交通事故の後の奇跡
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文/山東省の大法弟子 口述、同修 整理  

 【明慧日本2021年5月18日】私は山東省の法輪大法の修煉者で74歳です。2020年4月、法輪功迫害の実態を伝えるために外出し家に帰る途中、ちょうど通りを横断しているときに、1台の車が突然道路から逸脱して私に向かってきました。車はスピードを落とさず、私と私の三輪車を直撃しました。バンという大きな音とともに、私は路上に飛ばされ、気を失ってしまいました。

 意識が戻ると、誰かが「おばあちゃん、私のせいだよ」と何度も言っているのが聞こえました。徐々に意識が戻ってくると、目の前には茫然自失の3人の若い男の子がいました。「僕たちは学生で、学校が始まる前に遊びに来ました」と1人が言いました。

 私はまず、「大丈夫、私は法輪功修煉者だから、あなたを責めたりしません」と言いました。2人のうちの1人が私の手を握って、「おばあちゃん、全部私のせいですよ。運転中に何かに手を伸ばして下を向いていたのです」と言いました。

 私の額に切り傷と大きなこぶがあるのを見て、彼らは私を診療所に連れて行って応急処置をしてもらおうとしました。私は、「大丈夫よ。家に連れて行ってくれませんか?」と言いました。1人の若者にもう一度どこに行けばいいか聞かれたので、私は「私の家に」と答えました。

 通りすがりのある人が、若者たちに「この人はあなたに責任を取らせないわ、いい人よ」と言いました。彼女は私が法輪大法の修煉者であることを知っていたのです。

 私が住んでいる住宅の入り口に連れてこられたとき、私は体調が悪くなり、顔色も悪くなっていました。彼らは怖がって、私を息子の家に連れて行こうとしました。私は、「そこに連れて行ったら、彼があなたを解放してくれると思いますか? ただ、私の家まで階段を上るのを手伝ってくれればいいです」と言いました。

 家に入ると、すぐに私は法輪功についての事実を明らかにしました。また、私は「会うことも縁ですが、もしあなたたちが今日、他人にぶつけて怪我をさせたとしたら、2万元以上払っても逃げられないでしょう。私は法輪大法の修煉者で、あなたにお金を要求しません。なぜなら、私の師父は、何をするにもまず他人のことを考えなさいと教えてくださったからです。それに、あなたも私にぶつけるつもりはなく、こんなことになるのを望んでいなかったでしょう」と言うと、若者たち皆、「そうです、そうです」と答えました。

 それから、私は貴州省にある2億7千万年前にできた巨大な岩が、500年前に真っ二つに割れた話をしました。その中には「中国共産党亡(中国共産党の崩壊)」という六つの漢字が彫られていました。私は彼らに、この岩が見つかったのは偶然ではなく、中国共産党(以下、中共)を終わらせることは神の意志であり、かれらが中共の組織から脱退すれば自分が救われることを理解してもらいました。彼らは全員、中共から脱退することに同意しました。

 私は「あなたたちはもう行っていいよ、車を修理する必要があるでしょう」と言いました。帰る前に、彼らは「気をつけて、家にいて、ゆっくり休んでください」と言いました。私は「法輪大法は素晴らしいということを覚えておいてください」と言いました。若者たちは、「おばあちゃん、ありがとうございます。法輪大法を実践しているから、あなたはとても強いのですね。法輪大法を学んでなければ、あなたのように車にぶつかって平気な人はいないでしょう」と言いました。

 しばらくして、私の住宅地の入り口にある自転車の修理屋さんが私の家に来ました。彼は事故を目撃して、私のことを心配していました。彼は「後で怪我をしたときのために、病院に行って検査を受けたほうがいいですよ」と言いました。しかし、私にはその考えはありませんでした。私は彼に、「私が法輪大法の修煉者であることは知っているでしょう。師父の保護があるので、私は危険にさらされることはありません。心配してくれてありがとう」と伝えました。

 次の日、私の顔はとても腫れて、目を開けられないほどの傷がありました。煉功すると、左の胸郭に引き裂かれるような痛みを感じました。この事故は、私の命を奪うためのものだと分かっていましたが、師は私を守り、大きな業力を返済するのを助けてくださいました。

 私は毎日、一日も休まずに法を学び、煉功をしました。約10日後、私はほぼ完全に回復し、外に出ることができました。自転車の修理屋さんが私を見て驚いて言いました。「こんなに早く治ったのですか? 私も法輪大法を修煉してもいいですか? 機会があったら教えてください」

 残り少ない修煉の日々の中で、師の慈愛に満ちた救い済度する恩に応えられるように、自分の言動、考えのすべてを尽くします。私は師父の詩を思い出しました。「心に真善忍在れば 法輪大法を成就す 常に心性を修めれば 圓滿して妙なること窮まり無し」[1]

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「真修」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/4/421053.html)
 
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