88歳の母は山にも登れる
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文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2021年7月8日】私の母は今年88歳です。背中は曲がっておらず、耳は遠くなく、眼も悪くなく、髪の毛は白髪でも多くて、歩いていると60代に見えます。3年前の秋、私と一緒に山に登って紅葉狩りをしました。多くの年配者が母を羨ましがり、ある人は私に会うと「あなたのお母さんはすごく元気だね! 1万人いても、あなたのお母さんのような人は見つけられないよ」と言われました。

 母の身体が良いのは、修煉の道を歩んだからです。これから母の修煉中の話をします。

 一、文字を知らない母が『轉法輪』を通読

 1994年末、母は多くの人が法輪功を修煉しているのを見て、煉功の輔導員に尋ねました。「私も法輪功を学びたいです」。こうして母は父を連れて煉功場に行き、とても早く法輪功の五式の功法を覚え、毎朝煉功場に行って皆と一緒に煉功し、決して中断することなく、夜は学法小グループに行って皆と一緒に学法しました。母は学校に行ったことがなく、文字自体を知らないため、他の人が『轉法輪』を読んでいるとき母はそこに座り、ただ静かに聞いていただけですが、聞けば聞くほど夢中になりました。            

 ある日、母は学法の輔導員に聞きました。「私も皆と一緒に法を読みたいのですが、字を知りません!」。輔導員は「あなたが学びたければ、師父が助けてくださいますよ」と言いました。母はこの話を聞いてとても喜び、すぐに2冊の『轉法輪』を持ち帰りました。両手で本を恭しく(うやうやしく)いかにも大切そうに持ち、師父の写真を見て、師父に助けを求めました。母は一字一字読み始め、読みながら父に聞きました。「合っていますか?」。読み間違えた字は父が正しました。

 最初、母は毎日1行を学んでいくうちに、だんだんと早くなり、1カ月後、毎日5~6行読めるようになりました。時間が経つにつれて毎日1ページ読めるようになり、それ以降、毎日2~3ページ読めるようになりました。

 これは全て後から母に聞いた話です。母が修煉をしてから数年後、私はやっと母が法輪功を修煉していることを知りました。私はその数年、別の功を学んでいましたが、これは私が探し求めていたものではないと気づいたので辞めました。両親はなぜ法輪功を学んでいることを、私に教えてくれなかったのか分かりません。彼らは今まで私に『轉法輪』を見せたこともなく、法輪功がどのようなものかも知りませんでした。しかし気づいたのは、私が実家に帰った時、母はいつも笑顔で、顔色が良く、以前の短気な性格が穏やかになり、精神面でも以前とは大きく変わり、とても若返ったようでした。

 ある日、母の言い方が良くなかったので「そんなふうに言うべきじゃないよ」と言うと、母はすぐに「そうね、これからは言わないようにする。自分を変えないといけないね」と言いました。私は母を褒めて「どうして、そんなに良くなったの?」と言うと、母は「法輪功を修煉して、いつでもどこでも良い人になるようにしているの」、「法輪功は本当に良いよ! 以前の頭痛、手指の関節痛、胃痛が全て良くなった」と言いました。私は「それはいいね! 続けて学んでね!」と励ましました。

 1999年「4.25」、母は同修と一緒に陳情に行きました。1999年7.20から江沢民は嫉妬によって、狂ったかのように法輪功を迫害し始めました。母は「4.25」に中南海へ陳情に行ったため、迫害の対象となり、警官が何度も家に来て騒ぎ、父の職場も父へ圧力をかけ、1999年の下半期、父母は迫害により修煉を停止してしまいました。

 2004年春、私は幸運にも法を得ました。『轉法輪』を数ページ読み、私は大声で「素晴らしい! 私が探し求めていたのはこれだわ! ついに見つけた!」と叫びました。(そのときの嬉しい気持ちは置いておいて)すぐに実家に行って、中に入った途端に、嬉しくて思わず叫びました。「お母さん、私は『轉法輪』を読んだよ。この本はなんて素晴らしいの! 私が人生で探していたのはこれだわ。ついに見つけた!」

 母は私の嬉しそうな様子を見て、すぐに長年しまっていた『轉法輪』を取り出し、母は新たに修煉の道を歩みだしました。それからはどんな大きな魔難や圧力に遭っても、母はもう修煉を中断しませんでした。

 ある日、両親を見るため実家へ帰ると、母は私に聞きました。「あなたは毎日、何講読んでいるの?」。私は「毎日一講、読んでいるよ」と答えました。母は「これからは私も毎日、一講読んでみるわ」と言い、それからは本当に毎日一講を読みました。母は私に「毎日朝3時に起きて煉功し、五式の功法が終わってから学法し、朝に一講読み終えなかったら、朝ご飯を食べてから続けて学び、毎日こんなふうにしているよ」と教えてくれました。

