私は携帯電話の動画を見る執着心を取り除いた
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文/黒龍江省の大法弟子

 【明慧日本2021年11月12日】安全のために、私は携帯電話の番号を変え、WeChatをアンインストールし、思い切って携帯電話も古い式の携帯電話に替えました。1年ぐらい使っていると、携帯電話が壊れ、修理する人はこのような電池はもうないので、修理できないと言いました。仕方なく、息子(法輪功を修煉していない)は私にスマートフォンを買ってくれました。夫(法輪功を修煉していない)は新しい携帯電話にWeChatをインストールするように私に頼んできましたが、私はインストールをしませんでした。携帯電話にはアラームベルをインストールし、起きて煉功発正念をするようにしました。

 はじめは、この携帯電話でインターネットを利用できるとは知りませんでした。以前、私は携帯電話でインターネットを利用したことがないので、息子は携帯電話でインターネットを利用し、動画を見る方法を私に教えました。私は「これは私の学法に影響することはない」と思い、インターネットを利用して動画を見てみました。動画の内容は本当に多く、芝居、歌、美食などがあり、私は子供の時から評劇、黄梅劇、民謡などが好きで、これらはすべてありました。有名人の歌を聞き、その出演を見て、本当に満足し、いつの間にか携帯電話の動画を見ることが癖になりました。食事をする前に見て、食後見て、片付けどころではなく、寝る前も見て、見れば見るほど見たいのです。時には学法する時眠くなりますが、しかし携帯電話を取って動画を見ると元気になります、もう眠くありません。時には1時間以上見たあと、また引き続いて見て少し歌います。学法する時間も占有しました。

 師父は「いかなるものも物質で、聞いたらそれが注ぎ込まれ、身体の中に注ぎ込まれたのです。見たら、それが入って来たのです」[1]と言われました。師父の説法を読み自分と比較したところ、何かおかしいと感じましたが、どうしても見たくてたまりませんでした。数日間我慢しましたが、その後再び見始め、4カ月以上この状態が続きました。

 私は1997年から修煉し始め、1カ月で20年余り私を苦しめていた、生きるよりも死んだ方がいいと思えるような頭痛、お腹の痛み、婦人科の病気、全身のひどいアレルギー、肩関節周囲炎など頑固な病気(病院が治せず薬を飲んでも、役に立たない)はすべていつの間にかなくなり、元気になりました。私は大法の貴重さを十分に知っており、毎日、学法、煉功、そして真相を伝え、人を救うことを第一にして、自分に対する要求も比較的厳しかったのです。しかし私は今どうなりましたか? 心が引き付けられてつい動画を見てしまうのです。

 動画を見た後、私は自分が怒りっぽくなったことに気がつきました。孫をしつけるのも根気がなくなりました。本当に師父が「かんかんになる人がいます」といわれましたが、私には2人の孫がいて、双子で、今年9歳になりました。彼らはいつもゲーム機で遊んでいて、あるとき上の子はテレビで遊んで、二番目の子は携帯電話で遊んでいました。私は手に携帯電話を持って動画を見ながら、大声で2人の子供をしかりつけますが、彼らはまったく話を聞いてくれません。私はついに子供を殴ってしまい、夫に携帯電話だけ見ていて子供を構わないと指摘されてしまいました。(子供は両親が離婚して、ずっと私達と一緒に住んでいます)私の顔の表情はいつも凶悪で、語調も聞きづらく、修煉者のようではありませんでした。いつのまにか家は落ち着かず、誰も楽しくありませんでした。

 私は毎日学法しており、煉功もしていますが、心から修煉しておらず、頭の中で考えていたのはすべて動画の中のもので、コントロールできませんでした。「動画を見て自分がどうしてこのように変わり、精進しなくなり、だらけており、学法も心に入らなくなったのか、わかりませんでした。邪悪がこの隙に乗じたのです。私を精進させず、だらけさせ、精力を動画を見ることに用いさせます。これは修煉者の状態ではありません。師父は私のこんな状態を見て焦っておられるでしょう! 精進しても間に合うかわからない中、なぜのんびりと動画を見る余裕があるのか!」と心の中で考えました。

 ある日学法して、「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]の部分を学んだ時、師父の法はたちまち私に目を覚ませました。「動画を見るのは執着で、それは強大な執着だ」と私は悟り、それはもう要らないと、このような執着を取り除きました。私は修煉者で、法輪大法を修煉しているので、どうして常人のこれらの不潔なものに執着しますか。

 師父は 「あなたという生命がこの世に来たのもこのことのためであり、なぜ精進せずにいられるのでしょうか? なぜ緩んでしまったのでしょうか? 機縁よ、この万古の機縁! どんなに長い時間が経過しても、皆このことのために準備しており、苦を嘗め、業を滅し、苦しみの中で今日まで歩んだのに、精進しなくなったらもったいなくないでしょうか?! しかし、この一歩は非常に大事で、精進しなければ台無しになります。あなたの生命はこの一刻のために存在しているのではありませんか?」[1]と言われました。私は心の底から自分に対して「邪悪なものは要らない、徹底的に要らない、それに私を引き回させない。多く学法して、自分を大法の中に溶けこませます」と言いました。

 鏡を見ると自分の顔がもう凶悪ではなく、家族と話をするときも語気が優しくなり、家族の雰囲気は和やかになりました。

 この原稿を書く時、既に1カ月以上携帯電話の動画を見ておらず、動画を見る心もなくなり、ただ多く学法したいのです。

 学法は最も重要で、師父の大法は私を正し、修煉は元のとおりになり、失った時間を補っています。携帯電話の動画を見る執着心を取り除かせてくださった師父に感謝します。

 この文章を書く目的は自分の学法に気持ちが入らず、携帯電話の動画を見ることに執着する心を暴露するためのものです。

 限られたレベルで、悟った正しくない所は数多くあると思いますので、同修達のご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/21/427410.html)
 
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