていますが、心性を修めることは怠けていません」と言って、ごまかす同修もいます。周りを見渡すと、長年にわたって亡くなった修煉者や、修煉をやめた人たちがいて、感慨深いものがあります。朝の煉功から正念を発し、学法、人を救うことまで、人に管理されることなく、誰からも強制されることもない、難しいのはこれです。法の基準に基づいて三つのことを行う中で、三つのことの中の一つでもよく修めていないことがあれば、遅れてしまうかもしれません。

 私たちが日常的に目にするものは、一見何の変哲もないように見えますが、実は修煉の中での整然と秩序立っている按排なのです。朝には朝のやるべきことがあり、昼も夜も同じです。多忙の中で、常人社会の中で、修煉は私たちが主に行うべきことなのです。

 原動力は、しっかり大法を学ぶことによって生じてきます。しばしば師父の期待と弟子のために尽くしていることを考え、王の帰還を楽しみにしている天人のことを考え、あなたは精進する願いを高めることができます。様々な困難を克服したあと、まだこの一歩を乗り越えられないのですか? 緩めてはいけません。精進する気持ちを持って、できるだけ「一日に数回は正念を発します」と自分によく言い聞かせてみてください。

 師父は「あなたの向上、あなたの圓満成就がなければ、あなたが救った衆生はどこに行けばいいのでしょうか? 誰が彼らを受け入れるのでしょうか?」[1]と説かれました。

 毎日があっという間に過ぎていく感じで、功を煉らないと夜しか補えないのですが、夜になると眠くなってしまい、明日にしようとします。煉功するかどうか、よく迷います。迷うときは諦めないで、煉功しましょう。一度、朝に輪を抱えていなかったとき、夜に補おうと思ったことがあります。しかし、夕方になると他のことで忙しくなり、11時近くになるとまぶたが重くなり、眠くなってしまい横になりたくなります。でも、今日の煉功はまだ終わっていないのに、明日は明日の行うべきことがあると思いました。私は、思い切って煉功の音楽を流しました。1時間輪を抱えると、瞬時に師父の加持を感じ、エネルギーが特に強く、顔は静電気を帯びているようで、全く疲れませんでした。煉功した後、20分間の正念を発しました。

 朝の煉功から就寝まで、一日中、純潔で自分を高めることができ、気持ちがよかったです。個人的な体験なので、法に基づいていないところがあれば、同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/6/422976.html)
 
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