根本から迫害を否定することについての一考察
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年10月27日】師父が法を正す中、旧勢力の妨害が現れました。旧勢力が自分たちのやり方を押し付けてきたため、大法弟子が深刻な迫害を受けたのです。師父が法を正すことと大法弟子が衆生を救うことが深刻に妨げられ、1999年7月の迫害初期には混乱が生じました。しかしその後に大法弟子は師父の各地での説法を学ぶことにより、そのいきさつを基本的に理解できるようになりました。

 師父は次のようにはっきり説かれました。「私はもちろん、この迫害を認めていません」[1]、「今回の迫害は旧勢力が押し付けてきたもので、法を正すことにとって必要なことではありません」[2]、「皆さんに単なる迫害を制止する中の常人の英雄になってもらうのではなく、皆さんは旧勢力の按排と迫害を否定しながら法を実証し、それによって神になっていくのです」 [3]、「私たちは根本から旧勢力の全てを否定しています。旧勢力を否定し排除する中で皆さんが行った全てこそ、威徳あるものです。それらが作った魔難の中で修煉するのではなく、それらを認めない中で自らの道を正しく歩むのであって、旧勢力そのものによってもたらされた魔難の現れを消滅することさえ認めないのです。(拍手) この角度から見れば、私たちが直面しているのは旧勢力を全般的に否定するということです。旧勢力の瀕死のあがきを私と大法弟子はまったく認めないのです」 [4]

 明慧ネットには、一部の大法弟子が相当厳しい迫害を受けている記事がよく掲載されています。迫害の手段の邪悪さは、本当に衝撃的です。私はよく、どうしてこのような厳しい迫害が起こったのだろうかと考えています。私たちは常に発正念して邪悪を取り除いているのではないでしょうか。迫害を認めないのではないでしょうか。どうして迫害がまだ続くのしょうか。

 私の住んでいるところの修煉環境は、比較的緩やかです。面と向かって真相を伝え、真相資料を渡すことに人々はみな慣れているため、悪意を持って告発されることは少ないのです。偶にあるとしても、その日のうちに開放されるか、数日間拘束される程度です。公安、検察、裁判所などが型どおりに行う公務として再び妨害をはじめたのは江沢民に対する告訴が始まってからですが、少し話すとすぐ帰って行きます。

 昨年から私たちのところでも、いわゆる「ドアノック運動」や「ゼロ行動」と呼ばれる嫌がらせが現れました。しかし控えめで、当たり障りのないことをやっているに過ぎませんでした。それが最近になって、今年の年明けから断続的に中国共産党が共同行動を行ない、迫害を強めるという話が聞こえてくるようになりました。これを聞いた私たちは、みなそれを否定したのですが、それでも私たちの地域で迫害が発生しました。教訓を学んで損失を減らし、より良く行なうために、出来事の経緯とその過程での個人的な認識について書くことにします。片手落ちになっているところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 今回の邪悪な行動は、法輪功学習者の家族を騙すことから始まりました。家族が嫌がらせを恐れ、平穏な生活を望んでいることを利用したのです。今回サインすればリストから除名し、再び嫌がらせをしないと嘘をつきました。一部の学習者の家族は邪悪に利用されて、同修にプレッシャーをかけ、脚を押し、腕を引っ張って無理やり指印をさせたり、同修がドアを閉めているのに、その家族が鍵を開いて(悪人を入れて)あげる等々も発生しました。多くの同修は師父に助けを求めて叫びましたが、やはり邪悪を阻止することができなかったと話しています。問題はどこにあるのでしょうか。

 交流を通じて、やはり根本から迫害を否定しなかったためであると分かって来ました。例えば、邪悪の考え方に従い、変事の兆しが現われると心が動じ、修煉者の角度で物事を見ずに人間的なアプローチをし、邪悪を自分よりも大きく見る、あるいは邪悪側の人数が多いのをみると抵抗しても無駄だと思い妥協してしまう、などです。

 邪悪による迫害のことを聞いて影響され、どうやってそれと戦うか、つまり迫害がやって来たらどう対処するかを考えるのであれば、それは旧勢力に按排された道を歩んでしまっています。すでに迫害を受けはじめており、迫害の中で迫害に抵抗していることになります。多くの大法弟子が、どれほどの苦労をしたでしょうか。精力と時間を無駄にし、心身とも疲れてしまい、旧勢力に操られて迫害に加担した人に罪を犯させました。周囲の世の人々にもよくない影響をもたらし、彼らが救われることを妨げてしまいました。

