北米の「大紀元」印刷工場に勤める中での修煉体験(1)
■ 印刷版
 

 文/北米の大法弟子

 【明慧日本2021年7月30日】

 尊敬する師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 「新時代」印刷工場に勤めて2年半が経ちました。2年半前、ある同修が3回も電話をかけてきて、私に時間があるかを聞いてきました。印刷工場で人手が足りないので、3カ月だけ手伝ってもらえないだろうかと言いました。印刷工場の仕事は自分に合わないと思ったのですが、しかし、それは大法のプロジェクトでもあり、ちょうどそのころは時間もあったので、3カ月だけ手伝えば良いのだと思い、その同修に承諾しました。

 任せられた仕事は、夜勤の仕事でした。一日だけ体験してみたら、3カ月どころか、3日も続けられないと思いました。100デシベル近い騒音の中、インクの匂いと、微小の紙粉が部屋中に充満しており、作業場は高温で、卵を機械の上に置いたら焼けるようでした。昔の恵まれていた仕事や生活環境に比べて、とても違和感を感じてしまいました。交通も不便で、地下鉄の駅まで15分歩いて、それから地下鉄にしばらく乗って某駅で降り、そこから同修の車に乗せてもらって印刷工場に行くのです。毎日の通勤に4時間もかかるのです。仕事を終えて、早朝の4時に真っ暗な小道を歩いて家に帰っていると、突然目の前に現れたホームレスに、「おはようございます」と声をかけられたこともあって驚いたこともあります。天候が悪い時には、通勤がもっと難しくなります。辞めたかったのですが、その同修に「3カ月手伝う」と承諾したので、まず3カ月だけは続けようと思いました。しかしその後も、この仕事を辞められなくなってしまいました。

 私が、初めて印刷工場のグループ学法に参加した時、学法の部屋に師父の荘厳な肖像画を見ました。師父の笑顔から無限の慈悲と期待を感じたのです。私は今までこのような場面を見たことがありませんでした。2時間の学法の中で、私は時々師父の肖像画を見ては、心の中で何度も師父に「必ず頑張ります」と言いました。同修によると、印刷工場は修煉にとって良いところで、真金を精錬する溶炉のようだと言いました。その後の仕事の中で、私はなぜここは修煉にとって、良い場所なのかを実感しました。

 1、「その心志を苦しめる」[1]

 ここで働く2年半は、修煉してきた中で最も辛かった2年半でした。毎回の関に直面しては、「これこそ修煉だ」と自分に言い聞かせながら、一方では「自分を困らせることはない、この仕事を辞めればいいだけだ」と逃げたい気持ちも存在していました。

 来て間もない頃、製版をやっていた時、ある同修が突然書類を持ってきて、私に「そうすべきではない」と言いました。何が起きたのか分からないばかりか、来たばかりなのにこんなに冷たく言われてしまい、今後この仕事をどうやっていけばいいのかと思いました。結局のところ、彼の言うことは私とは何の関係もないことだったと後になって分かりました。版を完成させて現場に持っていこうと、何気なく2階のエレベーターから下を見ると、下の現場はとても忙しそうにしていました。機械の横で、汗だくになっているある年配同修の姿が視野にはいり、心から言い知れぬ感動が湧いてきました。多くの同修は、名も求めず、利益も求めず、ここで何年も何年も続けているのです。彼らに比べて自分はとても小さいと感じ、私は「どうして多少の冷たい態度くらいで、そんなにも気にするのか」と思いました。

 半年後、私の仕事が変わり、急に多くのことを任せられるようになりました。その中の一つが、毎週購読者の住所を入力して発送の手配をすることでした。人手が足りなくて自らやっていたのですが、「なぜあなたは自分でそれをやってるの? あなたにはもっと重要な仕事があるではありませんか。誰かを探してください」と言われたりしました。「私は誰も知らないし、ここで十数年働いた同修も人手が見つからないのに、まして新人の私は…」と答えましたが、心の中に恨みが生じました。問題があるたびに、常人の「誰が正しい、誰が間違った」の思惟様式に陥りやすく、常人の道理で修煉中の問題を測ろうとしていました。内に向けて探してはいましたが、常人の思惟、つまり「誰が正しいか、誰が間違ったのか」を毎回切り離したくはありませんでした。

 私は、労働時間、生産能力、損耗、人員配置を計算し合理的に生産の段取りをしました。仕事のやり方もいくつか改良したりすると、毎月1万ドルぐらいの節約しながら、生産高は何倍にもなることを実現できると思いました。1年を通してみるとけっこうの節約と能率アップになる見込みです。会議の時、私はその提案を取り上げました。しかし数日後、同修Aさんは否定的な評価を言いました。私は何も言いませんでしたが、数日の間、彼は否定的な意見をまた2回繰り返して言いました。私は我慢できなくなって、帰宅後、私は「改良の成果は明らかなものだと思う」という旨のメッセージをAさんに送りました。彼は、「私が言ったのはそういう意味ではありません。誤解です」と返事がきました。どうして彼の意図しない言葉が、私の心で大きい波紋を引き起こしたのでしょうか? それは自分の能力を証明したい心に触れらたからです。成績が上がったと自惚れて、褒め言葉を期待したからです。実は、私たちの能力は全部師父から与えられたもので、私は天の功を自分の手柄にしようとしていたのです! 私の生命まで大法から与えてもらったもので、そうでなければ、修煉前の病はとっくに私の命を奪っていたかもしれません。

 気に障ることに遭遇したら、私は修煉者が言うべきではないことを口にするか、若しくはすぐに辞めたいと思うのです。問題に遭ったらどのように向上するかではなく、すぐ逃げることや避けることを考えてしまいます。また、何事に対しても正誤を分別したい心が強いのです。そうすると、自分を傷つけるだけでなく、同修の心も傷つけてしまいます。

 「あなたが正しいかどうかに関係なく、この問題は一人の修煉者にとってまったく重要ではありません。言い争わないでください。誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか? 人心をもって正しいかどうかを強調すること自体が間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手に要求しているのです。神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです」[2]

 2020年の初めから、本当にこの仕事を辞めたくなりました。ある日、師父は夢の中に現れてくださいました。師父は印刷工場の皆と一緒に食事をされており、みんなは師父のそばに座っていましたが、私一人だけが落ち込んでいたので、一番端のテーブルに座りました。師父は、同修たちに私のテーブルを師父の向かいに持ってくるように指示されたので、私と師父は向かい合って座ることになりました。私は師父に、「師父、私は本当に力尽きてしまいました」と話すと、師父は私を励ましてくださいました。夢の中での師父の慈悲なる言葉は、心の底に刻まれています。新型コロナウイルスの最も深刻な時期にも、難に遭った時にも、ずっと私を励ましてくださっているのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」

 (2021年大紀元新唐人メディア法会の発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/5/426631.html)
 
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