真実を明らかにする話し方と記事を書く事
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年10月3日】最近、私が法輪功迫害に関する記事を書いた経験を皆さんと共有したいと思います。それにより、私の理解が修煉者の助けになり、私自身がさらに精進できる事を願っています。

 私は、面と向かって真実を語るにしても、文章で真実を語るにしても、取り除けなかった執着が文章の行間や声のトーンに反映されることに気づきました。

 自尊心に執着していると、大げさで気取った文章になってしまうし、焦りや緊張があると声のトーンが不快になることもあります。

 私は、文章の表現や口調には、私たちの修煉の状態や領域が反映されることを学びました。すべての思考と行動は、私たちの修煉がしっかりしているかどうかを表しており、真・善・忍にどれだけ同化しているかを示しています。

 もし私たちがしっかりとした修煉をし、高い道徳観を持っていれば、人に対して謙虚に、そして分別を持って話すことができます。話すことや書くことが人に理解され、説得力のあるものになります。

 以前、私の知り合いの子供達と食事をした際に、私は真実を明らかにしたことがあります。私はたくさん話して「あなた達のためを思って言ったんだよ 」と言いました。その時、私はカンタロープ(メロン)を食べようとしていましたが、それがテーブルの下に落ちてしまいました。これは師父からのヒントだと思いました。私は、人の為に何かをするという、心の領域に到達するにはほど遠い状態だったからです。

 もう一つ、こんな話があります。私はある修煉者と一緒に法輪功の真実について人々に話したことがあります。この学習者は、調和のとれた話し方ができませんでした。彼女の声のトーンは不愉快で、聞いている人の顔をしかめさせていました。

 私はこの修煉者に「ほら、あなたが話すとみんな顔をしかめたけど、もう一人の修煉者が話すとみんな笑顔になったでしょう。それは、言葉に込められたメッセージが、私たちの態度や行動に反映されるからです」と話しました。

 私たちは、しっかりと修煉し、あらゆる機会をとらえて、執着や妄想、愚かさを排除しなければなりません。そのような状態になって初めて、人々は真実を受け入れることができるのです。また、自己への執着を取り除けば、人を救う効果はたいてい良いものになることがわかりました。逆に、自分の利己主義が残っていたり、完璧を求める根源的な執着心が残っていたりして、他の人は気づいていないと思っていても、真実を語るときには、それらのメッセージがすべて自分の言葉になって出てきます。

 文章を書くときには、推論が大切だと思いました。例えば、記事を書いて真実を伝えようとしたとします。そのためには、プロとしての自覚を持ち、文化的なリテラシー(適切に理解・分析し、記述・表現する)を身につける必要があります。伝統文化の知識は、真実を明らかにする記事を書くのに大いに役立ちます。中国や世界の伝統的な文化や歴史を体系的に理解していないと、記事を書くのは難しいでしょう。

 最近、伝統文化を学ぶ時間が増えてきたので、時には修煉の妨げになるのではないかと心配していました。しかし、伝統文化を読む目的は、真実を明らかにするためであることに気づきました。また、私たちのエネルギーフィールドと法が妨害を浄化してくれるので、私に問題をもたらすことはありません。

 法の導きと、法理の悟りによって、時々、私の文章や言葉遣いは、自然なリズムがあり滑らかで、上品で力強くなります。

 私の文章はまだ完璧には程遠く、排除すべき執着がたくさんあるので、精進することを自分に言い聞かせるためにこの記事を書きました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/7/430533.html)
 
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