 家族は皆母の変化を見て、法輪功の修煉を支持しました。ある年の正月の2日目、家族で集まってご飯を食べに行ったとき、皆がまだ揃わず母が家で待っていると、兄は母が毎日学法しているのを知り、母に聞きました。「僕に一段落、読んで聞かせてよ。お母さんは学校も行ってないし、自分の名前も書けないし、こんなに年を取っているのに字が分かるの?」。母は『轉法輪』を取り出し、真剣に読み始め、兄は母の隣で見ていました。一段落を読んでから、家族が次々と集まって来たので母は読むのをやめました。兄は親指を立て笑顔で「母さんはすごい! 本が読めるようになるとは!」と言いました。

 二、母の眼は霞むことなく、生理がくる

 母は50~60代のとき目がかすんで、ミシンの仕事をするとき、それから学法するときも老眼鏡をかけていました。

 10年ほど前、老眼鏡をかけて『轉法輪』を真剣に小さな声で読んでいると、突然、右側の老眼鏡レンズが地面に転がり落ちて、どこに行ったのか分からず、母は急いで探しました。長い時間経っても見つからず、心の中で「本当におかしいわ、どこにいったのかしら? 片方のレンズしかないなのなら、もういらない!」と思いました。そこで老眼鏡をはずして続けて学法したら、不思議なことに、老眼鏡をかけていないのに更にはっきり見えました。その日から、母はもう老眼鏡をかけていません。母は分かっています。師父が母の身体を浄化して下さり、眼もかすまなくなったので、老眼鏡の必要はなくなったのです。

 母は顔のしわがとても少なくなりつやつやして、腰は曲がらず、身体は太っても瘦せてもいません。5年前のある日、母が小声で私に言いました。「急に生理がきてね。多くもなく、一日でなくなったよ」

 三、母が高い所から落ちて、大きな石を切断した

 私が小さいときから、家にはお年寄りが砧打ちのために使う大きな石がありました。昔はアイロンがなく、衣服を石の上に乗せて棒を使って叩いてシワを伸ばしていました。石は約長さ50㎝、幅約40㎝、高さ約8~9㎝です。その大きな石は鏡のように滑らかで、美しい彫刻がされていました。その石は母が結婚した時に、嫁入り道具として持って来たものでした。

 ある日、母はその石を踏み台にして、1メートルほどの戸棚に上がって、端にあるもう一つのクローゼットの上のものを取ろうとしたとき、足がよろめき、突然その戸棚から下に落ちてしまい、顔を上にして、身体が平らにその石の上に落ちました。母はすぐに「大丈夫! 大丈夫!」と言い、起き上がって少し歩いてみると、本当に大丈夫でした。下を見ると、その石は母の身体が落ちた衝撃で真っ二つに割れていましたが、母は全くの無傷でした。母は両手で合掌して、師父に感謝し「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 師父ありがとうございます!」と何度も何度も言いました。これは私が実家に帰ったとき、母が私に教えてくれたことです。母は「思い出したらとても怖かった。これは私の命を取りに来たもので、師父が守って下さったので、危険はありませんでした!」と言っていました。

 両親は一階に住んでいて、部屋から台所まで二段のステップがあり、両親は年なので、私が自分で図面を書いて、工事の人にこの図面をもとにステンレス製の手すりをつけてもらいました。見た目も良く、出入りも安全になりました。約6年前、実家に帰ると、母は「あなたがつけたこの手すりは役に立っているよ。ある日お皿を台所に運んでいたら、床に水がこぼれているのが見えなくて、一瞬で仰向けに滑ってしまって、その瞬間、大声で『師父! 師父!』と叫んだわ。持っていたお皿は飛んで、片手で手すりをつかんだから落ちなかったの。もしも、後頭部から倒れていたらとても危なかったわ! 師父はまた私を守って下さった。師父ありがとうございます!」そう言いながら合掌し、師父が命を助けて下さったことに感謝しました。

 母から聞くこのような話はとても多く、時間の関係で、今日はいくつかのことだけを書きました。母は一回一回危険に遭遇し、それは全て命を取りに来たもので、師父は一回一回、母を守って下さり、危険なことに遭いませんでした。いつも母は合掌し、大法の師父が命を救ってくださったことに感謝しました。

 いつも母の話を聞き終わってから、それを書き出したかったのですが、いつも忙しくて、筆を持つことができませんでした。今日静功が終わってから、突然母の修煉のことを思い出し、書き出して、法輪大法を修煉した奇跡の証人になります! 真の性命双修の功法の素晴らしさを実証します!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/1/427582.html)
 
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