【明慧日本2021年7月29日】(明慧記者・章韵)22年前、江沢民は「法輪功を3カ月で排除する」とわめきたてましたが、法輪功は排除されなかっただけでなく、現在、世界の100カ国以上に広まっており、縁のあるたくさんの人々が大法の修煉に入りました。トロントメディアグループで美術創作を担当する法輪功学習者(以下、学習者)である穆川さんは、当時、中国共産党(以下、中共)の噓偽りの宣伝が世界中で拡散している中で、カナダに留学するときに、1人のキリスト教徒が学習者に転向した経緯を語りました。
海外留学中、スムーズに「三退」をした
中国の中央美術学院を卒業した穆川さんが、2011年トロントに留学していたとき、友人の馬さんは彼に三退を促しました。穆川さんは「馬さんとは中学の同級生で、その後、一緒に中央美術学院に入学して同じクラスで勉強し、カナダに来てからも同僚で、とても縁が深いのです」
「海外でコンピューターアニメーションを勉強しました。学業終了後、馬さんは私に三退を促しました。以前、中国で絵画を学んだ時、中共が文化大革命の中で、芸術などあらゆる面で中国の伝統文化を破壊したことが分かりました。そのため、私は中共に対する印象が非常に悪かったので、すぐに三退をしました」
「しかし、法輪功の修煉はそれほどスムーズには進みませんでした。私は小学生の頃からキリスト教徒であり、母について教会に行って礼拝することが多かったため、一神論が心の中で根強かったのです。そのため、法輪功の修煉を受け入れるのは難しいことでした」と言いました。
心が少しずつ開く
当時、友人である馬さんは、いつも穆川さんに法輪功のことを話しました。「彼は大法の中から悟った理と信仰の角度から私を説得しました。私は子供の頃からキリスト教を信じてきましたが、美術を学ぶ過程で、異なる文化に触れることがあり、特に佛教と道教の影響も受けました。それに、私の性格はそれほど頑固でないため、何度も話をしているうちに、少しずつ心が開きました」と穆川さんは言いました。
実は、穆川さんに最も説得力のあったことは、馬さんが法輪功を修めてからタバコをやめたことでした。「馬さんがどれほどタバコを吸っていたか、私は一番分かっていました。大学時代、私たちの学生寮の床がたばこの吸い殻で覆われるほどでしたが、彼は主な貢献者でした。そんな彼が、大法を修煉してすぐにタバコをやめたことを、とても不思議に思いました。その事実から、私は大法が本当にすばらしいと思いました」
穆川さんはさらに次のように述べました。「それから、私は法輪功について、インターネット上でさまざまな記事や投稿を探し、サードパーティの客観的評価を調べました。海外では中共のファイアウォールの封鎖がないため、自由に閲覧することが出来ます。ほとんどは肯定的な評価で、その中で、あるキリスト教徒のコメントが私の心を動かしました」
「その方は、キリスト教徒に法輪功についてもっと分かって欲しいと呼びかけました。イエスが世の中で、病気治療を通して説教しているとき、多くの人が奇跡を目の前にしても信じませんでした。大法の師父も最初は人々のために、病気治療から大法を広められました。『それでも信じようとしなければ、愚か者ではないか?』と思い、私は法輪功と接触することにしました」
穆川さん |
『轉法輪』を読み、修煉を選択しない理由はない
その後、馬さんは穆川さんにプロジェクトの支援を依頼しました。「2011年、私は新唐人に参加しました。ある日、仕事が終わった後、同僚たちは英語で法を学ぶことについて話し合っていました。私は何かの会議だと誤解し、自分も参加したいと言うと、馬さんは驚きと喜びの表情で了承しました」
「会議に参加するつもりで座っていましたが、皆が『轉法輪』を読み始めました。自ら参加を望んだ以上、立ち去ることもよくないので、そのまま聞くしかありませんでした。キリスト教徒である立場もあり、一緒に本を読みませんでした。しかし、本を見ながら黙って聞いているうちに、内容が自然に頭に入りました。それ以降、周りの同僚たちと段々と慣れ、集団学法に誘われ、本を貸してくれる人もいました。強制されたわけでもありませんが、メンツのため拒否しませんでした」と穆川さんは言いました。
何度も集団学法に参加した穆川さんは「大法の法理はとても奥深いと分かってきました。一旦修煉し始めると、私は諦めないと思いました。修煉をしてもしなくても、大法の法理ですべてを解釈することができ、人類社会全体を大法によって解き明かすることができると感じました。このような認識は学法を通して得たもので、2011年、私はだんだんと修煉に入りました」
身に起こった不思議な出来事は、修煉を信じさせる
穆川さんは修煉を始めたころを思い出しました。「初めて坐禅したのは、血便が原因でした。血便と下痢が2日間続き、普段なら病院に行かなければなりませんでした。当時、まだ仕事をしていなかったため、医療保険に加入しておらず、経済状況が厳しかったので、私は病院に行かず、坐禅をすることにしました。不思議なことに、翌日から血便が止まりました。後になって、師父が私の身体を浄化してくださったと分かりました」
「ある冬、歩道に雪が積もって歩けず、車がほとんどなかったので、私は車道の脇を歩いていました。突然振り返ると、大きなトラックが私に向かって走ってきました。私は一瞬にして、歩道に積もってある雪に飛び込みました。私は運転手が減速したかどうかを確認しようと見上げると、逆にスピードを出しながら通り過ぎました。自分がどうしてこんなに速い反応ができたのか、私もびっくりしました。「誰か」が私を引きずったように感じましたが、周りには誰もいませんでした。師父が私を守ってくださったとすぐに気付きました。『轉法輪』に書かれた物語は、現実の中で私の身に起こったことで、修煉への自信を強めました」
