文/山東省の大法弟子
【明慧日本2021年11月2日】2020年、人々は忘れられない新年を過ごしました。中国の農村でも、村や道が封鎖され、バスもなければ、タクシーも捕まえられません。そのため、私と娘はずっと田舎の実家に滞在しました。清明節の翌日、同修の助けのもと、なんとか都会に戻ることができました。本来、ある同修と屋台で朝食を販売していましたが、コロナウイルスの影響を受けて、屋台の仕事を一時期中断して、他の人の紹介により、新しく建ったコミュニティで掃除の仕事をすることになりました。
仕事の初日に、入り口が3つもある17階建ての大きなマンションと、マンション前の公園の清掃と緑化を任されました。私の仕事は毎日、各階の床や窓、すべての階段、手すりをきれいにし、公園内の緑化と、ゴミ拾いをすることです。
この仕事には満足しています。毎日掃除すること以外にも修理屋さんや、配達員、住民たちに会えるからです。
このコミュニティには、塗装業者が工事をしているとき、必ず家の戸口を閉めること、ゴミなどを全て片付けることなどの規則があります。守れない場合は罰金を科せられます。しかし、毎回違う人が工事のために来ているので、外の人間はコミュニティ内のルールを知りません。そのため、毎回彼らにこのことを教えてあげています。彼らも苦労してお金を稼いでいるので、こんなことで罰金を支払ってほしくないのです。このことを伝えると、みんなルールを守るようになり、私も時々手伝ったりして、みんなに感謝され、真相を伝えるのに、良い基盤を築きました。時々、真相を伝える時間がない時は、大法の守りや冊子を渡したり、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」ことを伝えたりしています。
時には、歌を歌いながら地下倉庫の掃除もして、そこで大工さんに会ったら、真相を伝えます。時間が経つと、みんな私のことを知るようになり、なんで私が毎日これほど楽しいのかと聞いてきます。その時は、大法を修煉して人生が変わったことを話し、同時に「三退」を進めます。
もちろん、悪いことをする人もいます。例えば、ゴミをポイ捨てしたり、マンションの陰におしっこをしたりなど、そういう時は、何も言わず、きれいにします。最初は非常に嫌で、気持ち悪い、道徳心がないなどと文句を言っていましたが、後に、自分は修煉者で他人を恨んではいけない、確かにこの近辺には公衆トイレがないから、不便だったのでしょう、などと考えて怨恨心を取り除きました。
7、8人の同僚がいるので、複雑な人心により、摩擦はよく起こります。更衣室で罵声がよく聞こえてきます。故意であっても不注意であっても、私は動揺せず、誰に対しても親切に接します。時間があるときは他の人の手伝いもするし、頼まれた時も、自分にできることなら断りません。ですから、同僚はみんな私のことを気に入っています。なぜなら、私は大法弟子だからです。
真相を知らない人になぜ「三退」をするのかと聞かれたときは、詳しく説明し、その人の困惑を解きます。常に人にやさしくしているので、時間が経つと、同僚間の雰囲気がよくなり、休憩室からは笑い声がよく聞こえるようになりました。
ある日、私は同僚が担当している場所に来て、モップをもって歌いながら床を拭いていました。のちに知ったのですが、その同僚はモップがないことに気づいて、近くにいた若者に聞いたところ、「30代くらいの人が帽子を被り、歌を歌っている人が持って行ったよ」と答えました。その同僚はすぐに私が代わりに床を拭いてあげていることを知りました。何日か前にその同僚は腰を痛めたので、少し手伝いました。歌声を頼りに私のところに来た同僚は「あの若者、あなたのこと30代って言ってたよ」と言い、私も彼女も笑いました。
修煉を始める前、私はまだ30代前半でしたが、会う人に「50代でしょ?」と言われました。その頃は、生活が苦しく、体もよくなかったので、実際の年よりも老けていました。しかし、1998年、私は幸運にも大法に出会い、たった数カ月の間で、長年私を苦しめていた気管支炎や、神経性偏頭痛、不眠症、憂鬱、胃病、心臓病など様々な病がすべて直ったのです! それから20年以上、薬に全く触れていません。今年で52歳になりますが、30代と言われました。まさに師父が説かれたように、「身体が若者の方向に少しずつ逆戻り」[1]「性命双修の功法では、見た目には実際の年齢とずいぶんかけ離れて見え、外見からは人に若い感じを与えます」[1]なのです。
師父の慈悲なる済度に感謝いたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』