法門を跨って修煉することの危害
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 【明慧日本2021年8月2日】ある日、私とAさん(同修)は、法輪功迫害の実態を人々に伝えるために市場に向かって歩いていましたが、突然、私は誤って水たまりに足を踏み入れてバランスを崩してしまいました。同修は私を支えようとしましたが、私は転んでしまい、ズボンが破れてしまいました。私は立ち上がって、市場を後にしました。Aさんは「先程、あなたは間違ったことを言いました」と言いました。

 この前、Aさんがニラを大量に買ってきたことがありました。私はAさんに「ニラは葷ですよ」と言いました。そして、ニラの由来を話しました。Aさんに、なぜ知っているのかと聞かれたので、私は「法輪大法(法輪功)を修煉する前に、仏教の本で読んだことがあります」と答えました。Aさんは、「その話はもうしないで。これは不二法門の問題に関わっています」と言われました。私は、Aさんが何もしないで騒いでいるのだと思い、Aさんが言ったことをあまり気にしませんでした。

 今回、私がつまずいて転んだ後、Aさんは「あなたが転んだのは、他の修煉法の何かがあなたを傷つけたからよ。内に向かって探すべきです」と言われました。

 私は家に帰りながら、「どうしてあんなに転んだんだろう? その理由は何か?」と考え、「あなたを傷つけたのは、Aさんの体にある悪いものだ。彼女と話をして、その悪いものに触れたからだ。これ以上、内に向かって探す必要はない」という一念が浮かびました。私は嬉しくなって、何が起こったのか、なぜ起こったのかを考えるのをやめました。その考えは少し奇妙に思えましたが、それ以上は考えませんでした。

 家に帰ると、姉が「どうしてズボンが破れたの?」と聞いたので、「転んで血が出た」と答えました。姉は「ひどい転び方だったね」と言いました。私は「師父が私を守ってくださなかったら、もっとひどいことになっていた」と思いました。私の姉も修煉者です。事情を話すと「自分の中に原因があるはずよ。同修のせいにしないで」と言われました。私もそう思いました。

 師父は「一正が百邪を圧する」[1]と説かれました。正しい心を持っていれば、誰も私を動かすことはできないし、自分を正さなければならないと思いました。私は法を読み、自分がなぜ転んだのか心の中を探し続けましたが、問題は見つかりませんでした。私は「師父、どうか私の問題を特定するのを助けてください」と、師に助けを求めました。

 ある日、Cさん(同修)から電話があり、私たちが知っているBさん(同修)が突然亡くなったと聞きました。私はショックを受け、深く考えさせられました。

 2006年に、亡くなったBさんがある記事を見せてくれたことを思い出しました。Bさんは、それが師父の「大法弟子」が書いたものだと言い、とても良いものだと教えてくれました。私は「大法弟子」なんて聞いたことがなかったので、その記事はどこから来たのかと尋ねました。彼女は、「普通のウェブサイトから入手した」と言いました。

 私は「読みたくないです、私は明慧サイトの記事しか読みません。時間があるときには、法をもっと読みます」と言いました。

 Bさんはこの記事にとても思い入れがあるようで、何度も私に読ませようとしましたが、私は断りました。Bさんの主張が不適切であることはわかっていましたが、何が問題なのかよくわからなかったので、Bさんが再びその話をするのを止めなかったのです。不二法門のことも考えませんでした。

 また、4年前に信仰のために投獄されていた時に、仏教の本を読んで「この本はいい」と思ったことを思い出しました。Bさんの死が私に警告を与え、修煉の重大さと不二法門のことを忘れてはならないと急にわかりました。

 姉に相談したところ、姉は「他の良くない本を読んで良いと思っていると、悪いものがついて邪魔をする。憑依霊がついた本だったら、もっとひどいことになるよ。師父は宇宙の法則を教えてくださるのであなたが読んだものは、法にはかなわない。師に自分の間違いを早く認めるべきだ」と言いました。

