【慶祝513】10年間の躓き後に再び聖なる縁を 名利を競う場で名利を放下
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文/広東省の大法弟子

 【明慧日本2021年8月29日】私は、1996年に法輪大法の修煉を始めました。それまで私は人生の意味や宇宙の謎について探求してきましたが、既存の人類の知識では答えを見出すことができず、現実社会の混沌とした状況に戸惑っていました。そして両親は、私が社会人としてやっていけないのではないか、私の常人社会での生活を心配している、ということをいつも言っていました。私は両親に心配をかけないように、社会人として少しでも活動しようと高等学校から役所に移ったのです。

 役所に着任後、努力して環境に適応しようとしましたが、嘘をついたり、リーダーの顔色をうかがったりで、とても居心地が悪い思いをしました。それ以上に辛かったのは、資料にいつも嘘を書かなければならなかったことでした。嘘を書かなければならないという私の心の痛みや苦しみを訴える場所もなく、訴える相手もいませんでした。仕事を辞めて引き続き本を読み、研究を続けたかったのですが、子供がまだ小さかったので、家族の負担が増えるのを恐れて仕事を辞めることはできませんでした。

 一、10年間道から外れ、ついに回帰する

 大変苦しい時期でした。毎日気合いを入れて出勤し、1日がまるで1年であるかのように感じていた時、私は縁あって大法を得て修煉に入りました。その時の感覚は素晴らしく、震撼し、心は希望に満ちあふれました。その後、修煉に励みたいと思ったのですが、今(訳注:2021年5月)振り返ってみると、修煉についての私の理解は表面的なものでしかありませんでした。その結果、1999年7月以降の大きな魔難の中で、私はうまく関を乗り越えることができませんでした。初期の頃は必死に持ちこたえて妥協しなかったのですが、最後には中国共産党(以下、中共)の洗脳班の圧力に耐えられず、書いてはいけないものを書かされてしまいました。

 その後、私の心は大きな苦しみを抱え、混乱しました。心の中では大法がすばらしいと分かっており、自分が大きな間違いを犯したことも分かっていました。大法と師父に申し訳ないと思い、修煉に戻れるかどうかも分かりませんでした。同時にまた、強く恐れる心も持っており、中共からの迫害や、家族を巻き添えにしてしまうことなどを恐れました。しかし心の底では「このままでは自分の生命に全く未来がない」と分かっていました。私は常人の欲望の中でもがき苦しみ、徐々に体の調子も気分も悪くなり、気性も荒くなって、10年間ボーッと引きずっていました。

 この時期、私は特に胃腸の調子が悪かったのです。眠りも浅くて精神状態も悪かったのですが、毎日長時間寝ても、睡眠不足を感じていました。仕事は非常にストレスが大きく、流れに身を任せたくないと感じていましたが、常人の利益を失うことが怖くて、毎日不安な気持ちで過ごしていました。ある時、夏に昔からの同級生と卓球をしたところ、全身に汗をかいてしまいました。同級生がミネラルウォーターを持ってきてくれたのですが、同級生はそれを飲み干しても何事もなかったのに、私は数口飲んだところでお腹が痛くなり、トイレに行きました。私は、毎年必ず何回かひどい風邪を引いていましたが、風邪が治ると咳をし、それが何日も続きました。最も耐え難かったのは、咳で夜眠れなくなることでした。

 2011年に風邪をひいた後、また夜に咳が出るようになりました。 妻の休息を妨げてしまうのが気になったので、私は書斎に行きました。横になると咳が出るので、座っているしかありませんでした。私は機嫌が悪くなり「いつまで辛抱しなければならないのか?」と思いました。この時「私は今まで修煉して病業の関を乗り越えた時、煉功さえしていれば、いつもすぐに過ぎ去っていた」という念が湧いてきました。そこでベッドの上で印を結んで座禅を組むと、すぐに一陣のエネルギーを感じ、喉のかゆみと咳の感覚が消えました。20分ほど座禅した後、明け方まで寝ていました。だんだんと咳もよくなりました。

 私は、改めて大法の修煉を始めようと思いました。その後、師父は弟子にかつての同修に会わせてくださりました。私は大法書籍の返却をお願いし、本当に修煉に戻りました。今(訳注:2021年5月)振り返ってみると、師父は私を見捨ててはいなかったのです。ずっと私を見守り、悟らせて下さりました。私を改めて大法の修煉に戻らせて下さったわけですが、まる10年間たった今、弟子は恥ずかしくてたまりません。

