文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年5月7日】ある修煉者は最近、病気の症状が出て、家庭生活でも苦難を強いられていました。私は彼女を助けることで、法の修煉と家庭の両立という側面を理解することができました。私たちは時々、自分の私心が知らず知らずのうちにバランスを崩し、自分自身を苦しめていることに気づかないことがあります。そのため、衆生に対し、救い済度することがうまく行えないこともありました。
例えば、私の夫は、迫害が始まったばかりのとき、私が修煉を続ける理由を理解できませんでした。迫害の中で、変わりなく修煉を続ける私を理解することができずに、強引に止めたり、離婚すると脅したりしました。私は夫に言いました。情に執着していたため、夫と別れるのは嫌だったし、別れるのはとても怖かったのですが、他に選択肢はないので、私は法輪大法のために断固とした態度をとりました。
その時の私は、内に向けて探すことや感情への執着をなくす方法を知りませんでした。私が知っていたのは、法輪大法は素晴らしいものであり、私が修煉するのを誰も止められないということだけでした。堅実に自分を修める方法を知らなかった私は、自己主張と戦いの精神に頼りました。私の行動は、私が家族や他の何よりも修煉を選んだという印象を人々に与えただけで、それを理解してもらうことはできませんでした。他人への配慮もほとんどありませんでした。修煉を止めようとする人には平気で立ち向かい、家庭の修煉環境を大切にしませんでした。また、人の誤解を解くために、法の実証をしたこともありませんでした。
自分を振り返ってみると、もっと修煉していれば避けられたかもしれないトラブルがたくさんありましたが、当時の私は毅然とした態度で大法を守ったので、よくやったと思っていました。しかも、大法をしっかりと守り、自信を持って他の修煉者に話していました。今になってみると、大法を守っているように見えても、他人と議論しているうちに、実は自分を守っていたのだと気づきました。氷山をも溶かす慈愛の心で争いを解決し、恨みや憎しみを持たず、優しく家族に接することができるように、合理的に真実を明らかにするべきです。
私の家族は、私の行動が理解できなくても、受け身で耐えていました。その結果、衝突が続いて起きました。私は「よし、一緒に戦おう」とさえ思いました。「いつか私が投獄されたら後悔するぞ」とまで思っていました。それが本当の自分ではないことに気づかず、否定もしなかったのです。それが、悪の要素に利用されてしまったのです。執着心が強いために、学法をしたり、煉功をしたり、正念を発したりすることを怠っていたら、本当に牢屋に入れられてしまいました。最終的には法に導かれて艱難辛苦を突破しましたが、自分が法を誤解していたことがよくわかりませんでした。
出所してから、私は法を学び、自分の心性を高めることに専念しました。徐々に自分を見つめ直し、争いを冷静に処理する方法を学びました。師父の慈愛に満ちた悟りのもと、私はますます成熟し、理性的になっていきました。家族との関係も良くなり、和やかな雰囲気の中で過ごすことができました。
私は、大法のために何かをしたように感じていました。夫は私の不在が子供の学校の成績に影響すると訴えても、私は自分が悪いことをしたとは認めませんでした。それはすべて、中国共産党の迫害のせいだと主張しました。夫はそのことに不満を持っていて、私に口うるさく言い続けてきました。
最近になって法を理解した私は、修煉者としての私の大きな漏れがあったため、悪の迫害するための口実となり、家族に多大な損害を与えたと言わざるを得ませんでした。これは私のせいではないのでしょうか? 私は自分の不足が家族に損害を与えたことを認めるべきだったのです。夫に心から謝ったところ、夫は私を責めることをやめました。
師父は「したがって今後、何かトラブルに遭遇した時は、それを偶然なことだと考えてはなりません。なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです」 [1]と説かれました。
私への接し方が常人の基準では理不尽であったとしても、家族を責めたり、自分の正しさを強調する言い訳はありません。私たちは修煉者であり、法輪大法の基準で自分を測るべきです。常人の基準で考えるのは、自分を常人として扱っていることになりはしませんか?
