文/出凡
【明慧日本2021年10月26日】漢の時代(紀元前202年~紀元220年)、費長房は汝南(じょなん:現在の河南省)の出身でした。彼が汝南の市場の監視役人をしていたとき、市場で薬を売る老人をよく見かけました。その老人は、値引きはせず、いつも同じ値段で薬を売っており、彼が治療した病気はすべて完治していました。その老人は、患者に薬を飲んだ後に何を吐くか、いつ病気が治るかなどを教えてくれました。そして、その言葉は後になって真実味を帯びてきました。そのおかげで、多くの人が助けを求めてきて、彼は毎日たくさんのお金を稼ぎました。しかし、そのお金のほとんどは、お腹を空かせていたり、寒さに苦しんでいる道端の貧しい人たちにあげていました。
老人はいつも店の前に空の壺を吊るしていました。日が暮れて市場に人がいなくなると、老人はそのひょうたんに飛び込むのです。老人の行動を二階から見ていた費を除いて、市場の誰もこのことを知らなかったでのす。
「この老人は、きっとすごい能力を持っているに違いない」と費は思いました。毎日、薬屋の周りを掃除して、老人のためにいろいろな料理を並べました。そんなことを続けていると、ある日、老人が「日が暮れて人がいなくなってから来てもいいよ」と言ってきました。
費は言われた通りに老人のところへ行きました。老人は「私が壺に飛び込むのを見たら、私の後に同じように飛び込んでくれ」と言いました。案の定、費は老人についていき、壺の中に飛び込んでいました。
飛び込んだ途端、費はもう壺ではなく、壮大な建物や神殿、東屋が次々と現れました。また、門や曲がりくねった道があり、何十人もの使用人が守っていました。
老人は費に向かってこう言いました。「私はかつて天上人として官吏を務めていたが、ある時、職務怠慢のために人間界に降格した。あなたは教えられる人だから、私のやったことが見えるわけだ」
費はすっかり参ってしまいました。費は老人にひれ伏して頭を下げて言いました。「私はただの人間であり、深い業を背負っております。棺桶から生まれ変わったような、枯れ木から新芽が出てきたような気持ちです。私の体は汚れていて、臭いがします。そして、私の心は頑固な考えでいっぱいです。私のような者が、神々からこのような優しさと慈悲を示されるのは、非常に幸運です」
老人は費に言いました。「私はあなたを注意深く観察し、あなたが道の修行に適した稀有(けう:めったにない、珍しいこと)な人物であると判断した。今日のことは誰にも言わないでくれ」
ある日、老人は費に別れを告げるために2階に上がってきました。「下に酒があるから一緒に飲もう」と。費は人を送って酒を取りに行かせましたが、誰も器を拾うことができず、数十人がかりでも少しも動かすことができなかったのです。費は老人に実情を伝えに行きました。老人は微笑みながら階下に降りていき、指一本で器を拾い上げました。蚌(ドブガイ:二枚貝のこと)の大きさしかない器だったのですが、次の日の明け方まで飲んでも飲みきれないほどありました。
老人は費に「そろそろここから離れるから、ついてくるか?」と聞きました。
費はこう言いました。「言葉では言い表せないほど、あなたについていきたいという気持ちは強いのですが、ただ、家族に知られずにここから離れることができる方法はないでしょうか?」
「それは簡単だ」老人はそう言って、竹の棒を取り出した。数日後、あなたが寝ているベッドの上に置いておけばうまくいく、その時に来ればいい」
費は家に帰って病気のふりをしました。数日後、寝ているところに竹竿を置いて、横に立ってみました。すると、竹竿は費の姿になっていました。家族は死んだと思い、悲しみのあまり埋めてしまいました。
