【720評論】迫害の元凶・江沢民が歩んできた路
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 【明慧日本2021年7月24日】江沢民が、法輪功を迫害した元凶であることは多くの人が知っている。しかし、彼はなぜ法輪功を迫害しなければならず、そしてこの22年間法輪功に対して何をしてきたのかと、皆は聞かずにはいられない。

 中国では「羨望・嫉妬・恨」という言葉が流行っている。この5文字は江沢民の法輪功に対する態度の変化を如実に表している。1992年5月に、法輪功が長春市から伝え出された後、その病気治療と健康保持の奇跡的な効果、および「真・善・忍」に基づく道徳向上の魅力により、瞬く間に中国全土に広まった。法輪功の学習者数は急速に増加し、人々に「真・善・忍」に従い善良な人になることを教え、中国社会の安定と精神文明の構築に多大な好影響を与えた。

 『江沢民その人』という書物によると、当初、江沢民は法輪功を羨望し、法輪功創始者の手ぶりを真似たこともあったという。時間が経つにつれて、法輪功を学ぶ人はますます増え、多くの退職した幹部(上級幹部も含む)や党員たちも法輪功を修煉し始めた。1999年までに、法輪功の中国本土における学習者数は7千万人から1億人に達し、当時の中国共産党(以下、中共)の党員数の6千6百万人を上回った。その時から、江沢民の法輪功への羨望が嫉妬に変わった。人々が法輪功を修煉すれば、総書記である自分に従わなくなるのではないか? との嫉妬心からさらに恨みが生まれた彼は、法輪功を撲滅しなければならないと思うようになった。

 (一)中共の公安当局による法輪功学習者への長年にわたる嫌がらせ

 早くも1994年から、中共は密かに法輪功を調査していたが、問題は見つからなかった。1997年初め、当時の政法委員会書記・羅幹は、法輪功を取り締まるための罪状を捏造したいと考え、職権で公安当局に法輪功に対する調査を指示した。各地の支局が「問題は見つかっていない」と結論づけた後、羅幹は1998年7月に公安部第一局を通じて通達を出し、法輪功を「邪教」と断定した上で、公安当局に組織的な証拠収集を求めた。それでも調査は空振りに終わった。

 問題は見つかっていなかったにもかかわらず、新疆、黒竜江省、河北省、福建省、江蘇省、遼寧省、そして山東省などの公安警察は「違法な集会」という名目で屋外の煉功者たちを強制的に追い散らし、法輪功学習者に対する私有財産の押収、身柄拘束、監禁、殴る、罵るなどの行為を行った。

 1998年後半、喬石氏を中心とした退職した元上級幹部たちは法輪功に関する全面調査を行い「法輪功は国と国民にとって百利ありて一害なし」との結論に至り、江沢民をトップとする政治局に調査報告書を提出した。喬石氏への嫉妬で報告書を大いに不愉快に思った江沢民は、法輪功を弾圧すべきとしてきた羅幹に報告書を渡し、処理を命じた。

 中国科学院の院士で、羅幹の親戚でもある何祚庥は科学者の帽子をかぶっているが、実際は中共の情勢に追随する政治家で「科学分野のごろつき」と呼ばれている。1999年4月11日、彼は天津教育学院の「青少年科学技術博覧」誌に、法輪功が精神病を引き起こすと中傷し、法輪功が義和団のように国を滅ぼすとほのめかす記事を掲載した。天津の法輪功学習者の一部は真実を明らかにする必要があると考え、雑誌編集部との交渉で記事がもたらした悪影響を取り除くことを期待していた。しかし、4月23日~24日、天津市公安局は300人以上の機動隊を動員して陳情しに来た学習者を殴打し、流血や負傷を負わせ、45人を逮捕した。

