違和感はすべて良いこと
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文/中国山東省の大法弟子

 【明慧日本2021年10月5日】 私は最近、人間の観念を変えて、違和感を良いことだと考えなければならないということに気づきました。

 師父は、修煉者の理は、常人の理とは正反対であると教えてくださいました。

 師父は「羅漢の次元に達すると、どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず、常ににこにこしています。どんなに大きな損をしてもにこにこして平然と笑っています。本当にそれができれば、あなたはもう羅漢の初級果位に達していることになります」[1]と説かれました。

 修煉の中で、違和感を良いことだと思うことができれば、常に平然と笑っているはずです。平然と笑うことができなければ、羅漢の初期段階にも到達していないのです。それがわかってからは、苦難を大切にしようと思いました。

 師父の詩です。「苦を嘗めるをもって楽とす」[2]

 私は毎日、人間の観念を変えなければならないと自分に言い聞かせています。見たもの、感じたもの、それが不快なものであれば、心の中では良いことだと思うようにしました。

 汚れた食器や鍋が洗い場に放置されているのを見て、「これはいいことだ」と思うようにしています。私は年を取っていますが、まだまだ元気です。私は小坊主のように、人のために役に立ったり、人の負担を軽減したり、すべての苦難に耐えることができます。こんなとき、私はただ皿洗いをするだけで、何の不満も感じることはありません。

 人間の様々な考え方や観念が残っているので、ときには体に違和感が出てくることもあります。そんなとき、この違和感はすべて良いことだと自分に言い聞かせます。そうすると、その違和感は長くは続きません。本物の修煉者である私たちは、あらゆる人間の認識を手放し、違和感を良いことだと考えなければなりません。そして、それは本当に心からのものでなければなりません。そうして初めて、人生の苦難に笑顔で立ち向かうことができるのです。

 大法の修煉で経験したすべての変化は、私が修煉を続けるための励みになっただけでなく、大法を実証するものでもありました。人々は、事実を目の当たりして、皆が法輪大法は良いものだと認めてくれます。

 法輪大法は、私に多くのものを与えてくださいました。師父の慈悲は無限です。師父への感謝の気持ちはとても言葉では言い表せません。師父、ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「苦其心志」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/16/429639.html)
 
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