 そして、私たちは一緒に正念を発しました。終わってすぐに師父の大きな慈悲を感じました。師父、ありがとうございました。

 姉は、大法を修煉する前は動物の霊を崇拝していました。20年近く大法を修煉していても、彼女は子供や孫にとても感情的になっていました。異次元の声が彼女に「あなたの世界はもうすぐ爆発する。もっと練功しなさい」と言いました。彼女はその声を信じたので、その生命は彼女に干渉し続けることができました。結局、姉は急死してしまいました。

 このような干渉は、時間をかけても捨てられない執着がある場合に、私たちの心を乱します。私たちが法を読み続け、法に基づいて物事を考えることができれば、干渉に気づき、それを排除することができるでしょう。

 私の兄夫婦は、1998年に大法を修め始めましたが、1999年にやめてしまいました。2018年、兄は顔面神経麻痺を発症しました。どうしたらいいかと聞かれ、私は「しばらくの間、私のところに来てください」と答えました。私は、彼と彼の妻が再び大法を修めるのを助けたかったのです。

 兄はお寺でもらったお守りを身につけていました。私は、「兄さんは今、大法を修煉しているので、それはもう身につけないでほしい」と言いました。私の家に滞在しながら、夫婦は法を読み、修煉を始めると、兄はすぐに回復し、「法輪大法は素晴らしい」と言いました。家に帰ったら、法を読んで熱心に修煉する」と言いました。

 彼らが家に戻ってから約半年後、兄は交通事故で突然亡くなりました。私たちが訪問している間、兄の妻は、彼が精進せず、スマートフォンでゲームばかりしていたことを話してくれました。

 彼らは、『轉法輪』やその他の大法の本を持っていませんでした。彼らが私の家を出るとき、飛行機で帰るので、空港の警備員が荷物をチェックするときに見つけてしまうかもしれないと思って、本を持っていかなかったのです。私は2人に、「家に帰ってから、修煉者に会ったら、大法の本をコピーしてもらうといい」と言いました。

 ある日、兄の妻から電話があり、「大法の本を手に入れるために協力してくれる女性修煉者2人に会った」と言いました。しかし、約束の時間にその修煉者は現れませんでした。私は本を郵送したかったのですが、妨害されてできませんでした。私は、彼らに直接本を届ける機会を待っていました。しかし、その前に兄が亡くなってしまいました。

 私の父も十数年前に亡くなる前は法輪功を修煉していました。彼は毎年旧正月になると、先祖を拝んでいました。当時、私たちは不二法門を守ることの重要性を明確に理解していなかったので、父を止めようとはしませんでした。その後、兄が亡くなったことについて考えを共有したとき、不二法門からの干渉が一因であることに気づきました。修煉はとてもシビアです。

 地元の修煉者のDさんは孫が2歳の時、家族の大人が子供を連れて出かけました。帰ってくると、子供は泣いていました。Dさんは「この子は何かに出会って魂が抜けてしまった」と言っていました。他の2人の同修は、「今夜、この子の魂を呼び戻そう」と言っていました。彼らの発言は些細なことのように思えましたが、大法の修煉者がどうしてそのような低レベルの霊的なものを信じるのでしょうか。私が指摘すると、Dさんは自分の間違いに気づきました。彼女はすぐに師父に自分の間違いを認めました。

 もう一人の修煉者のEさんは、「私の息子は周易を勉強していて、とても正確に占います」と言っていました。また、あるテレビドラマを見て、その主人公を高く評価したと話していました。そのテレビ番組は学ぶべきことが多いと言っていました。普通のテレビ番組を見てどれだけ得ることができるのか? 修煉者は、法に基づいてこそ向上すべきではないでしょうか。

 私が挙げたすべての例は、不二法門という原則に注意を払う必要があることを示しています。修煉は非常に重大かつ厳粛です。法に基づいて修煉できず、法に基づいて物事を理解できなければ、妨害されてしまいます。

 この記事を書くにあたり、妨害を大きく感じました。以上は個人的な認識なので、法に基づいていないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/27/418623.html)
 
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