【国際ネット法会】台湾で真相映画を撮影する時の修煉体得(一)
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2021年10月28日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さんこんにちは!

 今日は、数カ月前から、迫害を受けた同修の経歴に基づいた映画の撮影に携わる時の体験を皆さんと交流したいと思います。

 私は1999年から修煉を始めました。参加したプロジェクトの多くはメディア関連のものであり、その中の約7年間は、法輪功修煉者(以下、修煉者)の修煉物語に関する映画(以下、真相映画)の撮影に携わりました。最近の2年間、新唐人テレビ局の番組製作をしていたので、現地での真相映画の撮影に関与していません。

 2020年10月、ある海外の協調人が連絡してきて、以前のように動画を撮ってくれないかと頼んできました。数年前に、私と台湾の現地の同修が同じようなことに協力した経験があります。ちょうどその時、新唐人の仕事の合間だったので、少し時間がありました。現地の数人の同修と打ち合わせをして、その仕事を引き受けました。今回私たちが協力する部分とは、あるドキュメンタリー映画の中で主人公のインタビューの中に織り込む、彼が中国の刑務所の中で迫害されていた時の場面です。刑務所のシーンを再現するには、スタジオの中で刑務所のセットを作ることが必要で、今まで私たちはその経験がありませんでした。海外の協調人も私たちの困難を知って、熱心に3回会議を開き、彼らのやり方と経験を教えてくれました。

 しかし、実行する時、私たちが直面する最初の問題はスタジオを探すことです。一度に三つの牢屋のセットを作る必要があるので、場所の広さが問われます。今稼働していない工場が最適です。工場や広い空き家を持っている現地の同修にまず尋ねると、同修たちの工場はみな稼働している状態で、空き家も若干狭いのです。賃貸の工場を探して、不動産会社に勤める同修にも探してもらったのですが、ほとんどは2カ月だけの賃貸はしていないとの回答でした。

 その時、ある同修の親戚がちょうど工場の半分を賃貸に出す予定があるとのことで、現場を見に行くと、スタジオとしてかろうじて使える状態でした。海外の協調人に報告をすると、協調人は賃貸のことに同意しました。その後、ことは契約を結ぶ方向に運びました。賃貸料が高いので、年末にもう一回打ち合わせをして委細を再確認してから契約を結ぼうと思いました。

 打ち合わせの日に、会議室でプロジェクターを準備していた時、ある同修が突然「私は工場物件を購入したばかりで、まだ内装中だが、スタジオとしては少し狭いかもしれない」と言いました。こんなに好運なことがあるのかと思って、彼に実際の寸法を聞いたら、工場の幅は設計図面の3分の2程度しかありませんが、もし組み立て作業を2回に分けて施工すればクリアできます。そこで、彼の新工場をスタジオとして使うことに決めました。海外の協調人も場所の賃貸料金を節約できたことを彼にとても感謝しました。これは慈悲深い師父が助けて下さり、私たちが歩む一歩一歩を見守って下さっているおかげだと、皆が分かっています。

 スタジオが決まったら、作業が進んでいきます。高所作業、荷物の搬入、木工、美術は順調に進み、各工程の間の調整事項も増えました。ある日、工場の天井の遮光作業を行った時、高所作業車のアームを天井まで上げて、私たちは下の安全を確認しました。その時、妻(修煉者)がまだ他の同修と会話をしているのを見て、私は焦って、妻たちに「安全に注意しよう」と大声で叫びました。家に帰ってから妻が「さっき工場で大声で叫んだのは良くない、あの態度はまるで人を罵るようで、聞く側はきっと心がとても辛い」と言い、また、「以前の撮影作業の中での悪い習慣を今回ぜひ注意し、直して、気性を抑えて優しく話しましょう」と言いました。妻の話を聞いて、これまでの良くない言動にやっと気づきました。今回のチャンスを掴んでこれまで良くできなかった部分を改善して、特に忙しい時、焦る時は、自分の気性にもっと注意しなければならないと思いました。今回の撮影は2月末から4月初めまで実施されました。以下に、1カ月余りの撮影の中に体得したことをお伝えします。

 1、相手を理解することを学ぶ

 今回の仕事において一つ明らかな心性上の軋轢がありました。それは、同修のAさんと仕事の考え方が違うことで、彼に不満を持っていることです。ある日私は、できるだけ同修に協力すべきだと考え、自分の持っている装備をAさんに提供しました。Aさんはそれを使わなかったのですが、なぜかその日から、彼の生活の困難、大法のプロジェクトに込めた熱意などを思い出して、それが理解ができ、彼に対する不満は全部感謝に変わりました。きっと誰もが大法の仕事を成功させたいと思いますが、多くの客観的条件に制限されて今の段階では発揮できる能力が限られています。私自身もそうではないでしょうか、もし他の人が私に対して文句と非難ばかりすれば、私も同じようにつらくなるのではないでしょうか。自分の容量を大きくしなくてはいけないと思いました。

 「それでは、彼らの心はどういう状態なのでしょうか? それは寛容であり、非常に洪大な寛容であり、他の生命を受け容れ、本当に相手の立場に立って他の生命のことを考えてあげることができます」[1]

 もう一つは、同修のBさんの髪に関する不満です。撮影が始まる前に、必要に応じて髪を切らなければならないことを、遠慮があってBさんにはっきりと伝えていなかったせいで、難題を今に残しているのです。Bさんが演じる修煉者は、刑務所に入ってから丸坊主にされました。しかしBさんは自分の髪を丸坊主にするのが嫌で、撮影の時はかつらを被ることを希望しました。メイクさんはかつらを用意していますが、使ったら、どう見てもリアルではなく、かつらを近くで撮らないため、カメラさんは撮影の角度を取るのに時間がかかりました。少し不満に思ったのですが、自分の考えをBさんに押しつけることをしてはならないし、彼が違う考えを持っていれば、私はやはりチーム全体の仕事を良い方向へリードしなければならないと思いました。そう考えたら、なんと翌朝、Bさんが現場に来て最初に話したのは「撮影しやすいように、髪を丸坊主にしたい」という一言でした。彼の心性が向上したことに全員が喜んで、その日の撮影もとても能率良く完成しました。

 相手を理解してこそ、はじめて彼の長所を発見することができます。師父の言葉を思い出しました。「重要なのは誰のアイデアなのかではなく、この過程で自らを修煉したことです。自らを修めた人が向上するのです」[2]

 仕事の中で、この資材が足りない、あの人材が足りない等の思い通りにならないことに、誰もが遭遇したことがあると思います。その過程を修煉と見なし、それによって自分の仕事をしっかりやる以外にほかの仕事も手伝い、黙々と協力する同修も本当にいるのです。要するに、仕事をどう見ているかは大事です。ただの仕事として見るか、それとも修煉の一環として見るかの違いです。現実の困難の中、修煉者は心をどう置くかを、師父は見られています。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』

 (2021年国際ネット法会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/19/427176.html)
 
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