 迫害を根本から否定し、真に自分の心から迫害を否定し、自分の考えに邪悪が押し付けた迫害の情報を否定し、ただ動揺せずに、師父が按排された道を歩みます。もし大法弟子がこれを成し遂げれば、邪悪はまだ存在するのでしょうか? 邪悪の嫌がらせがなければ、大法弟子は損失を負うこともなく、衆生は真相を受け入れて救われ済度されます。これこそ、師父が按排された道だと思います。

 私たち大法弟子の多くは、迫害の終わりを常人に託していますが、実際、すべての大法弟子が心の中から迫害を拒絶しなければなりません。これこそ迫害を終わらせることです。もちろん「修は己にありて、功は師にあり」[5] ですので、私たちが悟り、やり遂げれば、師父は必ず私たちを支えて下さいます。

 その良い例として、以前、迫害を否定したことを私と交流した同修がいます。その同修は実名で江沢民を告発し、人々を救うために長い間、面と向かって真相を伝えて来ましたが、邪悪から嫌がらせを受けたことがありません。この同修が十分な正念を持って迫害を否定し、師父と大法を信じ、正念を持って正しく悟り、正しく行った具体的な現れです。

 今回は私はどのようにしたでしょうか。一度、この問題について同修と交流したことがあるのですが、大きな収穫がありました。彼女は「巻き込まれてはいけない」と述べました。そして私は次のように考えました。迫害は私と無関係だ、邪悪は私を怖がっている、なぜなら不正なものは正当なものを負かさないからだ。すると心の中に恐怖の感覚がなくなり、邪悪はまったく私に近づけないという感覚を覚えました。

 ある同修が身の回りの出来事を私に話す時、私は偶に心が動じたりしますが、タイムリーにそれを排斥します。私は常に、私は大法弟子だ、私を動かせる人は誰もいない、誰も私を動かせないと思っていました。邪悪の勢いが凄まじいと聞かされた時、同修があるホテルまで強制連行され、数日間も帰ってきてないと聞かされた時、私は自分の身にも起こるのではないかと思ったりもしましたが、素早くその考えを排斥し、認めませんでした。

 邪悪が家族を巻き添えにすると聞いて、それに沿って考え始めた時、すぐにそれを否定し、この思惟は押し付けられた迫害であると認識できました。その考え方はまるで二人の人間のようで、片方から不正な考えが現れると、もう片方がそれを即座に否定して拒絶する、本当に正邪の戦いのようでした。私は、「私は李洪志師父の弟子である。師父が按排された道しか歩まない、その他の正と邪、偽りと善、良し悪し、いい悪いに関わらず、全部いらない、試験を受けるのと同じで、先生の出した試験問題の範囲内でないことは答えない、あなたと一緒に過ごす時間はない」と自分に言い聞かせました。

 私がこの考えを守り、迫害思考に陥らなかった時、偉大な師父は弟子のために魔難を解決してくださいました。私の方に現れたことは、邪悪が人を操って我が家に訪れた時、私はちょうど不在で、彼が家族に電話をした時、いつも私を非難していた夫が方向転換して彼らを叱りつけました。彼らは驚いて、なんとこれからはあなたの言葉に従うと言い出し、家族のほかの人も正念を持つようになり、もう二度と彼らを恐れないと言いました。

 私は次のように認識しました。私たちが正しく行なうことさえできれば、師父は私たちのためにすべてを解決してくださいます。私たちが正しく行うことさえできれば、家族は必ず私たちの側に立ってくれるし、一緒に迫害に抵抗してくれます。正しく師父がおっしゃられたように、「たとえあなたが誰であっても 創世主があなたを救ってくれることを待っている 多くの神も彼に選ばれることを待っている 人類が心一つに協力しなければならないのは 紅魔やサタンの悪の勢力に対抗するためである 神の道があなたに通じるまで」[6]

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「海外の電話会議における説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「神を信じるなら、神が教えたように行うこと 」

【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/15/432520.html)
 
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