 改めて大法を修煉すると、師父は何度も弟子の体をきれいにして下さいました。ある時、はっきり覚えているのですが、まさに旧正月の連休中、私は急に初熱したことがありました。その時ちょうど私は一人で家にいたのですが、私はまったく怖いと思わず、 師父が私の体をきれいにして下さっていると分かっていました。私は、煉功を堅持してから眠りました。翌日になると何事もなくなり、家族同士の集まりに出かけましたが、私が発熱していたとは家族の誰も気づきませんでした。

 それまでは、中共による迫害を家族が恐れるので、私はあえて煉功をしなくなっていたのです。しかしこの後、大法への信頼感が深まり、次第に家族の前で煉功するようになりました。家族は以前よりも体調が良くなった私を見て、何も言いませんでした。学法が進むにつれ、私は家族に法輪大法の修煉についてよく話すようになりました。

 しばらくして、大法に対して強い意志を持つようになった私を師父がご覧になり、身体を再び浄化してくださいました。その時は、突然お腹が張り、身体中が痛み、悪寒を感じました。すぐに座禅を組んで発正念したところ、突然口から体内液が出てきたように感じました。すると胃の閉塞感もなくなり、元気になりました。その後、下痢が続きました。とても気持ち悪かったのですが、身体浄化して下さっていると分かっていました。私は学法と煉功を強化し、3日目には基本的に元気になりました。その時の身体の浄化で私の胃腸の状態は完全によくなり、私の精神状態も向上したのです。

 妻は修煉しておらず、テレビや新聞に騙され、法輪大法に懐疑的な態度を取っておりました。しかし私の身体の浄化を目の当たりにして、今(訳注:2021年5月)では態度も変わりました。母も認めており、煉功で私の体調はどんどんよくなりました。

 二、トラブルを解消し家庭が調和

 修煉をしていなかった10年間で、私は機嫌が悪く、妻との関係もどんどん悪化し、些細なことでもよくキレ、喧嘩をしては冷戦状態が何日も続いてきました。心の痛みで、その後カッとなって妻を殴ってしまったことがありました。

 それまでも修煉はしていました。私は妻を殴ったりするのは良くないことだと分かっていましたが、長い間法を学んでいなかったため、内に向けて探す方法がわかりませんでした。トラブルが生じると、お互いに顔色をうかがうばかりで、どう見てもどう考えても相手が悪く、考えれば考えるほど怒りがこみ上げてきて、どうしようもなくなりました。

 学法が進むにつれ、少しずつ私は他人に寛容になり、トラブルは自分を向上させるための機会であると理解しました。最初の頃は、トラブルが発生しても我慢していましたが、我慢できなくなると後で後悔しました。しかし徐々に法を学んでいくうちに、妻に謝るよう自分に要求できるようになり、自分がよくなかったと認めることができるようになりました。妻が大法に賛同してくれなかった時は、私がしっかり行わなかったことが一つの大きな原因でした。私はいつも謝る時に「大法が悪いのではなく、私が大法に基づいて行えなかったこと、私が正しく行わなかったからです!」と言いました。

 耐えれば謝ることができると分かっていても、家庭生活の中で常にそうすることは実際難しかったのです。妻は毎日私と一緒に生活し、マン・ツー・マンでバスケットボールをするようなもので、常にミスをしないようにするのは本当に大変なことでしたが、それを本当に実践することは心性の向上につながりました。

 その後、私は内に向けて探すことができるようになり、「相手は自分よりも賢くないし、自分ほど多くのことを知らない」と考えて人を見下す心が私にあると分かりました。また亭主関白であり、妻は自分の言うことを聞くべきだと思っていました。そして表れてきたのが言葉遣いの悪さや、人をいじめる傾向、見下す態度、気づかないうちに命令口調になってしまうことなどでした。このように家庭生活では容易にぶつかりやすく、些細なことで口論になりました。常に自分が正しいと思っており、自分が優位に立たなければ口論を止めることができませんでした。これは強烈な闘争心であり、負けん気でした。このままで家族が安らかに暮らせるでしょうか?

