文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年10月24日】私は80年代に生まれた大法弟子です。幸運にも2012年に大法の修煉を始めました。ここでは自分の修煉体験を同修のみなさんと交流したいと思います。
一、幸運にも学生時代に大法を得る
私は中国の有名な大学を卒業しました。修士課程のある日、Aさんが私の寮に来て「今、佛を修めているよ」と言いました。Aさんはそもそも有名なヤンキーで、煙草を吸い、お酒を飲み、ポルノ映画を見ていたので、彼が佛を修めていると聞いて、とても驚きました。
数日間、Aさんは毎日のように私の寮に来ていましたが、彼の変化にびっくりしました。もともとタバコを吸っていた彼ですが、数日間で煙草をやめました。
その時は私も怒りっぽくて、汚い言葉を口にし、嫉妬心が強く、よくポルノ映画などを見ていました。自分がとても悪い人間だと思っていましたので、自分を良い人に変えたいと思っていました。Aさんの変化に衝撃を受けた私は自分も修煉したいと思いました。そして、Aさんに「私も修煉したい」と伝えました。
それからの数日間、毎日のように「修煉したい」とAさんに伝えました。その都度、Aさんに「ほんとうですか?」と聞かれました。私は「本当です」と答えました。こうして、私ははじめて貴重な書籍『轉法輪』を読むことができました。一度読み終えた後、私は修煉することを決めました。
二、家庭の修煉環境を改善する、母が自ら師父の説法を聞きたいと述べる
修士課程を修了してから、私は他所で就職しました。心の中では、就職する前に自分が修煉していること、大法の真相を家族に説明しなければならないと思っていました。数日間考えた後、蒸し暑いある日の午後、私は両親に自分が大法を修煉していることを告げました。
その時、空では稲妻が走り、雷が鳴り始め、一瞬にして雨が土砂降りになりました。私が修煉していることを聞いた父は、最初は笑顔(後になって、その笑顔は父の分かっている一面の真心からの喜びだと気付いた)でしたが、寝室から出て行きました。その後、父はすぐに真剣な顔で寝室に戻ってきました。
それからの数日間、両親が交替で私に大法を諦めるように説得し、父は私に大法を諦めさせるために跪こうともしました。私は法を学び続け、師父にご加持を依頼しました。私の心には一つの確固たる考えがありました。ここで私が修煉を諦めたら、両親はどれだけの罪を作ってしまうのか。
その後、私は大法の素晴らしさを見せようと努力しました。実家の姉の経済状態が悪く、母の手術代のほとんどを私が負担したり、新居のリフォーム代や通常の生活用品の購入などすべてを私が一人で負担しました。休日に実家に帰ると、料理作りや皿洗いをしたり、家の中の農作業をわれ先にとやっていました。
そんな私を見た、親戚や友人たちは皆、私の両親に「まれに見るほどすばらしい息子さんですね、本当に親孝行をしてますね」と言ってくれました。
以前、私は両親に『轉法輪』を読むようにずっと勧めてきましたが、両親は読みませんでした。突然ある日、母から「あなたたちの師父の説教を聞かせて」と言ってきました。母の態度の変化を見て、私は大法の偉大さを実感しました。
三、同修の救援に参加する
ある日、私は夢の中で、ルームメイトの同修が慌てて電話を持って私の部屋に入り、同修・Bさんから緊急の電話がかかってきていると伝えてくれました。そして電話の中で同修・Bさんはとても焦っていました。そして、目が覚めました。
目が覚めてから、ルームメイトに「最近、同修・Bさんから連絡がありましたか?」と聞きました。ルームメイトの同修は、連絡がないと答えてくれました。その後、同修・Bさんとご主人(同じく同修)に電話をしましたが、一回目は電源が切れていて、二回目は電話に出なかったので、連絡が取れませんでした。
翌日、ルームメートの同修から、同修・Bさんのご主人から連絡があり、Bさんが資料を配布していたことが何者かに悪意を持って通報され、不法に拘束されていると聞かされました。
その夜、私はこのことを学法グループで共有しました。私たちは皆、朝の夢が師父からの悟らせであると認識し、すぐに同修・Bさんの救援を始めることを決定しました。