費は老人と一緒に出発しましたが、どこに行くのかわかりませんでした。一日目、老人は費を虎の群れに連れて行き、老人は姿を消しました。虎は今にも引き裂きそうな獰猛な仕草をしていましたが、費は平然としていました。しばらくすると、老人は彼を石室に連れて行き、去っていきました。石室の上には数メートル四方の巨大な巨石が不安定にぶら下がっており、今にも切れそうな縛り縄を何匹もの蛇が噛んでいました。費はその巨石の下に、清らかで穏やかな心で座っていました。そこへ老人が戻ってきて、費に向かって「お前は本当に教えがいがあるな!」と言いました。
そして、老人は費を糞のようなとても汚いものがある場所に連れて行き、その物質を食べるように言いました。それまでに費は、壺に飛び込むことで老人への信頼のテスト、酒器での正直さのテスト、虎での恐怖のテスト、吊るされた岩での生死のテストなど、数々のテストに合格していました。しかし、この試練の時、費は先に述べたような自分の観念に圧倒されていました、(上記費が言ったこと:体は汚れていて、臭いがします。そして、私の心は頑固な考えでいっぱいです)費は這うウジ虫を見て、耐えられないほどの悪臭に襲われ、老人に言われたことが行うことができなかったのです。
老人はため息をつきながら「お前は結局のところ、仙人にはなれない。しかし、お前は地上では超能力やスキルを持ち、人間界では数百年の寿命を謳歌する人間になる」と言いました。そして、封印された護符の巻物を手渡し「これらの護符を使って、亡霊や精霊を追い出したり、病気を治したりすることができる 」と言いました。その言葉を受けて、老人は費に、緑の龍に変身した竹竿に乗って帰るように言いました。
老人と一緒にいたのは、ほんの数日だと思っていた費、しかし、家に帰ってみると、10年以上の歳月が流れていました。家族は驚いて、生きていることが信じられない様子でした。費は家族に「以前埋めたのはただの竹の棒だ」と言いました。家族が墓を掘り起こし、棺を開けて確認したところ、費の言ったことは本当だったのです。
帰宅した費は、神仙である老人からもらった護符を使って、地元の人々のために鬼を追い出したり、病気を治したりしました。その後、呪符を失った費は、妖怪たちに殺されてしまいました。
仙人が選ばれた弟子に「汚いものを食べろ」と言ったことは、普通の概念や考えでは、確かに理解できないことです。しかし、よくよく考えてみると、神への修行の指針は、一般社会の知識や理論を超えたものであり、日常的な概念にもとらわれないものではないでしょうか。
古代の修行では、修行者の副元神を教えるものが多く、修行の原理もあまり教えられていませんでした。道教の師匠は、優れた徳や先天性の資質を持つ人を見つけると、その人に気づかれないように一連のテストを行うのが普通でした。すべてのテストに合格すると、その弟子の神通力を解き放ち、そのレベルの原理を教えます。テストに失敗した者は、途中で修行を中断するしかないです。
神仙である老人に弟子として選ばれた費は、比較的優れた悟りの資質を持っていました。例えば、老人に「一緒に壺に飛び込もう」と言われた時には「人間の体は大きく、壺は小さい」という観念に邪魔されず、虎に囲まれ、石に押しつぶされた時には、生死の観念を捨てることができ、老人に「死体になって家を出よう」と言われた時には、家族の情を断ち切ることができました。そんな彼を見て、老人は彼を仙人になるための準備をしたのです。しかし、最後の試練では、好き嫌いや清潔、不潔などの人間の情に動かされて、彼の悟りの質は急落してしまいました。その結果、彼は神仙になる機会を失ってしまいました。
費の失敗は、修煉の原理を説明しています。仏教でも道教でも、また古今東西を問わず、修煉者が師を信じきっているかどうか、指示に従っているかどうかが、修煉の成功の鍵を握っています。また、それはその人の悟りの質のレベルの究極の表れでもあります。どのような理由であれ、修煉者が俗世間の一般人の心で、世間の師、師が説く法、師が弟子に課す条件、遭遇する人や出来事を測ってしまうと、自分の修煉の障害になってしまいます。師が説く法や師が弟子に課す修煉条件をすぐには理解できずに師の命令に従わなければ、修煉の機会を失い、一生懺悔することになります。