文/中国の大法弟子 楽苦
【明慧日本2021年5月2日】私は、全世界の大法弟子が参加している朝の煉功に参加することは滅多にありません。朝起き上がれないばかりか、アラームを何個も設定しても無意味で、どうしても突破することができませんでした。眠り込んでしまったり、怠惰がいつも私につきまとっており、とても悩ましいことで、煉功はいつも好きな時間にやっていました。
今の時間はあまりにも貴重で、ぐっすり熟睡する時間などないはずです。私が安逸を求めているとき、よく夢を見ますが、全て色欲に関連する夢でした。寝坊しなければこのような夢は見ません。安逸は色心と関連しているようです。
10月初旬、私は2人の同修に会い交流しました。その2人は親子で、娘の同修は街から離れたところに住んでいて、ほかの同修と一緒に修煉する環境がなく、一人で修煉している状態でした。私は彼女のために、毎日発正念する以外に、自分に何ができるか分かりませんでした。彼女も若く、修煉環境がなく、朝の煉功に参加することができていませんでした。私は当時、彼女とこれらについて交流しました。
2人の同修が帰った後、私は自分の言葉にパワーがないことに気づきました。なぜならそれらの道理を自分でも分かっていますが、今まで突破できず、それは苦を舐めたくなかったからです。私は、自分が突破してから彼女とさらに交流すれば、もっとパワーがあるのではないかと思いました。私は心の中で一つの目標を立てました。まず第二功法の煉功時間を延ばして、それから次に進めようと思いました。
そして10月16日ころから、私は第二功法を2時間することにしました。最初の3日間はあまり感覚がなかったのですが、後から体の至る所が痛くなりました。しかし、数日後には全ての痛みが消えました。
それからの数日間、私はミラレパの修煉の物語等を聞くことができ、心から師父の法像を招きたくなりました。10月23日、同修が師父の法像と香炉を持って来てくれました。翌日から私は朝3時10分に起床することにしました。顔を洗い、口を漱いだ後、着替えてから師父に線香を3本焚きます。師父に叩頭の礼をしてから、弟子は最も良いもの、自分の修煉により真、善、忍に同化された部分で師父を敬います。これこそ最も純粋なものです。
師父に線香を焚いた後、私は座禅を始めます。90分する時もあれば、120分する時もあります。毎晩第二功法を2時間煉功します。その時私は、師父が説かれたことを体験しました。師父は「先日わたしは、人類のこの時空と、他のさらに大きな時空・空間との概念が違うとお話ししましたが、われわれのこちらの一刻は二時間ですが、他の空間では一年になります」[1]と説かれています。
その時、高熱の虚像が現れましたが、夜になると私は相変わらず、第二式の功法を2時間やりました。しかし、その過程で感じたことは言葉で表現できないほどでした。あの2時間は本当に長く、あまりにも長すぎたと感じました。確実にあの空間の1年を感じ、辛くて本当に苦しかったです。
その間、何度も腕を下ろそうと思いましたが、「動かないように」という一念がありました。部屋はとても静かでした。ある時、床から「パタッ」という音がしました。私は高熱のため、頭があまりはっきりしてはいませんでしたが、それは汗が床に落ちた音だったのです。
翌日も熱が続き、前3秒間は全身が熱かったのに、後の3秒間はすぐに氷の穴にでも落ちたかのように感じ、このような状態が一日と半日続きました。午後、私は突然、師父に質問しなければと思いました。「弟子はどうすればよいのでしょうか」と聞きたかったのです。その時、「一念で解決できる」という一言が脳裏に浮かんで来ました。もし「一念で解決できる」ならば、この状態は現れてはいけません。私が「この状態は現れてはならない!」という一念を発した途端、サーと潮が引くようにすべてが正常に戻りました。72時間足らずで、無事に魔難を乗り越えました。
11月26日を正式に師父の法像を招いた日として、私は仏堂を金色紙で装飾しました。師父が最も喜ばれることは、弟子がより多くの人を救うことであると思いましたので、事前に同じ学法グループの同修と約束して、その日、私たちは「希望」という小冊子を50冊配ることにしました。
家を出る前に、私は師父に叩頭の礼をし、私たち2人の弟子が正念を持って人を救えるように、衆生が救われることを妨げる全ての邪悪な要素を解体するように、ご加持をお願いしました。
起き上がる瞬間、師父がはっきりと「行ってらっしゃい」という念を私の頭に打ち込んで下さったと感じました。それはとても神聖で、幸せで、エネルギーに包まれた感じがしました。
私たちは、エレベーター付きの非常に大きなビルの区域に入ることに決めました。入り口はスムーズに通りましたが、予想外に大変高級な区域で、ドアの外側に風を防ぐ小さな空間が設置されており、そこに入ることはできますが、さらに中のドアから入るにはスワイプカードが必要となりました。
どうやって入るかと考えていたら、牛乳配達の青年が急いで入ってきてドアを開けたので、私たち2人は後について順調に入ることができました。私が14階まで上がった時、見上げると15階には下着姿の青年がスツールに座って、たばこを吸いながらスマホを見ていました。突然、彼は廊下に戻り家の中に入っていきました。
私の方が同修より若くて上がるのが速く、同修はかなり下の階にいました。その後、私はすぐに自分の間違いに気づきました。「自分を実証してはならず、私たちは一体であり、私は同修と近距離を保たなければならない」と分かると、上るペースを同修に合わせることにしました。
こうして、順調にその区画のすべての家に小冊子を配りました。ところが、いざ出ようとした時に出れないことに気づきました。スワイプカードがないと出れないし、入れないことになっていたのです。しかし、私たち2人は動揺せず、階段に戻って発正念し、入ることが出来たのだから、出ることも出来るだろうと思いながら、師父にご加持を求めました。やがて1分もしないうちに、外側のドアを開ける音が聞こえたので急いでドアに向かうと、野菜を買って帰って来たおじいさんが入ろうとしていました。
私たちはドアから出ることができました。私は同修に「こんなドアだと知っていたら来なかったですよね」と話しました。でもなぜ、こんなにもスムーズに出入りができて、こんなにも偶然に、「誰かがドアを開けて、誰かが戻ってくる」とは、誰がやってくれたのでしょうか? そうです。師父、全ては私たちの師父がやってくださっているのです!
次元が限られており、適当でないところがあれば、同修の慈悲なる叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』