「正念を発する内涵を変えてはならない」での悟り
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年9月3日】明慧編集部が発表した「正念を発する内涵を変えてはならない」を拝読した後、私は内に向けて自分の不足を探し、また同修との交流を通じて、発正念について理解を深めました。

 先日、地元のある同修が明慧ネットに設置している私書箱から一通のメールを受信しました。メールの題は「至急、香港とマカオのために発正念してください」で、文末の署名は香港法輪佛学会で、文中、黒い太字で「発正念内容:香港とマカオの大法弟子が衆生を救い済度することを破壊するすべての邪悪を一掃し、含まれないものはなく、漏れるものはありません」と書かれていました。彼はプリントアウトして学法の時に持ってきました。皆は問題ない、発正念するように協力すべきと思いました。学法が終わってから、今日来ていない他の同修たちに知らせるために、皆はその発正念の内容を紙切れに書き写して持って帰りました。

 帰ってから私はパソコンをすぐに開いて、ちょうど明慧編集部が発表した「正念を発する内涵を変えてはならない」を見ました。拝読してから、いろいろ考えました。

 このような現象、つまり「どこどこの誰々のために発正念する」ということは多く存在しており、恐らく私の故郷だけでなく、他の地域にも存在していると思います。依頼された発正念の内容は、その都度内容が違って、地元の同修は誰も反対したことがなく、皆が慣れて、常態になっており何も考えなくなっています。

 しかし明慧編集部はわざわざ「正念を発する内涵を変えてはならない」を発表してすべての修煉者に注意喚起をしました。どうして明慧編集部に注意喚起をされる前に、修煉者として我々はその問題に気づくことができなかったのでしょうか。何かあった時に、慣れたやり方を以て続行するだけで、「慣れたやり方」を評価基準にしてしまい、大法を一番に優先しておらず、大法を評価基準にしていません。

 昨日は同修と交流しながら「正念を発する時の要領と全世界同時に正念を発する時間について(更新)」を探し出して読みました。私は決して発正念の内涵を変えたくないのですが、発正念の内涵とは、いったい何でしょうか。発正念の「内容」といえば、「正念を発する時の要領と全世界同時に正念を発する時間について(更新)」には「大法を破壊するすべての邪悪を一掃し、すべての黒い手と卑しい鬼を解体し、共産党邪霊のすべての要素を取り除き、これらの他の空間にある最後の妨害を一掃し、含まれないものも、漏れるものもありません」と書いてありますが、「至急、香港とマカオのために発正念してください」のメールには「香港とマカオの大法弟子が衆生を救い済度することを破壊するすべての邪悪を一掃し、含まれないものはなく、漏れるものはありません」と書いてあります。ほんの数文字の違いですが、前者は李洪志師父が説かれた大法であり、後者はそうではありません。後者には、発正念の内涵を持っていなくて、却って発正念の内涵を変えてしまいました。もしこのような状況が広範囲に現れたら、大きな問題になるのではありませんか。

 正念を発して大法を破壊するすべての邪悪を一掃することは、私たち一人一人の大法弟子としての使命と責任であり、特定の誰かを助けるというような狭い意味の問題ではありません。発正念をする時は、神通力を駆使して、別の空間で大法を破壊する一切の邪悪を消滅しています。これは偉大な師父が私たちに与えた能力であり、大法に符合する時だけ、はじめて神通力を動かすことができます。それでは、どのように神通力を動かすのでしょうか。師父が賜った発正念の訣を守って、大法の力も加えれば、十分に神通力を動員してすべての邪悪を一掃することができます。我々が持つ神通力は師父からの賜物であり、当然に、除去すべきものを除去してくれるのです。

 特殊な場合、例えば現在の香港問題に対して、私たちにその一念さえあれば、発正念をする時、私たちの神通力はきっと邪悪を一掃するので、それは本当に「含まれないものも、漏れるものもありません」今、多くの邪悪が香港・マカオに集中していますが、私たちの神通力はもちろんするべきことをします。一方、発正念をする時に心の中で多くの内容を黙読すると、一つは、発正念の内涵を変えてしまうことになって、もう一つは、人為的に我々の神通力を妨害し抑制することにもなると思います。

【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/28/428772.html)
 
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