『偽火』を見て、「焼身自殺」は信じられない
法輪功について、中国と海外の報道が全く違うことから、穆川さんは中共の邪悪を見極め始めました。「当時、中国中央テレビ局が作った『天安門焼身自殺事件』の宣伝はとても恐ろしいものです。人々はそれが中共による噓偽りの宣伝だと知らず、私も騙されましたが、疑問もありました。映像の中に、『真・善・忍』と書かれた横断幕がありました。この三文字はとても素晴らしいではありませんか? なぜ彼らをそんなに悪く言うのでしょうか?」
「カナダに来てから映画『偽火』を見て、焼身自殺を信じられなくなり、中共の嘘を見抜きました」と穆川さんは語りました。2002年1月、北米にある新唐人テレビ局は、2001年の「天安門焼身自殺」を暴露するドキュメンタリー映画『偽火』を作成しました。この映画は2003年11月8日に第51回コロンバス国際映画テレビフェスティバル名誉賞を受賞しました。
明慧ネットによると、1999年7月20日、江沢民は法輪功に対する血腥い迫害を引き起こし、中国の各地域で大規模な学習者らの逮捕を開始しました。同時に、全国のテレビ局、放送局、新聞メディアを通して、誹謗中傷と弾圧を繰り返しました。当時、中共内の多くの人々や一般の市民は法輪功の迫害に対しては、消極的で、抵抗的でした。しかし、法輪功に対する憎しみを煽るために、江沢民集団は2001年1月、最も祝賀が大切な大晦日を選び、偽りの『天安門焼身自殺』を作り出しました。
「国際教育開発機構」は、2001年8月14日の国連会議で、「天安門焼身自殺事件」に関する中共の「国家テロ行為」を強く非難し、映像の分析から、事件の全体が「政府によって指示された」と声明を発表しました。中共の代表団は、決定的な証拠の前で弁解することはできませんでした。この声明は当時国連に提出され記録されました。
舞台裏から表へ
穆川さんは法輪功に出会って以来、トロントの新唐人テレビ局で働いていました。「美術の基礎とコンピューターアニメーションのスキルを持っていたので、学業終了後、友人の馬さんに推薦され、新唐人で美術関連のインターンシップを経て、現在もその仕事を続けています」と言いました。
穆川さんが舞台裏から表に出るようになったのは、迫害によって亡くなった学習者の劉海波氏のためです。偽りの焼身自殺の宣伝が煽られる最も暗い時期、2002年3月5日、長春ケーブルテレビネットワークに、法輪功の真実を伝える番組が割り込んで放送されました。焼身自殺の真実を暴露する映像が放送された後、何百万人もの人々が真実を見ました。しかし、その一方で、江沢民は密かに学習者を「容赦なく殺す」よう命じ、長春で5000人以上の学習者を逮捕しました。3月11日から3月15日までの間に、劉海波氏を含む少なくとも6人が拷問されて死亡しました。
2019年、穆川さんは映画『電波ジャック−50分の真実』の撮影に参加し、俳優を務めました。この映画は、世界中に衝撃を与えた「天安門焼身自殺」事件と長春テレビの割り込み放送の二つの実際の出来事に基づいて作られ、中共の嘘を暴き、歴史的な真実を復元しました。穆川さんは次のように述べました。「大法弟子を演じることができてとても誇りに思います。私が演じる役は、劉海波氏と劉偉明氏をモデルにしています。彼らは中共によって非常に残酷な手段で迫害されて死亡しました。しかし、彼らが行なったことは、人々に真実を知らせ、師父の無実を取り戻すためでした。これは歴史上かつてない偉業であり、私が演じたのはヒーローだったと確信しています」
映画『電波ジャック−50分の真実』のスチール写真 |
穆川さんはさらに、「私は劉海波氏の遺影を捧げて、中共に迫害されて亡くなった修煉者の死を無駄にしてはいけないと真剣に考えていました。彼らを記念するとともに、より多くの人々に大法の真実を伝え、共産主義の強権統治が平和な時代に自国の民衆を、どれほど残忍に虐殺したのかを知らせなければならない」と言いました。
映画『電波ジャック−50分の真実』のスチール写真。
各役者は、自分の演じる学習者の遺影を捧げた。
穆川さんは劉海波氏の遺影を捧げた。
穆川さんは「この映画の撮影に参加したことは、真理のために命をささげたこれらの学習者を追憶し、より多くの人々が法輪功の真実を知らせるためです。そして幸いなことに、当時長春テレビの割り込み放送に参加したメンバーの1人である金学哲さんと一緒に出演することができました。金さんはわざわざ韓国から来て、当時の生存者であり、歴史の証人として撮影に参加することで、この映画のリアリズムと重みを感じさせられました」と語りました。
結び
2008年、穆川さんはカナダに来て留学を始めました。他の留学生と同様に、一生懸命勉強し、視野を広げました。それと同時に、自分の聞いた法輪功の真実について独自に考え始め、心を開き、大法の素晴らしさを体験する中で、学習者への迫害に反対する活動も経験しました。
最後に、穆川さんは海外に留学している中国の留学生に次のように語りました。「留学生の皆さんは、法輪功の真実について多く理解し、偏見と観念を放下し、中国では見えない情報を客観的に理解する機会があることを望んでおります。若者は海外に行って見聞を広め、非中共の宣伝の観点から、法輪功とは何かと知ることは、自分のためにもなり、害はありません」