しっかりと法を学び 人心を取り除いて法を実証する(二)
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2021年10月9日】(前文に続く)

 二、忙しければ忙しいほど学法を重視すべきである

 私たちの修煉の道は、師父によって按排されています。心が法に則っていれば、師父が按排される道を歩んでいる限り、すべてがバランスよく配置されているはずであり、求めずとも自ずと得ると思いました。

 私は仕事に執着していませんが、2回とも仕事が自動的に目の前に来たので、自然に任せて仕事に就きました。師父は私に仕事と三つのことの関係をうまく処理し、最大限に常人に符合するよう按排されたと悟りました。私は、真・善・忍の基準でしっかりと仕事を行い、自分の生活を確保するだけでなく、仕事と三つのことのバランスを取る過程で、多くの人心を取り除き、大法の素晴らしさと超常さを実証しました。

 私は結婚に執着しませんでしたが、自然に結婚できて、両親や親戚も気に入ってくれています。 師父の慈悲なる按排に感謝します。

 2015年から、チャイナタウンで真相を伝える機縁がありました。以来、私はほぼ毎日横断幕や資料、大きな看板と署名テーブルを引っ張ってチャイナタウンに行きます。土日のチャイナタウンは、観光客を含めて中国人や欧米人が多いので、いつも12時半頃にチャイナタウンで資料ブースを出して、中国人と西洋人の同修が一緒になって真相を伝え、夜7、8時頃に片付けます。月曜から金曜までは、チャイナタウンの通行量が少なく、同修も少ないので、だいたい午後2時頃に資料ブースを出し、夜7時半頃に片付けます。

 法をしっかり学ぶことは、最前線で真相を伝えることを続けられる保証です。仕事でプロジェクトがないときは、毎日2~3講の『轉法輪』を学んでいます。 毎回の学法の後には、体にエネルギーが通ったような感覚があり、正念と力があふれてきます。大法の力と師父のご加持がなければ、長く続けることは不可能だということをよく知っています。正念と長く続ける力は法から来ています。

 師父は、私が毎日チャイナタウンに行って人を救いたい気持ちを見られ、よりよく仕事と三つのことのバランスを取るよう按排して下さいました。私の仕事は、午前1時(冬時間)または午前2時(夏時間)に出社し、午前9時(冬時間)または午前10時(夏時間)に退社して、家に着いて午前11時の正念を発してから、食事を済ませ、それほど疲れや眠気を感じないので、12時半にはチャイナタウンに着き資料ブースを設置します。同修たちが忙しくないときは、片付けを手伝ってくれますので、私は夕方5時頃に帰ることができます。ほかの同修が来なければ、私は夕方6時頃に帰宅して、土日はいつも通りに真相を伝えることができます。

 仕事でプロジェクトがあるときは、1カ月あるいは3カ月くらい連続して仕事をしなければならず、収入もいいので自分に合っています。勤務期間中も、毎日チャイナタウンに行くので、1日に3〜4時間しか寝られず、とても忙しいです。同修たちは、私がとても苦労していると思っていますが、実際、私は全然苦労だと思っておらず、普段よりも精進している感覚でした。

 仕事のプロジェクトが始まると、このような勤務の状況下で三つのことをこなすためには、学法をもっと重視しなければならないと思いました。夜中の1時に出社するには、バスに乗るために夜中の12時に起きなければなりません。バスを待つ間、バスに乗っている間、降りて会社に向かっている間、私はずっと『轉法輪』を読み続けています。学法を重視する心の態様もあったかもしれませんが、その時の学法はいつもより集中して頭に入り、仕事の帰りにも学法をし、1講半、時には2講を読むことができ、寝る前にさらに『轉法輪』を読みます。このようにして、いくら忙しくても学法はきちんと保証できることに気づきました。職場で毎日1時間の休憩時間を利用して、四式の動功を行うことで、体がとても楽になります。このような状況は、大法の力と師父のご加持がなければ、3日も耐えられないと思います。自分の体験から、しっかり学法と煉功の重要性をいっそう実感しました。

