神獣は善悪を判断できる
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文/聞明

 【明慧日本2021年7月31日】裁判所で、裁判官は終審する時、ガベルを叩いて、最終判決を宣言する。中国の法院博物館に特殊なガベルがあり、そのガベルの形は上部に神獣「獬豸(かいち)」が彫刻されている。

 獬豸はまた「獬廌:かいたい」とも呼ばれ、神獣で一つの角を持ち、4本の足にはひづめがあり、常に座っている。夏の間は、水辺に住むのを好み、冬の間は、松の木や檜のある森に住むことを好む。薦草(こもぐさ)は獬豸の大好物である。獬豸の最大の特徴は、理非曲直(りひきょくちょく:不正なことと正しいこと)を判断でき、人が有罪かどうかを知ることができる。「见人斗则触不直。闻人论则咋不正(闘う人を見た時には不正直者に触れ、人々の理論を聞いて不正を働く者を食らう)」。『述異記』(じゅついき)によって、黄帝の時代の大法官皋陶(こうよう)は裁判を行う時、獬豸を頼って判別した。

神獣付きガベル

 皋陶(こうよう)は黄帝の長男の子孫で、堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)の時代に「大理」を務め、つまり大法官でした。皋陶は徳を重んじ、礼を知り、「獄の神」と称されている。皋陶は案件を裁判する時、判断できない場合は、常に獬豸に頼んでいた。判決の時、獬豸は鋭い角で突き刺した者、或いは噛んだ者、この者が不正者と判断され、その犯罪の規模に応じて罰せられた。

「法」の古字(明慧ネットより)

 古代の人は法律の「法」の文字を創造した。古字「灋」には、「氵」と「廌」と「去」の三つの部分から構成されている。「廌」は獬豸で、理非曲直を弁別できる神獣である。「氵」は「水」であり、つまり、「法」は水のように平で、すべての人に対して、どちらにも片寄らず、中立公正という意味で「去」の意味は、道徳が堕落している人、人格を失った人を取り除くと言う意味である。

 だから「法」の意味は、法を実施する時、公平公正で、理非曲直を弁別して、不正を取り除くことで、これは人類の法律そもそもの意味である。

 中国の戦国時代から、秦、漢などの時代を経て、最後の清朝までの御史(ぎょうし:執法の職)と按察使(あんさつし:地方行政を監督する令外官の官職)の補子(服に階級を区別する刺繍)に、「獬豸」の図案が刺繡されている。意味としては、法の執行者は「獬豸」と同じように、天の旨意に従って、公平公正で、どちらにも片寄らず、すべての「私心」を無くすようにすることである。

 法の執行者は、上は天の旨意(意図や考え)を継承して、下は民衆の心に応じ、古代から神聖な役割を担っている。歴史上の多くの法の執行者は、天意に従って、神の啓示により、懸案を解決していた。

 中国春秋時代の斉の荘公光(そうこうこう)は神様の助けを得て断案を下します

 春秋戦国時代の『墨子:ぼくし』にはこのような物語を記録している。斉の荘公光の時、王里国、中里徼と呼ばれるものがいた。この2人は訴訟で争っていたが、3年経っても決着がつかなかった。荘公は確証のない嫌疑だけでは裁定でき兼ねると考え、神判を行うことにした。そこで、羊一頭を引いてきて、2人とも斉国の神社に行き、神社で盟(ちかい)をさせ、羊の頸血(けいけつ)を社壇に注がせた。王里国が神への陳述を読みあげ、終わるまで、何ら異常も無かったが、中里徼がその辞を読み進めると、まだ終わらない間に、羊が起き上がって、中里徼に触れ、社殿に躍り上がって、盟所(神社で盟いをした所)に倒れた。この訴訟は、羊が盟所で倒れた中里徼に有罪判決を宣告した。

 このことは斉国の史書に記録され、人々は「神に誓っても不誠実であれば、神の罰を受ける。このようなことを行うと、災難は速やかに起こる」と言った。

 ある法官の臨終の懺悔

 公平公正で法律を執行する誓いは法律を務めている人に対して基本的なことで、そして当たり前のことである。誓いを立て、初めて法官は法服を着を身に付け、裁判官の帽子を被り、ガベルを手にして審判席に座り、正義を代表して裁判を行う資格がある。

