心が動じた背後は情である
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 【明慧日本2021年10月18日】時には修煉の中で出会ったことは、往々にして心が動じてしまうことがあります。心が動じたことは、つまりこの方面において良く修めておらず、どうして心が動じたのか、最近ずっと考えています。心が動じた根源は何でしょうか? この時、脳裏に「情」が現れて来ました。師父は弟子が修めたい心があるのを見て、悟らせて下さたのです。それは情に左右され、法に従って修めていないからです。

 私たちは三界の情に浸かっており、スポンジのように、水に入れると瞬時に水を吸収して、私たちの三界の身体もスポンジと同じで、ずっと情の中に浸かっており、但し私たちは修煉者なので、絶えず情を取り除き、つまりスポンジから水を絞り続け、取り除いた部分を慈悲で埋めていきます。

 修煉者として、情に左右されないようするには法をしっかり勉強し、法の力が加持してくれるので、慈悲が現れて来るのです。修煉の中で自分の周りの出来事に対し、最初の一念が肝心であるということを悟りました。

 師父は「自分が純潔で清らかだと言っている人がいますが、実はそうではなく、多くの雑念があり、後天的に形成した多くのものを持っています。あなたが思っている簡単な一念でも、その出発点、起因、付随してきたものまで不純であるかもしれません。修煉者は長期にわたる修煉の過程で一貫して強い正念を保持し、法を得た当時の心境、初期のときの純粋で清らかな心を保持することができれば、それは本当に素晴らしいことです。神もそれを見てあなたが素晴らしいと言うのです」と説かれました。 [1]

 師父の法に照らし合わせて、心が動じた原因を探してみると、それはきっと自分の利益に関わるものだと思います。その利益は目の前に感じただけではなく、違う空間の「私」の表れでもあるという気がします。なぜなら、心が動じた瞬間は、現実の利益をそんなに気にしていなかったからです。そしてその時に、空間場で映し出された一念は、自分自身の変異の思想であり、この邪念が、違う空間でまだ正されてない変異の生命に符合して、修煉の表面において、魔性に操られたのです。

 三界は修煉者が戻れる修煉環境であり、迷う空間でもあり、同時に情に満ちた空間でもあります。大法弟子はこの世に来て、師父の法を正すことを手伝い、衆生を救うのです。師父は宇宙の万事万物を作り上げ、また、宇宙の謎を解ける宇宙大法や情の束縛から逃れる方法を教えて下さって、そして修煉の中で絶えず情を取り除き、慈悲を修めるのです。私たちは学法をし続けて、修煉の過程で執着を取り除き、情に束縛される要素も少なくなり、心が動じる比率も少なくなります。

 以上は私の僅かな悟りであり、不適切なところがあればご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/15/432511.html)
 
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