新経文『猛喝』を読んで目覚める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年10月9日】私を救ってくださった師父に感謝いたします。私は師父の新経文『猛喝』を何度も読み、少し怖くなりました。しかし、私の修煉にとってタイムリーで注意を喚起してくれました。

 私はセルフメディアをしていませんが、この3年間、私の修煉の状態はよくありませんでした。仕事の上で手放せない執着心があり、職場でのトラブルをうまく処理できるときもあり、うまくできないときもありました。私はこの執着心を取り除くために、何度も文章を書いて交流しましたが、それでもうまくいきませんでした。

 ちょうど今日の午後、私はある場面に直面し、不快感を覚え、今にも体が爆発しそうでした。これまでは、少なくとも自分の中にある執着を探し出して取り除くことができましたが、今日のこの強い感情は悪魔に支配され、崩壊しそうで、どうすればいいかわからなくなってしまいました。

 同修が『師父の評注文章を学んでわかったこと』で書いています。「何かあったとき『不公平な扱いをされた、不当な扱いを受けた』と感じたことはないでしょうか? 自分の意見を言う機会がなく、我慢ができず、無条件に内に向けて探して心性を向上させることができず、それによって憤りを感じているのではありませんか」

 幸いなことに、ちょうど師父の新しい経文『猛喝』が掲載され、この問題をはっきりと指摘してくださいました。

 師父は『猛喝』の中で次のように説かれています。

 「このような人たちはいつも、心性上の執着を不満に変え、他の人に訴えうっぷんを晴らそうとしています」

 「あなたの不満を放下してください。それはあなたの執着です。口をしっかり閉じてください」

 「一部の人は大法を修煉する中で現れたトラブルをソーシャルメディアに公開し議論しています。これは大法弟子の歴史的使命に深刻に背く行為であり、大法弟子が命と引き替えに神と交わした誓約の厳粛さと神聖さを冒涜し、世の人の救いを得る希望を台無しにしています」

 本当にこの鉄槌は私を叩きのめしました。人と対立したとき、私はしばしば同僚に不満を表明し、それを正当化していました。私は法輪大法を修煉しているので、自分は寛大で相手を許すことができると思っていました。師父が新しい経文の冒頭で言及された修煉者たちと私の間にどのような違いがあるのでしょうか?

 幸いなことに、師父の助けを得て、私は自分の空間場をきれいにするために正念を発し、自分の思想の中の良くない考え、思想業、外部からの干渉を取り除きました。少しずつですが、落ち着いてきました。

 私はこの経文を読んで、法が私たち修煉者に対する要求がさらに高くなったと気づきました。修煉者同士でもお互いに雑談に夢中にならないように。法に基づいて交流し、やっと向上することができるのです。「修煉者の間では、法に則らないことは話す価値がありません」

 師父は『猛喝』の中で説かれています。

 「学習者の中で、法に則っていない話を口にしたりするなど、あなたにはその資格はありません」

 師父の新経文を読んで衝撃を受け、はじめて目が覚めました。私は師父に対して本当に恥ずかしくなりました。自分の修煉状態が良くないのに、どうして慈悲心をもって、人を救うことができるでしょうか? 私はそれをやり遂げたいと心から願っています。

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/6/430472.html)
 
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