文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年6月12日】先日、母の家に行ったとき、妹が毎日残業していて、ボーナスが数千元上がったという話を聞きました。もともと妹の給料は月に4、5千元で、これは私たちのような小さな街では高い給料なのです。これで妹は月に1万元近く稼ぐことになります。
この「良いこと」を聞いて、私の心はどうしようもなく漠然とした痛みを感じ、とても不快な気持ちになりました。その気持ちは嫉妬心です。私はすぐにそれを発見しました。それと同時に、長年修煉してきたのに、いまだにこんな汚れた嫉妬心を持っていて、実の妹にまで嫉妬していた自分が情けなくなりました。
家に帰っても心が落ち着かず、やっぱり嫉妬心が災いしているのです。その嫉妬心が出てきて気分が悪くなっているので、正念を発して嫉妬心を取り除くことにしました。 その心は私の本性ではありません。神であるならば、このような人心を持つことはないでしょう。 私は心の中で、「師父、私は本当にもっと良く修めたいです」と決心しました。この時、師父の法が頭に浮かびました。「『常人には常人の求めるものがあり、われわれはそれを求めない。常人にあるものはわれわれはありがたがらない。われわれのもっているものは、常人がほしくても手には入らないものだ』と、煉功者は確かにこう言うのです」[1]
私の家族3人は現在、月に2千元以下の収入しかありません。「あなたは今、(会社の体制が変わったため)仕事をしておらず、正式に退職しようとしているが、もし今、月に何万元ももらえる仕事があったら、あなたはその仕事をするのか?」と私は自分に問いかけました。 答えは「いいえ」。「自分が求めているのはお金なのか?」とまた自分に聞いてみました。 答えは「いいえ、時間とエネルギーは修煉と衆生を救い済度することに使うべきもので、お金は常人が求めるものです」。また「 自分は常人と同じものを求めていないのなら、なぜ妹の高収入に嫉妬するのか?」と自問しました。
その時、自分は非常にはっきりとわかっていたのでした。妹への嫉妬心は消えました。 それと同時に、妹に対し、慈悲心が生じました。表面的に妹は頭脳明晰で、恵まれた環境で生活しているように見えますが、1999年に迫害が始まったとき、彼女は大法の本を数ページ読んだだけで、大法とすれ違っていたことはとても残念なことでした。 度重なる家族の迫害により、妹が受けたダメージも大きく、今もなお、内心から大法の真実を十分に受け入れられず、この俗世間の虚像に惑わされています。人は何のために生きているのかを知らない妹を本当に不憫に思いました。 今は、妹の給料がまた上がったものの、1日10時間近く働くのは大変で、仕事も激務なのです。しかし、往々にして常人が追い求めることはそれしかできません。
大法弟子として、衆生に対し慈悲心を持たなければなりません。 そして、妹に対しては、大法弟子の善の一面や大法の素晴らしさを感じてもらえるように、もっと気にかけてあげなければなりません。ここまで悟って、妹のために美味しい夕食を作って送ることにしました。彼女にもっと食べてもらい、残業の疲れを取ってほしいと思いました。心の底から妹のことを思っていましたので、彼女はとても感動してくれました。
師父の慈悲に満ちた啓示に感謝します。 この嫉妬心を取り除くことを通じて、私は修煉の道を一歩前進できたと感じています。
以上は最近の少しばかりの修煉体験です、不適切であれば同修のご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』