大法を修煉し、師父が始終私を見守ってくださる
■ 印刷版
 

 文/ベトナムの大法弟子

 【明慧日本2021年5月9日】

  師父に合掌いたします!

  同修の皆さん、今日は!

 私はベトナムの法輪功修煉者で、2014年から法輪大法の修煉を始めました。

 1992年5月13日、李洪志大師は正式に世に法輪功を伝え出されました。1999年7月20日、江沢民の邪悪な集団は、その手元の権力を利用して、公に法輪功を残酷に鎮圧し始めました。掌握した宣伝機器を利用し、全国そして全世界に向けて誹謗中傷し、故意に事実を曲げて法輪功を陥れました。21世紀の初め頃になって大法はやっとベトナムに伝わりましたが、そのとき私は50歳を過ぎたばかりでした。

 それまでの私は、基本的には無神論者でした。宗教と信仰に関しては興味がなく、それ故に法輪功に関しても他の人の話を聞いただけに過ぎませんでした。

 数年後、私の大学時代のある友達が『轉法輪』を1冊くれました。多分この友達が私に熱心に大法を紹介しなかったのが原因なのか、それとも私に縁がまだなかったのか、私はすぐには法を得ませんでした。しかし、1年後の2014年5月、私はその友達と私の大学の最も仲のいい数人の友達を我が家に誘うと、いとも簡単に集まりました。そのとき1年前私に、『轉法輪』をくれたその友達がとても大きな変化があることに気付きました。彼はとても健康に見え、肌に赤みがあってつやつやしており、以前とは全く違うのです。彼は病気で苦しんでいたことがあり、長い間医者の診察を受け治療していました。彼の大きな変化を見た私は、「直ちに法輪功を煉ろう」とする願望が生じてきました。心で「もし法輪功がこのように良いのであれば、私は必ず煉るべきだ!」と思いました。この念が生じた途端に、私はすぐに大法の恩恵に恵まれました。

 20歳の時から、私は不眠で苦しめられていて、ある時は生きるより本当に死んだ方がいいと思ったこともありました。しかし、私が一旦大法を修煉しようと決めてからは、よく寝ることができたのです。30年近くあの恐ろしい不眠に苦しめられていたのですが、それからは子供のように寝ることができたのです。これは正に奇跡であり、私は真剣に修煉を始めることにしました。

 初めは、大法に対する認識が不足しており、周りの古い弟子の指導も受けていなかったので、私の個人修煉はぶつかってしまいました。私は修めようとする決心はあるのですが、たくさんの過ちを犯しては、自分で悟らなければなりませんでした。修煉する前の私は、多くの病気に罹っており、どれほど多かったでしょう! 両手の10本の指でも数えられません。私が修煉を始めた時は、それらの病気のことも考えず、体が良くなるかも知れないとも考えてはいなかったのですが、事実、これらの病気がだんだんと、私の体から全て消えていきました。不思議なのは、私が修煉を始めて数日も経っていないとき、喉が何かによって押さえられていると気付き、すぐこれは腫瘍であるかも知れないと心配になりました。私は数十年間、ずっと慢性の喉の痛みの病気で、常に強い抗生物質に頼っていたのです。心配になって病院に行きましたが、医者は「喉は正常です」と言いました。数週間後にもやはり喉に奇怪なしこりがあると感じたので、また病院に行って2回目の検査をしましたが、医者の説明は1回目と同じく「全て正常です」と言いました。私は忽ち分かりました。師父は私の体を浄化されており、半生も私を苦しめた病気を体外に排出されていたのです。私は医者が処方した薬をもらいませんでしたし、再びこの病気を診てもらいに行くことはありませんでした。

 2011年、私は専門分野の仕事を退職した後、ガイドの仕事をしました。この仕事はとても繁忙で、常に旅行しなければなりませんでした。長年、私はずっと多くの病気を患っていました。例えば心血管疾患、眩暈症、腎虚による夜尿症、手足の冷えや古傷による関節痛等々ですが、私は既に修煉を始めていたにもかかわらず、私の法に対する理解が深くなかったため、私は真剣に直ぐに薬を止めていませんでした。ただ、度々薬を飲むのを忘れたりしていましたが、これで体の調子が悪くなることはありませんでした。心性が高まるにつれて師父が私を徐々に助けられており、私の業を消してくださっていると悟るようになると、私の体は回復していました。後に私は自発的に薬を止めました。私が13歳の時医者に「心臓に病気があるので、体力を使うことは避けるように」と言われていましたが、今の私は一気に1000メートルの山の峰を速く登ることができます。2016年、私が中国に行った時、万里の長城まで1000メートルありましたが、誰よりも速く登れました。当然、私は高台に着いた時も、決して心からの九文字の「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じることを忘れることはありませんでした。

