真面目であることは正しいことでもあり、間違っていることでもある
■ 印刷版
 

文/米国の大法弟子

 【明慧日本2021年10月26日】私は若い頃から「真面目」な人間でした。真面目に勉強し、常に良い成績を収めていました。卒業後は仕事を見つけて一生懸命に働きました。10年以上も中国で働きましたが、信仰のために迫害されることもありました。会社の政治的指導者たちは私に辛い思いをさせましたが、技術的指導者たちはしばしば私を保護し、安定した仕事と法輪功迫害の真実を明らかにする環境を与えてくれました。

 そして、私はアメリカに来ました。私は、特に個人的な修煉や、法を実証するプロジェクトに参加する際には、「真剣であること」が常に正しいと考えています。私は自分の仕事に真剣に取り組み、同修にも同じ態度を求めました。

 先日、私は重大な心性の試練に直面しました。なんとか、20年間の修煉の道を経て、合格することができました。表面的には順調に合格したのですが、考えてみるとなかなか難しいものでした。自分の心の中を見てみると、保身や虚栄心にこだわっていました。しかし、問題の根源を発見したとは思えず、もっと深く掘り下げなければならないと理解しました。

 この行動の原因を探ってみると、「真面目さ」に原因があることが分かりました。私が問題を深刻に考えすぎたために問題が発生したのです。過去の小さな衝突を振り返ってみると、どれも私が物事に真面目に取り組みすぎたことが原因でした。

 私が担当していた大法プロジェクトは、数字や文字の一つ一つが重要な意味を持つ面倒なものでした。誰もが細心の注意を払わなければなりません。しかし、人間には間違いがあります。同僚が数字を間違えてマーキングすると、その間違いが私の仕事にも現れます。私はよく、ミスをした人を率直に批判しました。事の重大さを理解していない修煉者がいれば、私は怒って、関係者に判断を仰ぐこともありました。

 この時、私はほとんどの場合、今後同じようなミスを繰り返さないように、お客様や衆生に対して責任を持つべきだという理由で、ミスを直接指摘します。 同修が受け入れてくれないと、時折、焦ってしまい、焦ると相手に押し付けるようになり不親切な発言をしてしまいます。 理由としては、仕事は慎重に行うべきであり、人を救うことに関わることであることは言うまでもなく、ミスは極力避けるべきであると考えたからです。 そこで、自分の「真面目さ」という定規を持って、他人を厳しく測りました。 良い点は、同修が私に寛容であることと、皆で作業工程を標準化しているので、ミスをする確率がどんどん低くなっていることです。

 今、その過程を振り返ってみると、「真面目」という言葉の半分は正しいことであるが、残り半分は間違っていることでもあるということに気がつきました。 しかも、自分の基準である「真面目」を他人に押し付けており、それは間違いでした。

 チームのメンバーは、生まれ育った環境も性格も違います。育児中であること、オフィスワークの経験がないこと、英語が堪能でないこと、年齢、複数のプロジェクトを兼任していることなど、それぞれが困難を乗り越えてプロジェクトに参加しているのです。しかし、私は彼らの困難を考慮せず、常に自分の基準を相手に求めていました。私は、自分のエゴへの執着と思いやりのなさを知りました。

 師父はこう説かれました。

 「実は大法弟子として、こういう時、念が正しければ、修煉のこと、責任のこと、しっかり行うべきことを考えれば、不完全だと思っている部分を黙々と補うべきです。これこそ大法弟子が行うべきことです。もし大法弟子が皆、このようにすることができれば、いかなることも順調に進められます」[1]

 「これらのことを重く見ることなく、目にした不足を黙々と良くすることができれば、神々は敬服しきれません。この人が本当に素晴らしいと言うのです! これこそ、大法弟子が行うべきことです」[1]

 一方、私は、共同仕事の不完全な部分を補うこともしていましたが、それを大げさにやっており、常に他人を変えたいと思っていて、師父の説かれた「黙々と」を成し遂げていませんでした。今後は、目についた小さなミスは静かに修正し、間違いやすい場所はより注意を払うようにします。

 もちろん、重大なミスがあった場合には、チームの皆が学び、改善していけるように、話し合いの場を設けていきたいと思います。しかし、このような問題を提起するときの口調や態度には気をつけたいと思います。私はもう、責めたり批判したり、自分の目標を達成するために他人に押し付けたりしません。そうではなく、思いやりを持って問題に冷静に対処し、プロジェクトと同修のために責任を持って発言していきます。それができれば、私は自分の修煉に本気で取り組むことができるのです。

 今では、自分の執着の根源がわかり、安心しています。過去、私の「真面目さ」に傷ついた修煉者の方々には申し訳ないと思っています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「更なる精進を」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/10/430645.html)
 
関連文章