プロジェクトに入り、離れる中で執着を取り除く
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2024年2月2日】

 一、同修と共に精進する

 3年前、同じ煉功の同修であるAさんに病業の仮相が現れ、修煉状態を整えるために私の家に来たいと言われました。当時、私は自宅で大法を実証するプロジェクトに取り組んでおり、時間の余裕があったので、同修を受け入れました。

 同修が来てから、私たちは毎日一緒に法を学び、煉功し、正念を発しました。同修は大きく変わり、みるみるうちに毎日変化してきて、状態もどんどん良くなっていきました。私は同修のことを嬉しく思うと同時に、大法の偉大さと素晴らしさを改めて目の当たりにしました。

 同修は1カ月以上滞在した後、自分は元気になり、家に帰って家族の世話をするべきだと悟り、自分の家に戻りました。その時、私は同修と精進している環境が非常に良いと感じていましたが、なぜAさんに病業の仮相が現れたのかについては、交流の中で触れたことがありましたが、Aさんは過去のことを話したくなかったので、詳しくは聞きませんでした。プロジェクト内でトラブルに遭ったようで、難の中にいる同修は大変だろうということは理解していたので、それ以上人為的にプレッシャーをかけてはいけないと思いました。

 今思えば、自分の心も動揺したことがあります。同修がもし関を乗り越えられなかったら、修煉者ではない同修の夫や子供にどう説明すればよいのか、心配していました。 後になって、これは師父や法を信じていないこと、責任を取ることを恐れていることの表れであることに気づき、これらの良くない人心を見つけたとき、それを取り除き、正念を強くしました。

 当時、中共ウイルスの蔓延により、多くの活動が中止されましたが、公園内の煉功は制限されておらず、法を学び、煉功し、同修と交流することができ、向上が非常に速いと感じました。法に溶け込むことができて本当に幸せです。

 二、プロジェクト進出する中で執着を取り除く

 それから間もなく、私のプロジェクトの協調人が突然、チームの解散を発表しました。私はこのプロジェクトで数年間活動していましたが、このチームは真相を伝える上で非常に大きな役割を果たしており、できることはたくさんあると思いました。 ただ、チームメンバーは全員常人の仕事を持っているため、仕上げたニュースの数は限られています。 突然の解散で少しショックを受けました。 それから間もなく、このチームで私とよく協力していた同修が、「新しいグループが設立されたが、あなただけがメンバーに入れなかった」と告げました。

 この件は私に向けられたものだと理解しており、これは修煉の機会であり、自分は心性を守らなければならないと思いましたが、その時はやはり不平不満がありました。このプロジェクトに多くの時間と努力を払ったと感じ、まったく分からない状態から少しずつ分かるようになり、雑務から働き始めて、徐々に素材探しをし、取材、執筆、ナレーションまで、途中でたくさんのことも我慢してきましたが、このような結果になるとは予想していませんでした。 そこで私は、「もし協調人に理由を尋ねると、他の同修が巻き込まれることになるかもしれず、自分の心性を把握できない可能性もあり、協調人と衝突するのではないか」と心配して、黙って何も言いませんでした。しかし、心の中では放下できていないので、平静ではいられません。

 私は内に向けて自分自身の問題を探しました。貪欲で、参加したプロジェクトを手放したくありませんでした。一年中、複数のプロジェクトで忙しくしており、各プロジェクトの私たちに対する要求が高くなるにつれて、自分はすでに力不足と感じました。しかも、一部のプロジェクトによってはフルタイムで働く必要があり、そうでないと業界のプロレベルに達するのは難しいのです。以前、協調人から指摘されたのは、記者としての質問力不足、論理的思考力不足、文章が魅力的ではない、などの欠点がありました。これらの欠点はすべて私の課題であり、本当は改善したいのに改善できず、場合によっては病業の仮相が邪魔をすることもあります。時間が経つにつれて、チーム内には常に道徳感が合わないという危機感が生まれました。この観点から見ると、プロジェクトを離れることは私にとって良いことであり、落ち着いて法をもっと勉強することができます。

 師父はこのように説かれています。「大法弟子のプロジェクトに関わっているとしても、天上にはテレビ局もなければ、神は新聞も読まず、すべて常人社会の形式です。あなたは正念で自らを指導することができず、大法弟子らしく修煉者の基準で自ら、世界そして相手を量ることができなければ、あなたは常人と同じです」(『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」)

 法と照らし合わせて、私は恥ずかしく思いました。師父は私に大法弟子のように、仕事をすることへの執着やプロジェクトへの執着を捨てなければならないと何度も悟らせてくださいましたが、法理上から考えると、理解しているように感じますが、自分には多くの執着心があることを認めたくないのです。また、衆生を救うことを言い訳にし、法を正すことが終わる時間に執着し、法を正す進展についていけないのではないかと恐れるのも、すべて人心で法を正すことを見ているのです。

 今回の関を乗り越える過程で、私の良くない考えは何度も湧いてきました。ある日、煉功場で煉功を終えた後、また怒りの感情が湧き上がり、自分が受けた不当な扱いについて興奮して話したら、隣に座っていたAさんが「若い人たちにやらせていいと思います」と穏やかに言いました。 その時、夢から覚めた私は、「自分はなぜこんなにも恨んでいたのだろう?  より有能な新しい同修がチームに参加すれば、プロジェクト全体にとって良いことになるのではないか? どうしてこれほど利己的な考えが生じたのだろう?」と思いました。同修の状態は自分に見せたものであり、修めるものです。修煉の道には偶然な事はなく、自分が見えた以上、法の要求に従って自分の言動を正さなければなりません。

 その後、私は自分の心を正しく保ち、法を実証することが基点であり、自分自身を実証することではないことに徐々に気づきました。プロジェクトにいることは修煉であり、プロジェクトに参加しなくても修煉することもできます。修煉者として常人の中で放下できないものは何もなく、重要なのは、この出入りする過程で多くの執着を取り除くことができ、向上したということです。

 師父に感謝いたします! 無私に助けてくださった同修に感謝します。

 以上は現段階での私の個人的な悟りですが、もし法に則っていないところがあれば、慈悲にご指摘してください。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/1/24/471259.html)
 
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