大法弟子が直面している苦難について考える
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2024年12月11日】 今日、大法弟子は、大法のメインプロジェクトの責任者の大法弟子も含めて、 学習者内部から生じた魔難に直面しなければならない可能性があります。関難の中にいる本人達にとって、なぜ自分がそのような扱いを受けているのかについて、理解できないこともあり、自分が問い詰められているような気さえするかもしれません。

 実際に何が起こっているのでしょうか?  大法弟子たちは法が三界を正す時期に切り替わる前に、残っている業力をなくさなければならないということです。 私たちが法から、業力を消滅させる方法には大きく分けて二つあり、筋骨を労することと心志を苦しめる事です。真の大法弟子である私たちは皆、肉体の業力の大部分は師が背負ってくださったと知っています。 師に従って法が三界を正す中で、師が法を正すことを手伝い、衆生を救うために師を助け続ける時に、私たちは清らかな身と心でなければならず、そうすれば奇跡が現れるのです。 これは今日の法難の中で起きたすべてのことを招いたのです。

 もし今日、学習者たちから生じたこのような魔難を、単に矛盾として扱う人がいれば、乗り越えることができないかもしれません。

 また、プロジェクトについて、特に師父が定められた重要なプロジェクトは、それ自体が基準に達していなければなりません。

 師父は、「実は、最後に救い済度される生命、組み立て直されたすべては私が手に入れたいものではなく、または基準に達していなければ、やり終えても無駄であり、消滅させなければなりません」 (『各地での説法十一』 「二十年説法」)と説かれています。

 では、私たちは長年これらのプロジェクトにおいて、何か間違ったこと、あるいは十分に正しくないことをしてきたのでしょうか。 その過程でも正さなければならないのではないのでしょうか?  私の考えでは、大法のメディアが経験する魔難は、涅槃における死からの復活の過程のようなものであり、大法に適合しない古いものの死と、大法に適合する新しいものの再生でもあるのです。

 大法弟子たちが次のステップにうまく進めるかどうかは、今が極めて重要な時であり、この過程において、外因に着目している者は最も愚かです。 修煉者は本当に「不公平」な扱いに遭遇することはなく、どんな不公平も原因があって、業力によって引き起こされるものです。 相手が自分の心を向上させ、業力を解消するためのプロセスにおいては、相手の悪い一面が自分の悪い一面と対峙するのに利用することでなければならないのです。親切で公正な振る舞いをする人が、あなたに魔難を与えることは決してありません。

 大法弟子の皆さんはお互いに励まし合い、支え合い、正念を強めて、不平不満な恨む心を捨て、口をよく修め、人類史の大転換が起きる前夜に大法弟子がなすべきことを実行したいものです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/2/485579.html
 
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