文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年6月13日】修煉する前、私は多くの恋愛小説を読み、男女間の限りない感情について非常に深い印象を持っていました。人間は何かを読めば、それが大脳に入ります。そのため私の色欲は比較的強かったのです。自分でもそれがよくない、汚いものだと知っていましたが、なかなか制御できず、現実を離れてあれこれ空想していました。
大法を修煉してから、私は色欲の心を取り除くことに気をつけ、自分がどんどん清らかになっていくと感じました。常人社会で若者の間に自由恋愛が盛んになっている環境の中で、私は非礼なものを「見ざる、聞かざる、言わざる、動かざる」ことに全力を尽くすことができました。私はまず、古典的で正統な本だけを読み、ポルノを描いた本や映画、映像などを見ず、かつて好きだったポップソングも聴かないようにし、大法の音楽「普度」、「済世」だけを聞きました。
師父はこう説かれました。「人間はまるで一つの容器のようなもので、何かを入れればそれになるのです。人が目や耳を通して見たり聞いたりしているものは、みな、文芸作品の中の暴力、色情、互いに腹を探って排斥し合うことや現実社会での利益の争い、拝金主義とその他の魔性の現れ、等々です。頭に入れられているものはみなこのようなものであれば、その人の表れがどのようになっていようと、本当の悪い人なのです。人間の行為は考えによって支配されているので、頭の中がこのようなものでいっぱいになっている人は、どのようなことをするのでしょうか? ただ人々は程度の違いこそあれ、みな多かれ少なかれ思想が汚染されているので、現れてくる問題を察知できなくなっています」[1]
現代社会は世相が日増しに悪化し、昔風のマナーが存在しないため、男女のつきあいにおいて、必ず修煉者の基準を厳守しなければなりません。明慧ネットに掲載されている、心を修め欲望を断ち切ることに関する文章を私はいつも読み、比較的強い自分の色欲の心を絶えず取り除くよう望んでいます。
私の夫は修煉者ではありませんが、大法と私の修煉を支持し、私が勤務先で処分を受け、公職を追放され、家宅捜索され、不法な拘禁などの邪悪な迫害を受けた時も、私の修煉を支援してくれました。しかし、彼は所詮、常人であり、私の修煉が基準を満たしていなかったため、相手を抑制することができず、夫婦間で心を修め、欲望を断ち切ることがなかなかできず、例え夢の中でもこの関を乗り越えることができず、目が覚める度にとても悔しい思いをしました。
夫婦の間の欲を断ち切り、夢の中で関門を通過できるようにするために、絶えず努力してきましたが、残念ながらいつもその努力は水の泡になってしまいました。気付かないうちに20年以上も修煉しましたが、まだ関を乗り越えることができず、この関は延々と続き、不安と失望と自責の念に駆られ麻痺してしまい、最終的にはなすすべがないような感覚を覚えてしまいました。
長年、私はなかなか向上できず、夢で相手になる人は顔の見えない知らない人から、心の中で好きな異性、そして側にいる夫へと、少しずつ変わってきました。現実の生活の中で、夫は修煉していないため、夫婦生活を送ろうとしますが、どうしましょうか。妊娠・授乳中は、胎児の教育や赤ちゃんの健康を考慮して、夫は自ら進んで夫婦生活を避けていました。私は今後子供が欲しいと思わない限り、夫婦生活を送ってはいけないと伝えました。彼は賛同しないと言いましたが、私は自分の考えが正しいと知っていたため、この原則を貫きました。
40代になって2人目の子供を産みました。その後、私は欲を完全に断ち切る決意をしました。確かに夫婦生活をやめましたが、何と妊娠中に関を乗り越える夢を見ました。現れたのは夫で、私は自分を守りきれませんでした。しかもその瞬間にその人が全く夫でないことにも気付きました。目覚めた時、非常に悔い、嫌な気持ちになりました。こうして2、3回乗り越えられず、このままではこの関を乗り越えられないのではないかと恐怖心が生まれました。
ある日、夢の中で、私が頑張って抵抗しようとすると、突然、恐ろしい映像が目に飛び込んできました。泥だらけで滑りやすい地面に、裸の汚い悪鬼が2人立っていました。私は木の拷問具のようなものの上に「大」の字に縛られて、2人の悪鬼が私に拷問を加えました。刑具は大工さんのかんなのようなもので、私の身体を一回また一回と削りました。他の空間では激痛に襲われましたが、こちらの空間の身体には色欲の反応が現れました。私は頭ではわかっていても、悪夢のようでもがいても動けず、叫ぼうとしても声が出ませんでした。そして、私は「師父、助けてください!」、「法は乾坤を正し、邪悪は全滅する」[2]と必死に叫びました。その声が出た瞬間、目が覚めました。そのとき、私は自分の欲望の根源が引っ張り上げられたことを感じました。ついにこの関を突破しました。
その時にならなければ、色欲の関を越えられなかったのは、私の心性の問題だけでなく、他の空間の邪悪による破壊的な試練もその原因の一つであることに気付きました。この数年間、私はずっと三つのことをやってきましたが、いつも安逸の心に振り回され、4回の発正念もしっかり行うことを保証できず、法の暗記と煉功も三日坊主でした。身体の転化も遅かったのです。旧勢力はこのような修煉上の漏れをつかみ、私を手放しませんでした。今私は理性的に色欲を取り除くことを重要視しており、例えばそれが人間的な方法を用いてはいるものの、やはり積極的に修めていたため、慈悲深い師父は弟子を救って下さり、私が見るべき他の空間での真相を見せてくださり、旧勢力の按排を突き破らせて下さいました。
それ以来、二度と色欲の夢を見ることはなく、日常生活の中でも欲望を断ち切ることが出来ています。師父、ありがとうございました。
色欲の心を修めた過程を書いたのは、似ている問題を抱えている同修に啓発と助けになることを望んでいるからです。師父は「大法弟子よ、色欲は修煉者にとって最も乗り越えがたい関であると私は随分前に既に言いました。常人のこの情にひどく動かされています。これほどのことでさえ、自ら抜け出すことができません。当初旧勢力はこのような人が大陸の監獄に行ってはじめて改めることができるように按排しましたが、そうではありませんか? あれほど厳しい環境の下で改めるしかないでしょう。あまりに楽だからそうなったのではありませんか? 口実をもってこの心を取り除いていない人は皆自らを欺き、他人を欺いています。私はあなたのために特別な按排をしていません」[3]と説かれました。色欲の心は修煉者にとって最も乗り越えがたい関であり、常人の情により動かされるものなので、修煉者は放下しなければなりません。
私は体験しました。弟子が心から抵抗し、排除し、自分の問題に正直に向き合い、自分や他人を欺かず、毅然とした願望を持ち、実際に行動しさえすれば、師父は必ず弟子がこの関門を突破することを助けてくださいます。弟子としては、師父を固く信じなければなりません。
以上は個人の悟りであり、法理に符合していない部分があれば、同修のみなさんの慈悲なるご叱正をお願いします。
合掌!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「正念を発する時の二種類の手印」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」