文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年6月19日】私は1997年に両親と一緒に法輪大法の修煉を始めました。家族の中で12人以上が法輪大法を修煉していたので、修煉環境は整っていました。しかし、仕事で別の都市に引っ越してからは、私は修煉に精を出さず怠けてしまいました。
迫害が始まってから、私は不当に連行され、拘置所に収容されました。当時、私は法をほとんど覚えていなかったので、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と繰り返して唱えるしかできませんでしたが、この言葉を唱えることで私は安心できました。勤勉さに欠けていましたが、修煉を諦めることはできませんでした。
師父は、「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]と説かれました。
私は法を勉強したかったので、同じ部屋の別の修煉者に暗記している法を唱えてもらいました。このようにして、彼女は私が師の教えを思い出すのを助けてくれました。他の修煉者が私の部屋に入れられてくると、その人たちからも暗記した法を唱えてもらいました。
私は18カ月間拘禁されました。その間、裁判所は私の家族や弁護士に知らせずに、私に対する不当裁判を行いました。私はそのような裁判に出廷することを拒否したので、警官は力ずくで私を裁判所に引きずり込みました。
その後、私は拘置所に入れられたことと、裁判所が私の法的防御権を奪ったことに抗議して、ハンガーストライキを行いました。私は、点呼に応じることも、囚人服を着ることも拒否しました。また、私は煉功することを主張しました。
囚人服の着用を拒否したことに対する罰として、拘置所は私の弁護士との面会を認めませんでした。さらにひどいことに、私が弁護士との面会を拒否したと弁護士に伝えました。翌日、家族と弁護士が戻ってきました。看守は再び私を脅し、囚人服を着ないと弁護士に会えないと言いました。私は、「1秒たりとも囚人服を着るつもりはない」と言いました。しかし、看守は突然諦めたのか弁護士に会わせてくれました。
その後も、私は大法の修煉をやめなかったので別の拘置所に移されました。看守は、私に強制的に食事を与え、そして「拘束衣」を着用させ拷問(この拷問は耐え難い苦痛を与えるもので、被害者は拘束衣で何時間もしっかりと拘束される)しました。
その間、同修が覚えていた『洪吟』、『洪吟二』、『洪吟三』の詩をすべて教えてくれました。彼女は、覚えている限りの詩を私に教えてくれた後、すぐに釈放されました。
弁護士がようやく私を訪ねてきました。後になって、私を助けようとした母が連行されたことを知りました。何かがおかしいと感じ、私は冷静になれませんでした。母は私のために、できる限りのことをしてくれたのだと自分に言い聞かせました。弁護士との面談後、私は心を入れ替え、家族に正念を発し続け、師父に、「母を家に帰してください。2年間、彼らはすべきことをしてきました。修煉者である以上、自分で苦難に立ち向かうべきです。堅実に修煉していきます」と懇願しました。
次に弁護士が来て、上訴したこと、そして母が釈放されたことを告げました。また、朗報もありました。もう1人の家族が一緒に来て、面会室で私に会うのを待っているとのことでした。私は、師父の慈悲なる励ましにとても感謝し、今後の修煉への決意が確固としたものとなりました。
私はこの拘置所に4カ月半拘禁されました。この期間、私は自分の内面を見つめ、多くの執着、特に色欲への執着を見つけました。私は『洪吟』、『洪吟二』、『洪吟三』のすべての詩と、数十篇もの師父の経文を暗記しました。師父の法は、私が拘置所での苦難と困難な日々を乗り越えるのに役立ちました。また、2つの拘置所に2年間拘禁されていた間、師父は同修を按排してくださり、法を唱えてもらえたことに感謝しています。
拘禁されて間もないある日、拘置所側がユダ(転向させられ裏切った元修煉者)と包夹(監視役の受刑者)十数人を連れてきて、私を洗脳しました。私は緊張しました。その時、師の言葉を思い出しました。師父は「一正が百邪を圧することができる」[1]と説かれました。
私はすぐに考えました。「この人たちは私を動かすことはできない」と思った瞬間、私はポジティブなエネルギーに包まれました。それから2時間、彼らが私を洗脳している間、私は師の法を唱え続けました。部屋の中は、師父のエネルギーで満たされているのを感じました。私は冷静で、彼らと議論することはありませんでした。彼らは、私の話した言葉に対して何も言うことはなく、彼らは去って行きました。
しばらくの間、ほぼ毎日、元修煉者を送って私を「鍛えて」いました。私はひたすら法を唱え、内に向って探しました。邪悪に隙に乗じられないように、様々な人心を正しました。
2カ月間、拘置所側は基本的な生活用品を買わせてくれませんでした。トイレットペーパーすら買うことができませんでした。私は師に助けを求めました。それと同時に、私は法を唱え続け、正念を発しました。師父はいつも私のそばにいらっしゃり、私を守ってくださっていることがわかりました。
師父は、「怨みも執着もなく、残るか去っていくのかを師父の按排に任せます」[3]と説かれました。
数日後、包夹が私に必需品を買っていいと言ってくれました。私は師父の保護に深く感謝しました。
私と一緒に拘置所に送られた2人の同修は、独房に拘禁され、そこで残酷な拷問を受けました。包夹は私に「もうすぐあなたの番が来る」と言い続けました。
私は最初、独房に入れられることは悪いことではないと思っていました。それは拘置所での悪しき迫害を暴くために、記事を書こうと思っていたからで、自分が体験しないと書くことがないからです。しかし次第に、自分の考えが正しくないことに気がつきました。「私はヒーローになるために来たのではないのです。この人たちは、私を迫害することで犯した罪を、どうやって償うのだろうか。私はこの人たちには、罪を犯してほしくはなかったはずだ」と思いました。それからは誰も、私を独房に入れるとは言いませんでした。
師父は、「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです。慈悲であればあるほどエネルギーが強く、どんな良くないものも解体されます。これは以前釈迦牟尼もほかの修煉者も話したことのないことです。善の最大の現れは慈悲であり、慈悲は巨大なエネルギーの現れで、すべての正しくないものを解体することができます」[4]と説かれました。
それからは、私は人を救うことに集中し、他人を第一に考えれば考えるほど、自分の環境は良くなっていきました。刑期満了の朝、私は自分に問いかけました。「師父は、私がまだ大法を修煉するかどうかを聞く人を按排されるのでしょうか?」と、答えはこうでした。「いや、師父はそんなことを按排されるはずはありません」。このように、私は師を信じていたので、誰も私にそのような質問をしませんでした。私は堂々とした態度で拘置所を出ました。
師父、ありがとうございました! 合掌!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『ロサンゼルス市法会での説法』
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」