 政府が投書・陳情事務所を設置した意図は、そもそも陳情者をなだめ、法律の範囲外で民事関係の紛争を解決することにあるはずだ。しかし、学習者の平和的な陳情に対して、江沢民と羅幹一味は機動隊を投入しただけでなく、もう一つの陰謀を企てた。それは、天津市政府の官吏を通じて陳情しに来た法輪功学習者に「この問題は天津市政府の管轄外であるため、上層部である北京の中央政府に行って状況説明をしなければならない」と伝えたことである。法輪功学習者が他の学習者の釈放を求めたところ、公安部が事件に介入しており、北京の許可がなければ逮捕された学習者は釈放されないと知らされた。天津市公安局は学習者に対して「北京に行きなさい。北京に行って初めて問題を解決できる」と提案した。彼らの目論見はこうであろう。修煉者が個人的な損得を顧みず、自分の信じる宇宙の真理のために危険を冒して陳情することは難しいことではなかろう。それに、法輪功を修煉している人が多く、さほど時間がかからないうちに情報が広く伝わるので、さらに多くの人が陳情しに行けば「政府を包囲している」と表現しても、世人に容易に信じてもらえるだろう。

 (二)嫉妬の炎を燃やした江沢民

 1999年4月25日、1万人以上の法輪功学習者が陳情のため、自発的に北京の中南海近くにある国家投書・陳情事務所に集まった。当時の総理、朱鎔基氏は法輪功学習者への応対に現れ、陳情事務所の責任者に学習者の代表と対話するように命じた。国務院の職員と法輪功学習者の代表は、丸一日対話を行い、その間、学習者たちは外で静かに待っていた。午後9時、天津で逮捕された学習者たちが釈放されたと知り、陳情する法輪功学習者たちは紙切れ一枚も残さずに静かに散っていった。事件は平和的に終結し、後に「『4.25』陳情」と呼ばれるようになった。

 「4.25陳情」の平和的解決が国際社会で広く注目された。国際的な観察者やメディアは、法輪功と朱鎔基氏を高く評価すると共に、これが社会問題の解決における官民交渉の前例であり、文明社会に向けた歩みの一里塚であると見ていた。

 その後、4月25日の陳情日に、江沢民が午後3時頃に遮光ガラス付きの防弾車で中南海を乗り回し、陳情者たちを観察していたことが明らかになった。江沢民は車から降りることもなく、法輪功学習者と話すこともしなかった。彼が耐えられなかったのは、軍事委員会の主席である自分に従わず、法輪功に従っている階級を持つ数十人もの軍人を目にしたことだった。

 万人に及ぶ陳情が、理性の下で平和的に解決されたことが国際社会で高く評価されていること、あまりにも多くの人が法輪功を修煉し、特に多くの軍人も法輪功を修煉していること、このすべてが狭量な江沢民を完全に狂わせ、その嫉妬心を爆発させてしまったのだ。

 (三)法を無視し、権力任せの法輪功への弾圧命令を下す

 4月25日の夜、江沢民は中共政治局に手紙を出し、共産党が法輪功に勝てないとは思えないと述べた。5月8日、江沢民は中央政治局、中央書記処、および軍事委員会のメンバーたちに指示を出した。後に、この指示は中共中央弁公庁から「中弁発[1999]第19号文書」として発され、全国各地に送られた。その内容は、法輪功への弾圧に向けた準備に関するものであった。江沢民は法輪功を迫害するための準備と計画を密かに始めていた。

 6月7日、江沢民は中央政治局の会議で「『法輪功』問題の緊急処理および解決」に関する演説を行った。この演説もまた、中共中央弁公庁により文書の形で発され、勉強および実施が求められた。その結果、3日後に「中国共産党中央委員会法輪功問題対策指導グループ」およびその弁公室が設立され、後者がその設立の時期から「610弁公室」と略称された。

 江沢民は本腰を入れて、早急に共産党指導層での法輪功弾圧に向けた思想的、組織的準備を完了させた。7月19日夜、中央委員会は各省の党委員会の主要幹部を集めて会議を開き、江沢民自らが動員のための演説を行った。江沢民はその嫉妬心から理智を失い、法の代わりに権力を行使して、暴威と高圧的な態度で法輪功への弾圧を命じた。

 江沢民は法輪功への迫害の元凶である。7月20日、中共は全国各地での法輪功協調人に対する大規模な逮捕を開始し「7.20」が迫害のスタートとなった。7月22日に、中共は法輪功の修煉を禁止する文書を発表した。

 (四)江沢民自らが強力に迫害を推し進める

 当時、7人の中共政治局常務委員のうち、6人が江沢民の法輪功弾圧に異を唱えていた。また、迫害が始まった直後、全国の多くの法輪功学習者が北京や地方政府に出向いて平和的に陳情したり、法輪功の真実を陳述したりしていたこともあり、迫害は当初から多くの抵抗を受けていた。江沢民は迫害の元凶として自ら出陣し、法輪功への迫害を強力に推進した。このことは、以下の事例から伺える。

