文/中国吉林省の大法弟子
【明慧日本2021年10月28日】私は1996年に法輪大法(法輪功)の修煉を始めた医師です。もし大法を修煉していなければ、とっくにこの世にいません。我が家に今日があるのは、すべて師父から賜ったものです。言葉で表現するのは難しいのですが、明慧の掲載サイトをお借りして、私の人生が悲しみから喜びの人生に変わったエピソードをお話したいと思います。
大法は壊れた家庭を幸せにする
私は生まれつき病弱で目が悪く、片方が近視で、もう片方が遠視と乱視があり、小学生の頃からメガネをかけていました。16歳のとき脳出血で8日間昏睡状態となり、以前学んだ多くを忘れてしまいました。また、リウマチや、重度の神経衰弱にも悩まされ、漢方や西洋医学では治りませんでした。
就職した私は、手相を上手に見る男性に出会いました。 彼は、私がかつて大病(脳出血のこと)を患い、私の将来や勉学に直接影響を与えたことがあると言いました。 そして30歳になったときさらに深刻な病気にかかり、仕事や家庭、将来に直接、関わると予言されました。
就職して数年後、私は結婚しました。結婚した後、夫は口を開けば人を罵り、家事を一切しませんでした。私は長い間しっかり休んでいなかったことで弱っており、体調が良くありませんでした。 私があまりにも疲れているときは、夫に手伝ってもらいました。しかし、夫は泣く子供を抱き上げると、子供の顔をベッドに押さえつけ、泣き止ませるためにお尻を叩いていました。1カ月足らずの新生児は何も分からず、さらに泣きました。 それを見て私は自分で赤ん坊を抱き上げ、無理でも世話をしました。毎日の子供の世話や家事、病気の辛さなどで、結婚生活や人生に絶望していました。 我慢できなくなり、26歳の時に離婚を決意しました。
そんな矢先、友人から「法輪功の説法ビデオを見よう」と家に誘われ、断れずに行きました。 師父の説法ビデオを見て、私は人と人の因縁関係が分かり、大法の法理を納得しました。 私は『轉法輪』という本を購入し、宝物を得たように毎日読み、そして修煉の道を歩み始めました。
修煉を始めて三日目、体の不調が全て消え去り、初めて病気から開放された感覚を味わいました。私は感動して、師父への感謝の気持を言葉で表すことができません。私が特別何かをしたのでなく、毎日『轉法輪』を読み、本の中の教えを持って自分を律したことで、長年悩まされていた病気が消えていきました。 この奇跡的なできことで、私の大法を修煉する意志は揺るぎないものとなりました。
生活の中で夫と姑が私にひどい仕打ちをするたびに、私に非があるかどうかにかかわらず、私は法理をもって自分を測り、真・善・忍の基準で律し、夫を恨むことなく、文句を言わずに家事を行なっていました。ある日、夫が麻雀から夜中に帰ってきて「数百元負けたから、ご飯を作ってくれ」と起こされました。私は何も言わず、穏やかな態度で料理を作ってあげました。 驚いた夫は「本当に変わったね」と言いました。 それから、彼も『轉法輪』を読み始め、修煉を始めました。
修煉を始めた夫は別人のように、何をするにも私のことを考えてくれ、よく仕事場の送り迎えや、服を買ってくれました。
いつのまにか姑も大法の本を読むようになり、 家庭がますます和やかになっていきました。
修煉して4年目、30歳のとき仕事中に突然激しい頭痛に襲われました。これは脳内出血の症状だと分かりましたが、同時に師父が私の病業を取り除いて下さっていると心の中で思いました。私たちの病院にはコンピュータ断層撮影(CT)の機器がなかったので、別の病院でCT検査の写真を撮ってもらい、脳内出血だと確認しました。病院のスタッフは、私が一人で来たことを聞いてとても驚いていました。
帰宅した私は1錠の薬を飲むことなく、いつもと同じように学法と煉功をして毎日出勤していました。 1週間後には頭痛の症状が完全に消えました。 私はCT写真を持って院長と副院長にこの話をすると、彼らは大変驚きこれは医学的には説明ができないと言いました。
あらゆる面で患者のことを考える
現在の社会では、医師が薬代を増額して書いたり、賄賂を受け取ったりすることがごく普通に行われています。私は修煉した後、大法の基準を厳格に守り、患者を家族のように扱い、あらゆる面で患者のことを考えました。患者のためにお金を節約させ、処方した薬の金額が自然と少なくなりました。 院長は、私が300元と書いた処方箋を、ある医師は500元で処方すると断言したことがあリました。
