文/海外の大法弟子
【明慧日本2021年7月8日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
明慧資料チームに加入してすでに十数年になります。明慧の資料は最初からバラエティに富み、種類も多く、特定のジャンルや特定の人々に対する季刊誌や新聞に発展し、世の中の状況、法を正す進展の推進、人々に真相を伝えることや資料の要求など需要の変化も起こりました。しかしすべての変化に変わりなく、プロジェクトに参加している修煉者として、これが私たちの修煉環境であり、この環境で修煉し自分を向上させなければなりません。師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[1]と説かれました。
嫉妬心を取り除く
真相資料を編集する最初の数年間、資料がまだ標準化されていなかったので、各地から来たチラシや小冊子はあらゆる種類があり、私は他の2人の同修と小冊子の責任を負い、毎日の作業量はいつも比較的多かったのです。同修の間で何のトラブルもありませんでしたが、たまに人心が出てきました。たとえば、ある同修は出勤しないのに、いつも私たちより作業量が少なく、「学法するためにもっと時間が必要です」と言うのです。ある日、私は憤慨してしまい、さらに他の同修に私の不満を伝えました。しかし、すぐにこれは自分の嫉妬心であると気づきました。師父は『轉法輪』の中で「人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られない」と説かれました。私は「この心を取り除けないのは恐ろしいことで、まして大法のプロジェクトを行うのであれば、さらに無条件にしっかり行わなければならない」ことも分 かっていました。さらに言えば、同修には家族や子供がいて面倒を見なければならず、もしかしたら私たちよりさらに忙しいのかもしれません。師父は、私たちが行うすべてはみな自分のために行うのであり、比べることに意味があるのかということを説かれていたでしょう。この点を認識し、どんなに多く私たちの前に作業が並べられても、私はいつも心穏やかに受け入れることができました。
党文化を修めて取り除く
中国で生活する修煉者は、たとえ海外に来た大法弟子であっても、党文化の要素が依然として存在しており、さまざまな形で暴露することになりました。特にはじめの数年間、中国の同修が送って来た資料は、文字の中に闘争心が潜んでおり、私たちへのフィードバックにも、怒った語調でさらに激しく迫り、これはみな党文化の表れでした。師父は説法の中でいつも党文化の危険性について言及されています。同修と交流する中で、私たちは徐々に自身の党文化の要素を修めて取り除かなければならないことに気づきました。そうして作った資料は、やっと人を救う目的に達することができるのです。喜ばしいことにここ数年来、私たちは中国の同修と共に成長し、資料はだんだん穏やかになり、穏やかさの中に善と慈悲が示されていることをに気づいたのです。
恨む心を修めて取り除く
ある時、中国の同修が送って来た資料の中にさまざまな間違いがあり、たとえば、同じ文章の中に、文の前後で人の名前が同音の違う字になっており、まるで2人いるようだったり、あるいは前後の日付が矛盾していたり、同じ段落や同じメッセージが2回出てきたりしました。以前私はこのような資料を見て文句を言い、同修があまりにもだらしないと思いました。その時は自分の任務がこのような間違いを校正しなければならないのだということを私は完全に忘れていました。すべてがそんなに完璧であれば、私は何もする必要がないのです。この点を認識し、私の恨む心はとても少なくなりました。ある時、いくつかの資料で地元の迫害に関する情報が整理されておらず、たとえば電話番号があちこちにあり、その時私はさらに多くの地元の情報があるかどうか時間をかけて明慧ネットで探し、必要のない電話番号を削除し、内容を補充して情報量を増やしました。いくつかの資料には自分たちの地方の情報がなく、他の地区のもので、私は検索して、もし地元の文章があれば、内容を整理して差し替えました。目的は資料に本当に地元の衆生を救い済度する役割を持たせるためでした。
週報を制作する中で人心を取り除く
明慧の資料編集の標準化と専門化により、中国の同修の編集レベルも向上し、私たちの作業量も相当軽減されました。その時、協調人が私に、スタッフの変更のため私は明慧週報を編集する任務を担当しなければならないと伝えました。「私にできるだろうか?」と一瞬少し呆然としましたが、しっかり行えなければ、それは全体の状況に関係する可能性があり、プレッシャーを大きく感じました。
私は心を静めて、最初は以前同修が行っていた明慧週報をしっかり研究し、アイデアやスタイルを参考にし、さらに明慧の文章を真剣に読み、どの文章を全面印刷のページに置くべきかを見ました。このようにして、協調人とプロジェクトチームのその他の同修の手助けの下、私はこの新しいプロジェクトを始めました。