 公然と法輪功を誹謗中傷し、レッテルを貼る

 フランスを国賓訪問する前夜の1999年10月25日、フランスの日刊紙『ル・フィガロ』のインタビューに応じた江沢民は初めて、法輪功を「邪教」として公に中傷した。翌日、中共機関紙の『人民日報』は江氏のインタビューをもとに、法輪功を中傷する評論記事を掲載した。それ以来、中共は江沢民のこの根拠なき誹謗中傷を使い続けている。

 多くの人が知らないのは、中共自身が公表した14種の邪教のうち、法輪功が入っていないということだ。現在に至り、中共が法輪功を迫害する法的根拠はなく、中国で法輪功を修煉することは常に合法である。

 人間性を喪失させる迫害政策の策定

 「3カ月で法輪功を消滅させる」といくら喚き立てても実現できなかったため、江沢民は迫害をエスカレートさせ、自ら迫害政策を秘密裏に指示した。当時の北京市計画委員会調査設計管理部の李百根部長(現米国在住)によると、1999年11月30日、「610弁公室」の3人の責任者は人民大会堂で3千人の政府関係者を招集し、法輪功弾圧について話し合った。弾圧から数カ月、経過したにもかかわらず、進捗状況は非常に悪く、法輪功学習者は陳情を続けていた。この会議で「中国共産党中央委員会法輪功問題対策指導グループ」の責任者・李嵐清は、江沢民の法輪功に対する新政策を口頭で伝えた。それは「名誉を汚し、経済的に破綻させ、身体を消滅させる」というものであった。江沢民のこの密命は、中共の法輪功迫害の方針となった。

 「容赦なく殺せ」と密かに命じる

 この文革色にじむ理不尽なキャンペーンにうんざりして、多くの地方の役人たちは消極的に対応していた。2000年後半時点で、迫害が持続できなさそうになった。このような情勢の下で、江沢民を始めとする政治的ならず者集団は迫害の口実を作るために、衝撃的なペテンを企てた。つまり、2001年1月23日の大晦日に天安門焼身自殺事件を演出し、法輪功に濡れ衣を着せたのだ。1月30日、CCTVの「焦点訪談」は焼身自殺事件を放映し、さらなる憎しみを煽った。真実を知らない多くの人々が騙されて法輪功を憎むようになり、迫害がエスカレートされていった。

 長年にわたる国家機関全体による法輪功への迫害と誹謗中傷に直面し、法輪功学習者は中共の嘘を暴くための最善の努力を尽くし、人々に真実を伝えてきた。2002年3月5日午後7時19分、吉林省長春市で中国内外に衝撃を与える出来事が起きた。

 長春市ケーブルテレビの8つのチャンネルでは「焼身自殺? それともやらせ?」と「法輪大法が世界に広がる」の2つのドキュメンタリー映画が同時に放送された。40分、さらに50分が過ぎていくうち、数十万人もの人々が夢から目を覚ましてきた。人々の憎しみに火をつけた、いわゆる「天安門焼身自殺事件」が「偽りの火」だったと皆が分かった。焼身自殺した王進東は口と鼻が歪むほどの火傷を負ったように見える中で、脚の間に挟まれていたガソリンの入ったペットボトルは、高温にも拘らずまったく変形していなかった。もう1人の焼身自殺者である劉春玲は、濃い煙に紛れて警察から致命的な一撃を受けた。最年少の焼身自殺者である劉思影は、気管切開からわずか3日後には大きな声で話し、歌うことさえできていた。常識を覆すような脚本からはぼろが百出し、焼身自殺のデマが中共の捏造であることが周知されるようになった。

 長春市のテレビ割り込み放送事件はすぐに中南海に伝わった。極度の恐怖に陥った江沢民は激怒し、自ら「容赦なく殺せ」との密令を下した。放送から1時間も経っていないうちに、現地の軍隊と警察は長春市で大規模な逮捕を開始し、あっという間に5000人の法輪功学習者を逮捕した。その後、少なくとも8人が殴り殺され、15人が4年~20年の懲役刑を不当に言い渡された。その後、秘密裏に各刑務所や強制労働収容所に放り込まれた彼らの中には、拷問で命を落としたり、狂気になったりした者も少なくなかった。