ある時、急患がお金を持ってくるのを忘れ、病院が受け入れてくれなかったことがありました。 私は自分のお金で彼の治療費を支払ったので、彼は適切な治療を受けることができました。 患者の中には、感謝の手紙をくれたり、親指を立てて「こんなに良い医者に出会ったことがない」と言いました。 もし法輪大法を修煉していなければ、私はこんなことはできなかったことでしょう。
ある年の冬、私は夜勤をしていたのですが、夜中に突然1階から水が出てきました。 短時間で足やお腹まで水が上がって来ました。 1階には薬局があり、もし水を止めなければ浸水して薬が台無しになり、病院は大きな損失を被ってしまいます。 当時、私たちは3人で勤務していましたが、そのうちの2人は大法弟子だったのです。 私たちは何も言わずにすぐに水の中に入り、水をすくい出し、ずっとすくい出し続けました。
真冬だったので、綿のズボンはすぐに氷で分厚くなり、足腰は水に濡れ冷たさに凍えました。 水のすくい出しが適時に行われたため、病院の損失を防ぐことができ、翌日の病院の業務にも影響がありませんでした。
1999年以前、私は重度の関節リウマチの患者さんに出会いました。彼女の指の関節は腫れて変形し、とても痛いといっていました。私は 処方箋を彼女に渡した後、「薬は痛みを一時的に和らげるだけで、治すことはできません」と伝えました。 彼女は、「知っています、多くの大きな病院に行き、多くお金、毎年、食べ物を売ったお金のすべてを医療費に使ってきました。 この病気が治らないことを知っています」と話しました。
私は彼女に「治る方法は一つあります。それは法輪功の修煉をすることです」と言いました。 私は法輪功の書籍『轉法輪』を彼女に渡しました。彼女はそれを喜んで持って帰りました。 数日後、別人のようになって戻ってきた彼女は、「関節の腫れや痛みがなくなリました」と言いました。 彼女の変化を見た周囲の人たちが、次々と法輪功を習いに来るようになりました。 みんな、「法輪功は本当に不思議だ」と言いました。
大法を信じ福の報いを受ける人々
私の義理の息子の兄はかつて公安局の副局長でした。 彼は大法の本を読んで真実が分かりました。中国共産党(以下、中共)は法輪功を迫害するために、いわゆる「中南海包囲」の濡れ衣を着せました。実際にはただの平和的な陳情であり、スローガンや横断幕もなく、すべてが秩序よく、穏やかで平和的であったことを知っていました。国務院(日本の内閣に相当)はすでにこの日、天津市公安局に不法に逮捕された法輪功学習者(以下、学習者)の釈放を命じ、人々の修煉に干渉しないという国の方針を改めて確認しました。それから、2001年1月23日に起きた「天安門焼身自殺」事件は、法輪功への憎しみを煽り、さらに残虐な迫害を行うために中共がでっち上げた大嘘であり、入念に計画・演出されたものであることも知リました。そのため、大法弟子への迫害に遭遇すると、いつも様々な理由で回避していました。事の是非や善悪の判別ができるようになった彼は、急に高い地位に昇進し副部長になったのです。
数年前、私は大法の修煉を堅持し、世の人々に真実を伝え続けたため、不法に拘留されました。 拘置所では、2人の陳情者に出会い、彼女たちに大法の迫害の真実を伝えました。その中の1人は理解して三退に同意しましたが、もう1人は長い間、メディアのプロパガンダに騙されていたため、私の言うことを受け入れませんでした。その結果、数日後三退に同意した彼女は、政府が来て謝罪し、10万元の補償金を渡され釈放されました。 大法の真実を受け入れなかった女性は、何の転機もなくそのままでした。
ある時、通りがかりの人に法輪功の真実を伝えると、彼は私にお守りを求めました。彼は以前、車で遠出した時、頸椎の病気が再発してとても辛かったそうです。この時、ある人が彼に法輪功の真実を伝え、お守りを渡されました。彼は三退に同意すると、頸髄の痛みが消えたと言っていました。
真実を知って福に報われた人々の話はたくさんありますので、ここではすべてを列挙しません。ひとりでも多くの人々が大法の真実を知り、より良い未来を選択することを切に願っています。