師父を信じ法を信じ 高齢の学習者は虚像に惑わされず
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文/中国の大法弟子  同修代筆

 【明慧日本2021年8月29日】私は今年84歳になり、法輪大法を修煉してすでに23年が経ちました。この20数年間、師父に見守られながら歩んできました。私は元々読み書きができませんでしたが、偉大な師父と宇宙大法は、私に読み書きをさせてくださり、貴重な『轉法輪』を読み通すことができただけでなく、更に正法時期の大法弟子にして下さいました。私は、なんと幸運なことでしょう。私は無学だったので、奥深い法理を悟ることができませんが、しかし、大事なときには師父が私を啓発して下さり、守って下さいました。長年、私は「信じる」のみに頼って修煉してきました。どのような困難に遭遇しても、師父と大法を固く信じていたからこそ、今日にまで至ることができました。

 4年前の80歳の時、ある日下半身から出血しましたが、量は多くなく、生理だと思っていました。なぜなら、師父は「また、年配の女性には再び生理が来る人もいます。性命双修の功法には、経血の気で命を修める必要があるからです」 [1]と説かれました。ですから私はとても嬉しくて、自分の修煉は順調に進んでいると思いました。

 しかし、10日経ってもまだ出血が続いていました。あるときは多く、あるときは少なく、そしてすべての色が異なり、赤や黒はもちろん、緑やピンク、そして淡い赤の塊もあって、本当にカラフルになっていました。それでやっと何かおかしいと感じましたが、痛くも痒くもなく、ただひたすらこの症状があるだけで、量も多くなく、これは修煉者にとっても普通なのではないかと思いました。どこか自分はしっかりと修めておらず、法に沿っていなかったため、誤った状態が生じているのではないかと思い、すぐに内に向けて探しました。

 私はいくつかの良くない人心を見つけ、それを大法の法理と照らし合わせて、発正念をして取り除きました。また、私を迫害しようとしている邪悪な悪魔や邪霊を取り除くために、強い正念を発して、旧勢力の按排や迫害を完全に否定しました。それで、しばらくは良かったのですが、数日後また同じことが起こり、また発正念をし、再び取り除き、また数日良くなる。ずっとこのように何度も繰り返しました。

 私は虚像に惑わされません。師父は「あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」 [2]と説かれました。

 「煉功者は病気がなく、すべては病業の虚像である」と私はこの一念に定めました。同時に、自分の修煉のレベルを上げる機会と見なし、体を浄化してくださるのは師父であり、修煉の状態が良ければその分悪いものが少なくなり、状態が悪ければ悪いものが多くなります。4年経っても、この状態が続いていて、今に至っています。これは病気ではなく、師父が守ってくださると確信しています。私は師父に自分を預け、逝くか生き残るのかは師父の判断に委ねます。良くなる時は自然に良くなるのです。私は、師父から与えられた3つのことを、より良く行い、それこそが自分のやるべきことです。

 病気で業力だらけの私を地獄から引き上げて下さったのは、慈愛に満ちた偉大な師父であり、私の業力を背負い、体を浄化して下さり、私たちに「法輪大法の弟子」という神聖な称号を与えて下さいました。すべての衆生を救うことは、師父が私たち大法弟子に求められていることです。師父に言われたことは何でもやります。

 私は基本的に、午前中に法を学び、午後から人を救いに出かけ、あるいは至近距離で発正念をします。時には娘同修と一緒に行き、娘は真相を語り、私は発正念をし、時には真相資料を配り、真相ステッカーを貼り付けます。人を救うために何かをしたいと思うとき、あらかじめ師父にお線香をあげて、弟子の正念を加持して頂き、自分の空間場のすべての邪悪な存在や要素を取り除いて頂きます。

 ある年の冬、私はチラシを積んで配布に出かけました。雪が降っていて、地面がとても滑りやすかったので、歩くときは気を付けていました。私はいつも建物の上階から下階へ資料を配布していたのですが、2階に着いたとき、誤って足を踏み外して、階段から転がり1階まで落ちてしまいました。音はかなり大きかったですが、私は「部屋の中の人に気づかれないように、早く立ち上がろう」と思いました。その時、まだ配布していない資料があり、私は自分の身体も気にせず、すぐに起きて次の場所に行き、すべての資料を配り終えました。家に帰ってから転んだことを思い出し、手足を動かしてみても、どこも痛くはなく、何ともありませんでした。80過ぎの老人が階段を転がり落ちても、どこにも痛みがなく、怪我をしていなのは驚きです。私は感激のあまりに、師父の写真の前に行き、再び弟子を守って下さった師父に感謝の気持ちを込めて合掌しました。弟子の魔難はすべて師父が背負って下さいました。私の一歩一歩の行動は、必ず師父の守りがあって、いつも師父に見守られていることを知っています。弟子は3つのことをしっかりとやり遂げ、さらに精進して、最後の修煉の道を歩んでいきます。

 「師を探して、幾多の年  ある日やっと、自ら見るを得る  法を得て、修して引き返り 圓満し、師に随いて還る」 [3]

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』
 [3] 李洪志师父の詩:『洪吟』「縁は聖果に帰す」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/11/426463.html)
 
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