 私は同時に、師父は私の体を浄化されたばかりでなく、また何度も奇跡的に私を救ってくださったことを思い知りました。ここで幾つかの例をあげます。

 私が外国の観光客40人を連れてバスで駅まで行き、列車で南方へ行った時のことです。時間を十分にとってなかった上、交通ラッシュと重なり、観光客を駅まで送るバスは、予定より30分近くも遅れてしまったのでとても焦りました。このように多くの観光客が、列車に間に合わなくなるとは想像もつかなかったことで、ガイドは全ての責任を負うべきものだったからです。私は師父に助けを求めましたが、あまり大きな期待はしていませんでした。なぜなら、この北から南へ走る列車は、私達が列車に乗ろうとする駅では、数分しか停車していないからです。しかし、奇跡が起こりました! 私達が駅に着くと、列車が私達の団体を待っているのが見えました。師父が私を助けて下さったのだと分かりました。私は観光客に直ぐに列車に飛び乗るように促しました。

 もう一つは、列車の中で団体のある客が不注意で熱湯1杯を私のお腹に溢しました。このイギリスからの客は非常に心配していたので、私は彼を安心させ、トイレに行って着替えをし、師父に私を助けて下さるようにずっとお願いしました。数時間後、やけどした腫れと赤くなった痕が私のお腹から消えました! その客はとても不思議に思い、私はこの機会を借りて彼と他の観光客に法輪功に関する奇跡を伝えました。

 またある時、私が観光客を連れて深山のある村を歩いて散策していた時、突然ひどく曇ってきました。観光客は誰も雨合羽も傘も持っていませんでした。黒雲はむくむくと湧き上がり、雷がゴロゴロ鳴りましたが、雨は降っていませんでした。私達が道端の家に駆けこむと、突然大雨が盆を傾けたかのように降り出し、数十分経ってから止みました。私はすぐ分かりました。師父が私達を助けてくださったのです。

 ベトナムの法輪功修煉者は、中国の法輪功修煉者に比べて何年も遅く法を得ましたが、しかし幸運であるのは、法輪功の修煉はベトナムでは合法で、これはベトナムの法輪功修煉者の利点です。修煉者も大法の資料を簡単に得ることができます。『轉法輪』の本と師父の経文は翻訳の質がとても高く、修煉者たちはすぐに得ることができました。これ以外にも修煉者を助けて法を広め真相を伝える資料とか、ベトナム語の明慧ネット、大紀元、新唐人、正見ネット等々は大法が全世界で広まる最新の情報を絶えず得ることができます。最初のころは、私は好奇心によって上述した幾つかのネットを一覧していました。たくさん見れば見るほど、たくさん聴けば聴くほど、私の修煉は更に精進でき、更に確固としたものになりました。私は中共の邪悪が法輪功をひどく鎮圧するほど、もっと努力して真相を伝え、中共邪党を暴露すべきであると気づきました。

 そのため私は、中国及び世界各地の政治家、有名人、国際組織などに『共産党についての九つの論評』、『悪魔が世界を統治している』、そして中共邪党が法輪功を迫害することに譴責する文書など、中国語と英語でネットリンクで送りました。敵意のある返答を受けた時は、私はもっと多い解釈と証拠を提供しようと試みます。私は毎日、ベトナム語の明慧放送と文章を聴いたり読んだりしています。私は全ての新しい文章とか、聴いたり読んだりするばかりでなく、以前の修煉交流文章で、特に私が以前擦れ違った明慧放送の『師の恩を追憶する』という特集番組を聴いたり、読んだりもしています。そして私は涙を流しながら、師父が当初、中国で如何に幾重もの妨害を克服されながら法を伝えられたかについての文章も読みました。

 師父、いま私たちは師父と地球の半分を隔てていても、師父の法身はずっと私たちのそばにいらっしゃると理解しています。師父の法身は私たちの一念一行を知っていらっしゃり、そして私たちに慈悲を持って励まされ教化され注意を促してくださっています。私たちが、師を敬い法を敬い法を師とし、正念さえあれば、私たちは正に師父のご指導の下で、真の法を正す時期の大法弟子になれます。師父の『轉法輪』は私が探し求めていた大法で、このように貴重で、全てに存在しています。

 言葉では師父に対する私の感恩を表現できません。毎回師父の写真を見る時、私はいつも自分にもっと精進して修煉するように注意を促しています。私は大法をしっかり修め、師父について本源に戻る、これは私の誓いです。

 法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/25/421655.html)
 
関連文章