文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年1月28日】以前は、自分には焦る心はないと思っていました。たまに焦ることがあっても、状況によってそうせざるを得ないという、とても合理的な口実を見つけていました。この焦る心の存在を認識し、修めて取り除くべきだということを考えたことがありませんでした。
これは、知り合い(常人を含む)と、のんびり屋で公認の同修Jさんと旅行に行ったときの話です。 出発前、心の中では「のんびり屋は大したことない」と思っていました。
空港へ向かう約束の時間に待ち合わせするため、出発前夜にJさんに時間通りに集合するようにと念を押し、了解の返事をもらいました。私は 荷造りを終えて安心して就寝しました。
翌朝、約束の時間が迫る夜明け前、私は集合場所に急ぎました。予想通り、Jさんはまだ到着していませんでした。 始発のバスの時間が迫っている中、「Jさんを待つかどうか、Jさんの電話番号は家に置いて来てしまったし、こんなに早く他の人に迷惑もかけたくないし、約束をちゃんと守ることはできないのか? 私はJさんに教訓を教える必要がある」と心の中で少し不満が生じました。 そして、私はJさんを待たずに、予定通り空港行きの始発バスに乗り込みました。
「Jさんが私に会えなければ、私が先に出発したと予測できるに違いない。Jさんなら、空港まで高くても早く着くタクシーを選ぶこともできるだろうし、少なくとも搭乗ゲートで私と合流ができるはずです。 旅が始まって間も無く、遅刻するなんて、この先はどうやって旅を続けられるだろう? 」と私は心の中でつぶやきました。
結局、Jさんと私は空港で合流しました。Jさんは非常に申し訳なさそうに、朝は早起きしたが、あまりに多くの荷物で、スーツケースの荷造りが10分以上かかり、遅刻し、集合場所で私を見かけなかったので、きっと私は先に出たと思い、始発の次のバスに乗ったと私に説明しました。 その遅刻理由を聞いて、私は心の中で「 Jさんにとって荷物をまとめることが重要で、遅れるのは気にならないのだ、なぜ荷物を減らしておくことを考えないんだろう」と呟きました。しかし、自分を修めなければと考え、上辺では私は我慢しました。
その後の数日、私たちはほとんど、全ての予定において、時間通りに出発できませんでした。ほとんど私は、Jさんの荷造りを待ったり、彼女の勤め先の会社から送られてきたリモートの仕事が完成するまで待たされました。 もちろん、Jさんの仕事の状況や旅の気分に影響を与えないように、私はほとんど不満を心の中でつぶやくだけで、自分の胸にしまっていました。旅先のこんな毎日がずっと続いたある日、ついに Jさんが昼まで忙しくしていて、昼過ぎ、ようやく出掛けられました。私たちは半日ホテルで過ごしました。
その2日間、Jさんは夜を徹して働いていました。Jさんは大変なんだと不憫にも思いました。 彼女がそこで原稿を書いている間、まとまった時間ができた私は、傍らで落ち着いて法を勉強することができました。
法を学んだ後「なぜ焦っているのか?」と自問しました。 答えはこうでした。「時間を約束したのだから、約束は守るべきであって、それも真の現れだ。約束は約束だし、何度も約束を破るのは非常識だ。いや、それは焦る理由にはならない。問題の根本はまだ見つかっていない。では、何が理由なのか? 本当にJさんの呑気な性格が原因なのか? そうではない。 予定通りに出発していれば、観光や、ショッピングなど、計画していたことをすべてこなす時間があったからだ。 私はJさんのことなど考えず、自分が計画した日程をこなすことしか考えていなかった。なんと自分勝手なことだろう! 観光を減らしたり、買い物を減らしたりすることは、知らず知らずに私の欲望を減らしているのではないだろうか? それは良いことではないか!」。 Jさんはのんびり屋の性格を利用して、私の長年取り除けなかった執着を晒したのだと気づきました。
一瞬にして、私の心は悟りました。 師父の巧みな按排のおかげで、私は自分の焦りの背後にある利己心に気づくことができました。
自分の利己心に気づくと、その後旅の中、私の心はリラックスし、焦りもなくなり、心の中でつぶやくこともなくなり、辛抱強くJさんを待ちました。Jさんが荷物をまとめるのを手伝うこともありましたが、そばで手をこまねいて待っていても、Jさんに自分でやらせることの方が多かったのです。それは、Jさんが今回の旅を通して、手放せないものが多すぎることに気づき、自分の執着を内から見つけて直してくれるだろうと思ったからです。
驚くべきことに、今回の旅では、Jさんと私はまるでギリギリセーフの2人組の達人のようでした。あと数分遅れで乗り遅れる場面にも何度か遭遇しました。全てのスケジュールに沿って進む事は緊張の連続でありながらも、こなす事ができました。
スーツケースを閉めようと、もがくJさんを見るたびに、私は「自分には取り除いていない精進を妨げている執着という重荷がないか」と内側に目を向けて探しました。
旅から戻ってきたJさんは、無駄なものをたくさん持っていきすぎたことに気づき、次回は荷物を「引き算」すると反省しました。Jさんの母親も、Jさんは以前、自分の言うことを聞き入れなかったが、今回戻ってきた時、彼女は変わる必要があることに気づき、これから彼女自ら修煉を実践していくだろうと話しました。
師父は「強制しても人の心は変えられない」(『精進要旨(二)』)と説かれました。 私は自分の直すべき、利己心を見つけた、Jさんにとっても彼女が直すべきところを見つけたことを喜ばしく思いました。
もちろん、私達にはまだまだ修めて、取り除かなければならない人心はたくさんあります。
師父、ありがとうございます、ありがとう、Jさん。