【国際ネット法会】台湾で真相映画を撮影する時の修煉体得(二)
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2021年10月29日】(前文に続く)

 2、内に向けて探すことの重要さ

 今回の撮影を通じて、自分の愚痴は本当に多いと痛感しました。ほぼどのチームに対しても不満と文句があります。美術チームの指導力が足りないとか、第二カメラの仕事はプロとは言えないとか不満を抑えて手伝っていますが、やりながら文句を言いました。このような状態が間違っていると私自身も分かっています。また、心の中で一部の同修を褒めて一部の同修を貶す心理状態は、客観的でないだけでなく、情の一種の現われでもあります。

 撮影して1週間経って、この同修に対して不愉快だと思い、あの同修のやり方が気に入らず、不満な気持ちがいっぱいになりました。その晩、夢を見ました。夢の中で私は大自然の中でドローンを操作していました。操作の免許を持っているのですが、空中に飛んでいるドローンは、だんだんコントロールできなくなっているようです。見上げると、なんとドローンに巨大な、人間の体より大きい風船を掛けているのが見えました。風船はとても軽いのですが、風が強ければ吹っ飛ばされます。夢の中で風はますます強くなり、風船もドローンを連れて遠くまで飛ばされて、手動モードで無理に引き戻せる努力をしても、数秒後にドローンと風船は遠くの河に墜落しました。

 目が覚めた時、同修たちに対する頑固な先入観、不満を放下すべきときが来た、さもなければ、軽いものでも全体に良くない影響を与える、と思いました。師父の言葉を思い出しました。「トラブルに遭うと、責任の所在に関係なく、まず自分を見るべきです。修煉者として、この習慣を養うことができず、常人と逆の角度から問題を見ることができなければ、あなたは永遠に常人のままです。少なくとも、正しく行なわなかったその時はあなたは常人です」[2]

 「恨みの心ですが、つまり褒められたい心、良いことがあれば嬉しいという心が養われたのです。さもなければ、恨んでしまいます」[3]

 1週間を振り返って、名に執着する心を発見しました。二つのことについて、まず、この撮影の任務を引き受けた動機に、頼まれたら断りにくい心、海外の協調人に対する情と崇拝が混じっています。次に、同修に対する愚痴の裏にとても良くない執着、「目標に到達できなければを、自分のメンツに影響する」という心が存在していました。つまり、褒められたいために高い目標を定めて、同修たちにそれが達成できない時、私はいらっとします。

 もし名を求める心がなければ、同修たちができる限りの努力をして得た結果に、自分は不満などを持つはずがなく、その結果を見て楽しくて満足するでしょう。また、不満がたまったら同修たちとの間に隔たりが生まれ、コミュニケーションもより難しくなります。

 撮影が全部終わった時に、私たちは撮影時のメイキング映像を見てとても感動しました。何もないところからスタートして、映像が完成するまで、皆はたくさんの努力を払いました。私が一番後悔したのは、撮影する過程の中で同修たちに対して体力、態度、仕事能力などの面で文句を言いすぎたことと、純粋でない動機です。

 3、「修は己にありて、功は師にあり」[4] に対する体得

 今回の撮影に、奇跡と言えるほどの「ちょうど」、「偶然」がたくさん起きました。以下にいくつかを紹介します。

 撮影を始める前に天窓を黒い生地で遮蔽する作業が必要です。サイズを知らずに大きな生地2枚と小さ目の生地1枚を持ってきて、作業が完成した時、ふと見ると、なんと3枚の生地はちょうど天窓を覆って、余ることもなくて足りないこともありません。この驚くほどの偶然は私たちに、師父はいつもそばで見守ってくださっていることを分からせて下さいました。

 私の準備不足のせいで、4枚の衣裳の追加注文が発生しました。ネットで注文して、土曜日の昼に配達予定となっていました。思いも寄らないことに土曜日の朝に、私が家を出る前に配達されました。それで、すぐスタジオに持って行くことができて、時間に余裕が出たため、衣裳をより自然に見えるように手直すこともできて、午後の撮影に使ったらとても良かったのです。

 最後の1週間は現場の片づけです。その日、地方の同修から借りた十数枚の舞台背景をトラックに載せて返しに行く予定でした。トラックは、私の勤めている会社から借ります。会社に着いたら、ちょうど借りたいと思っていた白いトラックに荷物が積まれていたため、もう1台の青いトラックを借りました。スタジオで舞台背景を載せてから運転して間もなく、ギアボックスに問題が発生して、スピードが出なくて、バックもできなくなってしまいました。仕方がなく会社に戻って、荷物を元々使う予定だった白いトラックに移しました。ちょうどその時、会社に熟練した大型車運転手が帰ってきて、この型のトラック(白いトラックを指す)は荷物を載せて高速道路を走る場合、必ず防護ネットでカバーしなければならず、そうしなければ数千台湾ドル(数万円相当)の罰金を食らう、と教えてくれました。ちょうど会社に防護ネットが置いてあったので、借りて順調に出発しました。

 その日は休日なので、高速道路の合流の場所に多くの警官がいて、確かに警官は私たちの車に乗った貨物の寸法などがルール違反になっていないかを見ていました。罰金を食わずに済んだことに、私と妻は師父のお守りに感謝しています。こんなにたくさんの「偶然」があって、ちょうど青いトラックが高速道路に上がる前に故障して、ちょうどその時、熟練運転手が会社に帰って私たちに注意してくれ、すべてのことはこんなに整然と按排されていますした。

 もう1回、会社のボックスカーを道具として借りました。2、3時間の撮影をする中、ボックスカーは路地の中で前進したり後退したりして、何回も使用されました。撮影が終了したとたんに、ボックスカーのバッテリーが切れて、動かなくなりました。修理工場によると、バッテリーはとても長く使ってきて古くなり、ちょうど交換時期になっていたようです。バッテリーは最後の力を絞り出して、撮影の完成まで頑張ったのです。

 偶然の事件はまだたくさんあり、一番最初のスタジオの確保をはじめ、撮影の終始に多くの不思議なことが起きました。これらの経験に対し、感謝の気持ちでいっぱいで、「修は己にありて、功は師にあり」[4]をもっと分かるようになりました。大法弟子にやりたい願望があれば、師父が弟子たちに最も良い按排をして下さるのです。

 最初の撮影をして1週間経ったあの日に、朝、煉功点に行って第二功法の腹前抱輪をやった時、突然頭の中にこんなシーンが現れました。師父は「その時になったら、きっと適切な人材、適切な資材が現れて、あなたたちを助ける」と言われ、私たちは師父に「必ず使命を辱めません」と誓ったシーンです。その時、今まで理解していたのとは全く異なる「誓約」の内包が分かりました。その内包とは、常人レベルで感じるプレッシャーでもなければ、やりたいかどうか、望んでいるかどうかでもなくて、あれは生きる目的そのものです。また、誓約があってこそ私たちの命が存在しており、命があってその後の道が開かれ、各ステップ、各ステップの按排があるのです。それを悟ったら、感激の涙が止まらなくなりました。師父のご加護の下、使命を背負う大法弟子は歩んだ一歩一歩の奇跡を示し、栄光に満ちています。心の中で「大法弟子は神の使者であり」[5] を思い出しました。

 師父、ありがとうございました!

 同修の皆さん、ありがとうございました!

 (完)

 注:
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDC説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「あなた達のために歌う」

 (2021年国際ネット法会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/19/427176.html)