大きなことを成し遂げることに執着する学習者について
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文/中国の大法弟子

  【明慧日本2025年3月30日】最近、私は明慧ネットの記事『常識』と明慧編集部の『通報』(2025年2月6日)を読んでの感想を述べたいと思います。

 1999年7月20日以前に法輪大法を修煉し始めた修煉者の中には、「大きなこと」をすることを好む人がな威徳を持っていると思っているかもしれません。

 他の人たちは、自分たちのプロジェクトは師父から受けた「ヒント」によって認可されたと主張しています。例えば、ある学習者は、師父が種子の研究を認可し、それが法に記されている「未来の食べ物」になると思ったと述べています。

 学習者の中には、明慧ネットや正見ネットに掲載されている記事の大半は法にそぐわないため、自分のウェブサイトを立ち上げて、明慧ネットや 正見ネット のすべての体験談記事を審査したいと語る者もいます。彼らの目標は私たちの修煉を向上させることだと彼らは言いました。また、自分は「中国全土の人々を救った」と言う者もいます。また、釈迦牟尼がインドで生まれたため、将来、大法弟子の「主体」はインドに置かれるだろうと考える人もいます。

 修煉者の中には、主に自尊心が強かったために、中国共産党から何年も迫害されてきた人もいます。彼らは目覚めなかっただけでなく、修煉が向上したと感じているので後悔していないと言います。つまり、迫害され投獄されたことに感謝しているのです。そうでなければ、彼らは十分に修煉できなかったのでしょう。

 ある学習者・章さん(仮名)は私にこう言いました。「1999年に迫害が始まったとき、私は法によって、法を正す時期に自分が参加するかどうかを選択できることを悟りました。もし私が1999年以降、法を正す時期に参加しないことを選んでいたら、あなたたち二人も法を得ることができず、法を正す時期の学習者にもなれなかったでしょう」

 章さんの言ったことは法に反していましたが、彼はそれに気づいていませんでした。章さんが他の学習者と私に法輪大法を紹介してくれたので、私は彼をとても信頼していました。私が修煉を始めたとき、法についてあまり知らず、どのように修煉したらよいかも知りませんでした。その後、いくつかの問題に遭遇し、彼の言ったことは法に反していると感じたとき、私は状況の厳しさを理解し始めました。

 師父はこう説かれました。

 「智慧の大きい生命であればあるほど、自分が偉いと思っていますが、智慧の大きい生命であっても自分の次元において自分に見えない真相があります。法を正すことに生じた如何なる一念もその生命に大きな影響を及ぼします。その一念によって、各次元の衆生が法を正すことに対して罪を犯してしまうことになるため、その生命も法を正すことの中で罪を犯しています。いくら大きい生命であっても、皆この問題に遭っています。なぜならば、如何なるこの宇宙の生命も将来の宇宙に属していないので、いくら大きい生命であっても真相の根本を見ることができません」(『各地での説法二』「二〇〇三年カナダバンクーバー法会での説法」)

 師父はこう説かれました。

 「弟子:旧い法理と新しい法理の間に、重なる部分はあるのでしょうか?

 師:両者の間には大きな差異があります。根本的な問題は重なっていません。以前の基点は『自分』のためですが、大法が造った全ては『自分』に執着しません。いくらかの具体的な問題に対しての認識は同じです。善と悪の具体的な現れは基本的に同じですが、多くのものに変化がありました。生命は将来ますます美しくなります」(『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」)

 法から私が個人的に理解しているのは、旧宇宙の生命は皆、自分は「偉い」と思っているということです。しかし、新宇宙のすべては大法によって創造されたものであり、生命は自分は「偉い」と思っているのではなく、利己心がなく、他人を思いやる心を持っています。

 私は同じ問題を抱えている他の学習者に、それについて考えるようアドバイスしたいと思います。あなたの「悟り」(夢であれ、天目を通して見たものであれ)には、あなたが「偉い」という偽りの外観を拡大し強化すること以外に何が含まれていますか? 旧宇宙の悪い存在は、これらを利用してあなたの自我と「偉い」を強化し、最終的にあなたが修煉できなくなります。師父は、旧宇宙の存在を正し、無私で他者に奉仕する存在に変えておられます。

 師父はこう説かれました。

 「これは末後、修めていない人、嘘偽りの修煉をしている人、あまり真剣に修煉していない人を暴き出しているのではありませんか? これは末後、世の人を救っていると同時に大法の内部を一掃しているのではありませんか? 皆さんはこのように感じていませんか?」(『肝心な時に人の心を見極めている』)

 実は、よく考えてみると、この幻想の「偉い」は、この法を得るために数え切れない生涯にわたって耐え忍んできた苦しみと比べると、本当にそれほど重要なのでしょうか?

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/9/490563.html
 
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