 自ら臓器狩りの命令を下す

 2006年3月、法輪功学習者の臓器を生きたまま摘出しているという中共の犯罪が初めて国際社会で暴露された。「臓器狩り」は江沢民の「身体を消滅させる」という絶滅政策による具体的な結果である。その残忍さと血腥さは善良な人々の想像を超えていて「地球上における嘗てない邪悪」と表現されている。

 「法輪功迫害追跡調査国際組織」(略称「追査国際」)は、中共による法輪功迫害に関する調査と証拠収集を行う中で、江沢民が法輪功学習者からの臓器狩りを最初に命じた人物であることを発見した。つまり、江沢民が臓器狩りの元凶であるということだ。

 (五)自ら海外で迫害を推し進める

 迫害を国際的に押し広げていくために、江沢民自身も素っ裸で出陣した。1999年9月にニュージーランドで開催されたAPEC会議で、中共の江沢民国家主席は身分に相応しくない挙動を取った。彼はアメリカのビル・クリントン大統領に、おぞましい写真で埋め尽くされた150ページにも及ぶ英文の法輪功を貶め中傷するプロパガンダ本を自ら手渡し、出席した各国の首脳を驚かせた。

 2000年9月、江はCBSの「60ミニッツ」の司会者ウォレス氏とのインタビューで、法輪功の創始者は自らが菩薩やイエスの生まれ変わりだと自称していると捏造し、法輪功によって数千人もの学習者が自殺したとデマを流した。これは、1999年に中共の代弁メディアが捏造した「1400例」の死亡者数より何倍も多くなっており、江沢民自身が法輪功に対する中共の中傷キャンペーンの発案者であることを十分に証明している。

 (六)江沢民を法によって処罰する

 江沢民による法輪功への迫害は中国の憲法に違反し、人権を踏みにじり、人命や財産に計り知れないほどの損失を与えた。法輪功学習者と多くの正義のある人々は迫害が始まった当初から強く抵抗し、江沢民を法によって裁くことを求める声も止むことはなかった。 

 江沢民に対する海外での起訴

 2002年10月22日、江沢民はアメリカのシカゴを個人訪問していた際、法輪功学習者から「酷刑罪」、「人道に反する罪」、「大量虐殺罪」の罪で訴えられた。これが、法輪功学習者が海外で江沢民を訴えた初のケースとなった。

 現役の中共党首、国家元首が海外で裁判にかけられるのは初めてのことだったので、国内外、特に共産党の上層部に衝撃が走った。その後、各国の法輪功学習者は相次いで江沢民とその共犯者らを訴えた。

 2003年、スペインの法輪功学習者は江沢民と羅幹を訴え、その後、薄熙来、賈慶林、呉官正を加えた。2009年11月、案件には突破的な進展がみられた。スペイン国家裁判所は江沢民らを「酷刑罪」、「人道に反する罪」、「大量虐殺罪」の罪で起訴し、2013年に江沢民ら5人の逮捕状を発行した。江沢民を始めとする5人は、スペインと犯罪人引渡し条約を結んでいる国に入国すると逮捕されることになるのだ。

 中国では20万人以上が実名で江沢民を刑事告発している

 明慧ネットの記載によると、2015年5月以降、中国の法輪功学習者は江沢民に対する訴訟を相次いで開始し、現在、20万人以上の法輪功学習者とその家族が、犯人である江沢民に対する刑事告訴状を中国の最高検察院に郵送し、最高検察院が江沢民を最高裁判所に公訴して、この首魁を法によって裁くことを求めているという。

 法輪功の22年間にわたる迫害への抵抗活動の歴史は、江沢民の「3カ月で法輪功を消滅させる」、「共産党が法輪功に勝てないとは思えない」という主張が完全に失敗したことを裏付けている。同時に、明慧ネットに掲載されている22年間にも及ぶ迫害事例の報道と統計は、江沢民、羅幹、劉京、周永康らの一味が打ち立てた絶滅政策が今も実行されていることを裏付けている。近い将来、江沢民が迫害の元凶として犯した罪が徹底的に清算されることも、歴史が証明してくれるだろう。人からの裁きを受けていなくても、天による裁きは必ず受けることになる。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/20/428315.html)
 
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