自分の修煉の不足を確認した後、対立を作った人たちに感謝しました。私に向上の機会を与えてくれたのだと思いました。この対立は、私が排除しなければならない執着や、自分の内面を見つめる必要性を明らかにしてくれました。これらの人々、特に私の家族は、法輪大法に救われるために遠い宇宙からやってきました。私は彼らを失望させることはできません。人間の感情はとても些細なもので、救いの問題はとても重大なものです。
師父は「最大限に常人社会の状態に合わせて修煉すべきであり…」 [2]と説かれました。
多くの修煉者が迫害のために離婚を余儀なくされています。修煉と家庭生活のバランスが取れているかどうか、自分の中で考えてみることをお勧めします。家庭生活は、多くの人々とつながるために重要なものです。家族関係が良好であれば、大法の正当性が証明されますし、家族を大切にすることは、衆生を救う責任の一つでもあります。
法輪大法の弟子として、法を正す責任を負う私たちは、慈悲の心で衆生を救うのです。私たちは、これを最優先に考え、個人的な些細なことを超えていかなければなりません。
私の夫は数年前に浮気をしました。私はその女性に電話をして「私たちの個人的な感情にかかわらず、あなたに法輪大法のことを伝えたいです。私たちは縁がどうであれ、あなたが法輪大法の真実を知ることが最も重要なのです」と伝えました。
彼女に、法輪大法と、私がなぜ修煉をしているのかを話した後、私は共産党組織から脱退することの意義について話しました。彼女は「私の友達のお母さんが法輪大法を修煉していて、私はもう脱退しました」と言いました。彼女が法輪大法を尊敬していることがわかりました。私は彼女のことを嬉しく思いました。私は、彼女に対する恨みを完全には捨てていませんでしたが、大法の基準に基づいてそれも捨てようと思いました。彼女はやがて結婚しました。私の家族は、師父の慈悲なる保護の下に、この苦難を乗り越えました。多くの友人が私たちの調和のとれた家庭生活を賞賛しています。
不当に投獄されている間に離婚を迫られた同修もいました。 戻ってきたら、元夫が反省して復縁を望んできたり、同修に振られた人もいましたが、もちろんそれぞれ理由は違うのでしょう。しかし、これまでに、人を救うという立場に立ち、問題やアプローチの仕方をよく考えたことがありますか? 相手に真実を伝え、争いを解決し、本当にその人を救うのは、寛容で思いやりのある心であるべきではないでしょうか。
一部の人は家族のしがらみや干渉を受けずに情を手放したことで、自分の修煉のためになり、大法のためにも、人を救うためにだけ、真実を伝える活動に出かける時間が増えたと感じています。しかし、この関係を整えて、これらを適切に処理しないと、多くの親戚や友人、周囲の人たちに理解されず、救われる機会を失ってしまい、取り返しのつかないダメージを受けることになるのです。また、離婚手続きをしても再婚せずに同棲している同修もいますが、これは大法修煉の基準を満たしていませんし、自分自身に魔難や病業の妨害をもたらす人もいて、他の人の救いに影響を与えています。
大法弟子の間で起こる離婚の現象、ここには旧勢力からの邪悪な迫害、按排、干渉があるが、私たちの不手際によってもたらされたものも多いのです。情を捨てようとして、修煉者が夫に無関心になるケース、常人の言葉で言えば、共通点がないケース、情が重すぎて執着し、束縛してしまうケース「三つのこと」を上手に行うために、自分のことばかりに気を取られ、家族のことをおろそかにしてしまうケースもあります。一部の人は家族に対し、冷たく無情であり、心の中では大法のことばかりを考えていて、他には何もないという印象を与えています。
要するに、家族関係に支障をきたすのは、修煉がうまくいかないときです。それは、修煉と家庭生活がうまく取れていないからです。家庭は私たちの貴重な修煉環境であり、衆生を救うための窓口でもあります。家庭生活で起こることはすべて、私たちが向上するための修煉の機会です。家族の関係を良好に保つことは、衆生を救うための一つの責任なのです。
注:
[1] 李洪志師父の著作『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】