 ことわざに「頭上三尺に神様あり」と言われているように、裁判官は公正公平であるかどうか、神が見ている。

 明慧ネットに『一位法官臨終临终前的忏悔(ある法官の臨終の前の懺悔)』という文章が記載されました。この文章には、ある裁判官の妻の話とされ、夫(裁判官)は上司の圧力のもとで、本意に反して数人の法輪功学習者(以下、学習者)に有罪の判決を下した。長い間、夫はとても気が咎めていて、そしてとても懺悔の気持ちをもち、自分は有罪であり、学習者と彼らの家族に巨大な傷をつけたと思っていた。

 この裁判官は治療不可能な病気に罹り、臨終の前に「自分は罪を犯したが、自ら江沢民が法律によって正される日を見ることができないが、同僚たちが江沢民に従わないことを望む」と述べた。

 この裁判官が亡くなった後、多くの人は「こんなに良い人がこのように亡くなり、良い人には善い報いはないのだろうか」と言うと、彼の妻は「そうではありません、彼の心は良い人に同情をするが、行動は天理に反して、悪事を働き、自分がその悪の報いを受けました。彼もこの迫害の被害者です」と言った。

 裁判官の妻は最後に「私も私と同じようなことがあった公安局、検察庁、裁判所の各人員の家族の方たちに呼びかけます。あなたは夫が何らかの病気で亡くなっても、偶然だと思っているかもしれません。しかし、法輪功を迫害することに参与したら、天理は許さず、自分や家族にも災いをもたらすことになります。江沢民はこの迫害を計画し、命令、実施、管理、扇動しているので、この罪の元凶です。私たちの悲劇も彼のせいで引き起こされのですから、私たちは一緒に江沢民を告訴するべきです」と言いました。

 このような悲劇は今でも毎日中国で発生していますし「真・善・忍」を修める学習者が不法に裁判を開廷されている。この不当な裁判に参与した公安局、検察庁、裁判所の人員は、利益と昇進のため、自分を絶体絶命の境地に押し込んでいる。

 上には天理と正義があり、下では「生涯追及される」

 1999年から、法廷では堂々と信じられないでたらめなことが行われている。

 ・開廷の時間を知らせず、突然裁判を開廷する。

 ・学習者の家族を騙して、弁護士に弁護を止めさせるようにする。

 ・裁判官は裁判所から逃げて刑務所の中で裁判を行い、家族の傍聴を許さない。

 ・裁判の時に、学習者は無罪の弁解を許されず「罪を認める」しかない。

 ・裁判の時に、証拠がはっきりとした間違いがあっても無視する。

 明慧ネット2021年3月の報道によると、中国で少なくとも99人の学習者が不当判決を宣告された。最も深刻な地域は、吉林省18人、河南省15人、遼寧省10人、山東省10人、黒竜江省7人であった。判決が深刻な町は、長春市16人、南陽市14人だった。

 長春市の孟祥岐さん及び家族7人は懲役7年~7年半の不当判決を宣告された。

 重慶市の学習者・陳貴芬さん(80歳)は、中国共産党(以下、中共)により懲役1年半の判決を受けた。彼女が高齢のため、中共は判決を下せるように彼女の年齢を5歳若くした。

 広州市の学習者・曽加庚さん(78歳)は、広州の公安局に偽の供述で陥れられ、公安局、検察庁、裁判所の人員が一緒になって行った。

 広東省の学習者・周華建さんは、茂名市茂南区裁判所で不当な裁判が開廷されたとき、弁護士・盧廷閣氏はノートパソコンを持って出廷したが、ノートパソコンの使用を禁止された。

 中国には「僧侶を打ち、道人を罵るなら、悪の報いを得る」ということわざがあります。学習者は社会で佛家大法「真・善・忍」に基づいて修煉しています。しかし法の執行者は、名利のため、中国共産党に追随して、天意を犯し、その悪の報いがどこで彼らを待っているかは誰にも分かりません。

 人がどう対応するのかは個人の選択である。人は最終的に何かを起こしたら、その結果に対して彼は必ず責任を負わなければならない。知恵を持っている人は良心を選択すると、神に保護される。中共の指示に従って悪事を行えば、天理と正義があり、生涯、責任を追及される。このような教訓が多くあるので、深く考える価値はない。あなたは我が身を持って刑罰を試す必要があるのではないだろうか?

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/11/423201.html)
 
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