同修・Bさんは遠く離れた他所にいて、かつ住所も知らなかったので、同修・Bさんの所在地に行くことは不可能でした。まず最初に、自分たちが知っている基本的な情報を明慧ネットに投稿し、他に情報を知っている同修に協力を求めました。その次に、同修・Bさんのご主人が知っている情報が最も多く、まず彼に連絡を取ることが当面の急務でした。私は彼の連絡方法を持っていましたが、安全面から、自分の携帯電話から連絡することはできませんでした。そして、外に出て行き、携帯電話を借りて連絡することにしました。
初日の夜は、怖くて声も出せず、ずっと外を歩き回っていました。そんな時、彼女(同修)が師父の法「あなたに恐れ有らば 它は直に抓む 念を正にすれば 悪は直に崩れる」 [1]をもって励ましてくれました。
翌日に出かけた時、私は携帯電話を借りて、同修・Bさんのご主人に連絡を取ることができ、彼は私が住んでいるところに来てくれることになりました。同修が到着する前に、私は夜に道を横断していたところ、スピードの出た車に轢かれました。その時、背中や手、脚を強く押された感じがして、車は私の体をひきずって行き、10メートル以上走ってから止まりました。その時、体に少ししびれを感じましたが、動きには支障がありませんでした。
車から降りてきた運転手は、責任逃れをしようとしました。最初、私は腹が立っていましたが、師父の言葉を思い出し「大丈夫です。行ってください」 [2]と運転手に伝えて行かせました。残念ながら、その時は彼女に真相を伝えませんでした。
後になって、これは私が同修を救うことを妨害しようとした邪悪な企みであることに気づきましたが、慈悲深い師父は弟子のためにこの魔難を取り除き、この出来事を私の心性の向上に役立ててくださいました。
同修・Bさんのご主人が到着した後、私たちは次の救出方法を相談しました。最初ご主人は、邪悪を暴くほどの十分な正念を持っていませんでした。交流を通じて、彼は正念を持つようになり、邪悪を暴くことを決意しました。
私は、主な連絡手段として、同修・Bさんのご主人のために明慧ネットのメールアドレスを申請してあげ、同修・Bさんのために人権弁護士を探し、かつ明慧ネットでさらに詳細な情報を暴露しました。明慧ネットの編集者も、同修・Bさんが遭遇したことを記事にして下さいましたので、大いに邪悪を抑止することができました。
地元の国家安全保衛大隊は激怒して、同修Bさんのご主人に「誰が自分たちの悪事を暴いたのかを明らかにしろ」と脅し、明らかにしないと同修Bさんを釈放しないと脅しました。しかし邪悪は最終的にやはり解体され、Bさんは無罪となり開放されました。
四、大法との縁を大切にし 家庭のなかで修煉する
卒業後、何度も女の子とお見合いをしましたが、共通の話題があまりなかったので続きませんでした。多くの見合いを経験したことで、同修を探すか、独身でいるかのどちらかにするべきだと分かりました。この決心がついてからは、お見合いをすることはほとんどなくなりました。
2020年の春、師父の慈悲なる按排により、今の妻(同修)と出会いました。最初の出会いは、妻がよく訪れる同修の家でした。妻は最初見合いに行きたくなかっのたですが、結局行ったと言いました。私も彼女が最初出来ていたら、再び行かなかっただろうと言い、私たちは師父の慈悲なる按排に恩を感じました。
今年、私達は家庭を築きました。温かい家庭生活を送れるようになったと思っていました。こんなに大きな執着を持っていたのですが、まだその自覚がありませんでした。その結果、次から次へと衝突が起こり、その度に、真っ直ぐに人心を指しました。家族への情、家族の前で完璧な妻を持っていることをアピールしたいと思う面子の心、居心地の良い家庭生活を追求したいという安逸の心、などなどでした。
一度、妻に利益の心が現れました。私は、まず内に向けて探し、妻は今関を乗り越えている、彼女は非常に優れている、彼女は必ずこの関を乗り越えられるだろう、という一念を固めていました。しばらく経つと、2人は再び仲良くなりました。しばらくするとまた、言い争って譲らず、後になって後悔したこともありました。
私たちは、師父が按排された慈悲深い大法との縁によって結ばれたこと、私たちは修煉の道においてお互いのための鏡であること、そして夫婦としてどうやって付き合うかを、後世の人々に手本を示す必要があることを悟りました。
弟子に対する師父の慈悲なるお守りに恩を感じます。弟子は大法との縁を大切にし、精進し、着実に修めて行きます。師父にひざまずいて拝みます。
以上は個人の悟りであり、不適切な点がありましたら、慈悲なるご指摘をお願い致します。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』