 私は、この良くない心を修煉して取り除くことを決意しました。「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです」[1]という師父の法を心の底から思い出しました。法に基づいて自分を指導し、まず姿勢を低くして「上から目線になるな」と自分に言い聞かせると同時に、自分の考えと違うことに遭遇した時、妻に不満があった時、心に怒りや恨みの思いが湧いてきた時、すぐにその心を抑えて排除しました。この後、効果はかなり良くなりました。

 もともと私は妻に家の清掃員を雇ってほしいと頼んでいましたが、妻にいつも断られていました。私は妻に「それなら私が誰か一人を頼んでくるよ」と言ったのですが、妻は「家に知らない人が来るのは嫌だ」と言いました。これもだめ、あれもだめで、私の心は辛くなり、言葉にも丁寧さがなくなりましたが、妻はどうしても雇ってくれませんでした。何年も経って考えてみると、私は心の中で妻を恨んでいました。そこでこの心を放下し、清掃員がいなければ自分でもっと掃除や片付けをしようと思いました。すると、妻は自ら清掃員を1人雇ったのでした。

 同時に、いくつかのことで私も妻の気持ちを考えることができました。例えば、以前私は妻とほとんど話したことがなく、共通の話題が少ないと思い、時間があれば書斎で学法や煉功をして、自分のことに取り組んでいました。妻は「あまり話をしてくれない」と不満を漏らしました。その後私は妻の立場に立って考え、妻を理解できるようになったので、毎日の食事と家事の後に妻と一緒に居間で過ごし、お茶を飲みながらおしゃべりをして、ついでに妻に真相を伝えたり、大法のことを伝えたりしました。こうして妻の不満は減り、大法への理解も深まりました。「三退」が政治的なものではなく、自分の人生にとってより良い未来を選択するためのものであることを理解し、妻は自分自身が三退しただけでなく、最近では家族にも三退するように説得していました。

 息子の進学に関しても、私はだんだんと修煉者の基準を以って自分を律することができるようになりました。息子はもともと成績が良く、私は一流の大学に行ってほしいという思いがありました。息子はコンピュータ・プログラミングが大好きで、多くの時間をコンピュータ・プログラミングに費やしていました。私は息子に当面はプログラミングをあきらめて、受験勉強に専念してほしいとお願いしました。しかし息子は放下しません。 私は息子に腹を立て、怒鳴ったこともありました。後になって、これではいけないと思い、息子に腹を立てることは執着心であると気付き、そこで自然の流れに任せ、息子をもっと気遣って応援しようと考えを改めました。その後、息子は希望の大学に入学しました。周りからは羨望のまなざしで見られ、ある人は「どうしてあなたのお子さんは簡単に理想の大学に入れたのですか?」と言いました。私は「大法の要求に従ってよかった、そうでなければどれほどの苦労をし、どれだけ多くのトラブルや紆余曲折を経験していたかわからなかった」と思いました。

 私の息子は今(訳注:2021年5月)、卒業して良い会社で働いています。私と息子の関係はより対等で調和のとれたものになっており、 息子は私のところに相談に来るし、私は息子のために分析し、アイデアを出しますが、無理に私の言うことを聞かせることはありません。息子に真相を伝え、息子も「三退」しました。大法を修煉することで、家族の団らんを感じられるようになり、和やかで幸せな感覚を感じることができました。

 三、役所の仕事で名利を争わない

 私は「役所」で働いています。再び修煉を始める前に、私は権力も影響力もないこの職場に異動を願い出ました。私はこの職場で静かな生活を送りながら、研究をしたいと思っていました。しかし今は世の気風がだんだん悪くなり、この職場でも同じように熾烈な競争があることを知りました。しかし私は争いに巻き込まれないように、噂話を積極的に詮索せず、リーダーのご機嫌を取らないように自分を律しました。自分の仕事をしっかり行い、決して怠りませんでした。嘘の資料は作成しないようにしました。

 数年前、職場から「貧しい人たちを助ける」ために農村に人を派遣することとなり、私は「駐村幹部」に選ばれました。もともと一時休職が可能でしたが、それはつまり職場の仕事がなくなるということでした。しかし職場は人手不足だったので、私は農村と職場を行ったり来たりしなければなりませんでした。これは移動が多いだけでなく、言ってみれば同じ賃金で2人分の仕事をしていることになりました。しかしリーダーに苦労を訴えたり、手当が欲しいと言ったことはありませんでした。条件が揃っている職場では、行ったり来たりする職員に公用車が用意されますが、私たちの職場にはなく、私は自分の車で行き来しました。毎月のガソリン代を精算していましたが、ある人がリーダーに「私の清算額が高すぎる」と言ったため、リーダーは減らすように私に言いました。私は、何も言わずに承諾しました。私は心の中で「これは私の利益の心を取り除いているのだ」と分かっていました。