私はYさんと協力して隔週1回で行いました。明慧週報は4ページの新聞で、中国の同修が人々に向けて資料を配るので、どのような内容の文章を選び、いかに人々の心を開き真相を受け入れられるようにするかは、私たちが重点的に考慮しなければならない問題でした。師父は説法の中で基本の真相をはっきり伝えることが重要であると何度も強調なさっており、同時に私たちはやはり資料を読みやすく面白くしなければなりませんでした。
以前に中国から来た真相チラシを編集した時、心の中で考えたのは「チラシの内容とレイアウトを完璧にすることだけで、人々に配るのは中国の同修の仕事だ」ということでした。明慧週報の全面印刷のページを制作して以来、気づかないうちに週報の質にこだわり、人を救う面で果たす作用にこだわりました。ある時、中国の同修の交流文章を読み、どのような資料をどのように人々に配るのかということに言及し、よく目にするのは人々がどれだけ「天から賜る幸福」や「真相」などを好むのかということであり、私は時には一種の喪失感を覚え、さらに私たちが制作した明慧週報は人を救う効果があるのかと疑問を持ちました。
これらの時々浮かび上がってくる人心は、私が毎回制作する時のまじめな態度に影響せず、それは師父が私に与えてくださった責任であることをわかっており、ウイルス蔓延期間中に、ある中国の同修の手紙に寄せられた感想は、人々に歓迎される何種類かの刊行物に言及し、その中に明慧週報があり、私はそれを見た後に満足感を覚えました。満足感を覚えた後の心の中を振り返り、私は自分に「名」に対する人心があることを目にしました。
週報を制作する時の心と、反映される執着心に私は注意し始めました。ある時、Yさんの明慧週報の制作の仕方がとても良いのを目にし、自分にはどうしてこのような考えがないのだろうかと思いました。心の中でたまに嫉妬心が生まれ、時にはたまに自分が制作した明慧週報がよいと思い、さらに歓喜心が生まれました。法の中から、私は「ただ純粋な心を抱いて作られた資料こそ人を救う効果をしっかりと果たすことができる」ことがわかっていました。ですから、週報を制作する過程は、執着心を暴露し、さらにさまざまな執着心を取り除く過程でもありました。
お互いに円融し使命を全うする
毎回の週報の制作について、私はいつも協調し関係する同修にフィードバックや提案をしてもらいました。時には同修が提案したあるアイデアや考えは、私のものとは全く一致せず、さらには全く異なることもありましたが、心を静めて考え、試して、違う世界を見つけました。師父は「大覚者たちは天上で多くのことに関して、お互い協調し相談し合っています」[2]、「ある神がある方法を提示した時、彼らはそれをすぐに否定し、自分の方法を示し、自分の方法が最も良いと言うのではありません。彼らは他の神から出された方法の最終結果がどのようなものなのかをまず見るのです。道が異なり、一人一人の道も異なっており、生命が法から悟った理は皆それぞれ違っていますが、結果は同じかもしれません。ですから、神たちはまず結果を見るのです。到達する結果を見て、本当に達成したいところまで達成することができれば、それに同意します。神はこのように考えています。更に、足りない所があれば、無条件で黙々とそれを補い、圓満させます。神はこのようにして問題に対処しています」[2]と説かれました。
師父の法を胸に刻み、そのことによって週報を制作する過程の中で、どんなに異なる考え方の問題が現れても、いつもお互いに円融して行うことができました。
実際、私はただ必要な文章を整理しているだけでした。本当の意味での完成品はレイアウトを行う同修にかかっていました。レイアウトを行う同修は適切な写真を選択しなければならず、紙面に合わせて適切に編集し、それは本当に大変なことでした。まるで美しい建物を造るように、これは壁で、あれは窓枠で、それらは屋根用のものでと選びましたが、レイアウトを行う同修はデザイナーであり建築家でもありました。私はレイアウトを行う同修の献身に感謝し、作品が完成するたびに驚きました。
師父は私たちに「大法弟子にとって、皆さんの修煉は最も重要です。なぜなら、あなたがしっかり修めていなければ、行なおうとすることを完成することができず、人を救う力もそれほど大きくないからです。修煉の出来がさらに劣っていると、問題を見る時、考える時に常人の頭で、常人の考え方を用いてしまい、それならさらに悪くなります。ですから、皆さんはくれぐれも怠ってはならず、おろそかにしてはいけません」[3]と説かれました。
ですから、いつでも、私たちは師父の教えを心にとめ、自分をしっかり修め、多く法を学び、しっかりと法を学ばなければなりません。私たちの知恵は法に則って生まれるのです。
ここで、プロジェクトの同修の協力と支援に感謝し、お互いに励まし合い、不足をアドバイスし合い、衆生を救い済度するという使命を共に全うしていきます。
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2]李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
[3]李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
(2021年明慧法会交流文章)