 数カ月前、妻(同修)も同じ会社に入社しました。今では、出勤時には彼女が法を暗記し、私が法を読み、仕事の帰りには一段落ずつ『轉法輪』を読み、ともに精進しています。師父の慈悲深い按排に感謝します。

 コロナが流行している期間中には、制限対策が実施されたため、チャイナタウンに来る人はほとんどいませんでした。そこで、私たちはより積極的に効果的な人を救う方法を考えました。それは新聞や資料を配布することです。雨の日、風の日にもかかわらず毎日出かけ、多くの体験と会得がありました。

 ここでは、大法を実証する中で人心を取り除いた体験を紹介したいと思います。

 仕事が終わってから、同修と一緒にチラシを配りに行きました。12時頃に出発しました。その日に行った地域はとても特殊で、すべての家には地下があるため、小さなドアを通って2.5メートルの急階段を下りて、郵便受けにチラシを入れては、また上り、さらに上の住宅まで上らなければならず、また下に降りてくるという形を繰り返していました。このような住宅が、大通りのそばに次々と並んでいました。以前、チラシを配った時にもこれと似たような団地がありましたが、一つの通りだけに集中していました。その日の場所はとても特別で、以前ほど簡単ではありませんでした。

 その時、自分の考えは、正念と人心が入り混じっていました。正念とは、大法の力と師父の加持のおかげで、自分に良い体力を与えられていることです。 人心とは、このような住宅に配るのは、とても疲れるし、とても遅くなるし、もっと早く配りたい心と、疲れることに対して恐れている心がありました。

 最初は一つの通りだけだと思っていたので、自分の許容範囲内だったのですが、予想外に午後4時半過ぎまで配っても、そのような住宅ばかりでした。特に三つ目の通りを見て、すべて難しい住宅だと分かった時には、苦しみに耐えたくない心がどんどん強くなり、正念が弱くなり、もちろん身体もますます重くなり、全身汗だらけでした。

 そこで私は、「もし神がチラシを配るなら、どんな状態だろうか? それはきっと人心がなく、疲れもなく、軽やかな状態で配っているはずだ」と内に向けて探しました。その時、ふと自分の人心が出て来たことに気づき、すぐに発正念をして、「速さを求める心、面倒くさがりの心、疲れることを恐れる心」を取り除きました。それは本当の自分ではなく、偽りの自分であり、偽りの自分は疲れるはずだと気づきました。

 そして、自分の考えが変わりました。「これは良いことであり、衆生を救うと同時に、多くの業力を消去することができる」と考えると、私の身体の状態も突然変化し、先程まで疲れていましたが、今は足の疲れもなく、軽やかに階段を上ることが出来ました。

 師父の按排から、「人心が動じると、私たちの身体は三界内の法理に制約され、身体も心も苦しく疲れていると感じる」と悟りました。大法からの正念、即ち神の念が主導すると、私たちの身体は三界の苦しみの中にいても、神の考えを持っているので、身体も神に近い状態になるはずで、三界の苦しみはこのような身体を制約することができず、苦しんでいるように見えますが、実は法を実証する喜びを味わうことができるのです。

 いつものように夜に出勤しなければならなかったので、普段ならばこれだけ疲れているので、夜起きるのはとても辛いことです。しかし、今日はこの人心を変えたので、「今日これだけ苦労したのだから、大量の業力が消されて、身体が軽くなるはずだ」という一念の効果で、夜いつものように出勤しました。本当に疲れを感じなくなり、いつもより元気になっているのを実感しました。

 師父はこのように説かれています。「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」[2] 。この経験は、私にこの段落の説法をより深く理解させてくれました。師父の慈悲なる按排と苦心の救い済度に感謝します。

 学法を重視することで、使い切れないほどの力が得られました。人心を取り除く過程の中で、真の自分と偽の自分を見分け、大法に同化し、真に大法の粒子になることができ、法に同化することによって、法を実証することができます。法を実証する中で師父の偉大さと大法の無限の知恵と広大なる慈悲を感じました。

 慈悲で偉大なる師父に感謝いたします。 同修の皆さん、ありがとうございます。

 適切でないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「阻むこと無し」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/18/430884.html)
 
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