 「貧しい人たちを助ける」ことが終わり、業務は完了しました。規則によれば私は1級昇格できます。職場も上に報告しましたが、上からは「空きのポストが不足しているので、ちょっと難しい」と言われました。心優しい同僚が「つまり、あなたはつてを求めなければならないということです。早く仕事を片付けて、早くつてを求めに動いてください」と言いました。私はつてを求めませんでした。現在の社会の風紀はすでにこんなに悪く、修煉者はこのような風紀を助長してはなリません。私は、結果的に昇進しませんでした。みんなが私のことを心配し、リーダーも私が不満を抱いているのではないかと心配しました。私の心は少し動揺しましたが、すぐにコントロールし、なんとか動揺せず、いつも通りに自分の仕事をこなしました。職場のリーダーは私の人となりにを認め、その後は何かあると喜んで何でも相談に乗ってくれました。

 ある時、職場のリーダーが、私の専門性を生かして作家を手配し、職場の蔵書を編集してほしいと言いました。私は無条件に、すぐに承諾しました。それからの3年間、私は自分が蓄積した経験を生かし、学術関係者の友人にも協力してもらいながら、本の編集を比較的スムーズに進めました。出版後、社会的な評価はとても良いものでした。私はその中の一冊の執筆を担当しました。私はどちらかというと自分が忙しいと感じていたので、先輩の学者に声をかけて書いてもらおうとしました。思いもしなかったことに、先輩の学者は私にいくつかの資料を渡し、私も執筆することで将来は2人の共同著作物として扱うことにする、と私に伝えました。私は再び資料を探し、編集と執筆を独自に完成させるしかありませんでした。

 本の出版間際になって、その先輩は資料を提供しただけで実際の編集作業には参加していないのだから今後は校閲者としてお願いし、著者として先輩の名前をを書かない方がいいのではないか、と私は考えました。このことを先輩に伝えると、先輩はあまり喜ばず、すぐに断られてしまいました。私は少し恥ずかしい思いをし、自分の名利心の結果であることも自覚し、すぐに正しました。新しく出版されたその1冊の本にはその先輩の名前が記載されているだけでなく、私の名前の上に置かれていました。その後、私は原稿料をすべて先輩に渡しました。そのことを知った家族は「彼に原稿料をすべて渡すのはいいけど、本人に知らせた方がいい」と言いました。私は「もう渡してしまったのだから、今さら言っても、原稿料が欲しいと言っているようなものではないだろうか? あの先輩は退職してお金を必要としており、以前私の研究を手伝ってくれたことがあるので、そのお礼としよう」と言いました。

 本の編集者の順位が決まった時、リーダーは私の名前を一般の編集スタッフのリストの下から2番目に入れましたが、私は一言も言いませんでした。ある知人は、この蔵書は最初から最後まであなたが責任を持って作ったのだ、ということを言い「すべてをリーダーにまかせず、あなたはリーダーに有利な条件を要求するべきであり、出版物の支払いをあなたに任させ、そうすればあなたはある程度の利益を得ることができるのではないですか」と言いましたが、私はただ淡々と微笑みました。

 職場は幹部を昇進させ、小さな部や課は互いに競争していました。私は優れた仕事ぶりと高い学歴を持っていたので、昇進するはずでした。しかしある人がこのポジションを獲得するために、リーダーと共謀し、私が修煉している大法を利用して、私を個人的に攻撃し、虚偽の濡れ衣を着せたので、最終的に私は昇進を逃してしまいました。

 その間私は周囲の圧力と利益の両方に直面し、内心では混乱と苦悩を抱えていましたが、心の中では師父の教えを思い出していました。戦わず、恨まず憎まず、冷静に仕事を続け、理性的に同僚やリーダーに真相を伝えていきました。ある同僚は心優しい人で、その同僚は私に不平を抱かず、私はその機会にその同僚に真相を伝え、大法の法理について話し、その後にその同僚は「三退」しました。別の同僚はクリスチャンであり「三退」はしませんでしたが、私の人となりを認め、今まで会った中で最も高度な文化人だと褒めてくれました。

 修煉のことについては、つまずきと転倒があり、そのすべてをお伝えするには何日もかかります。修煉の歳月には試練や苦難がありますが、これが私の生命の方向性であり、大法が私の人生の指標であることを私は心の底から分かっています。私は、必ず基準を満たした大法弟子として確固として進んでいきます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/25/426074.html)
 
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